荷を負うこと

2011.10.17.Mon.10:00
(どちらにも言い分はある)
 話し合いが長引いたのを一時打ち切って、御座をはなれた稚羽矢は、ため息をこぼしながら廊を歩いていた。
 二派に分かれた人々には、それぞれの言い分がある。どちらの話ももっともらしく聞こえてきて、決めることはどうも難しそうだった。
 稚羽矢は庭におり、池をながめた。
「お二人は、このようなとき、どうなさるのだろう」
 静かな水面をのぞき込むと、眉間にしわをよせた自分の顔が映った。
 照日王と月代王は、闇との戦のあいだはそれぞれ交代で政を行っていたはずだ。このような問題を、二人はおそらくそれほど悩まずに解決するだろう。
 経験と知恵がはがゆいほどに足らない。だから、皆の言い分を聞いているだけで、すっきりと断をくだすことができない。
 しゃがみこんで池を眺めていると、ふと水面にさざなみが起こった。顔を上げた稚羽矢は、秋の気配の濃くなった中、褪せずに残った夏の色を見た。
 池にしつらえられたのは、豊葦原を模してつくった築山だ。丈高いガマの生えるところに立ち、肩にかけた濃緑色のひれを振る狭也をみて、ふしぎなことに胸にあった重しがすっと取れたような気がした。
「わざわざお越しいただいて、光栄でございます、大王」
 狭也は殊勝に目を伏せたが、一瞬あとに見せた表情は、稚羽矢をおかしがらせるいたずら者のそれだった。
 稚羽矢はこらえきれずに吹き出した。
「なぜひれを振った? わたしはそれほど遠くにいたわけでもないのに」
 狭也は稚羽矢を案じるように、手をとった。
「あなたの心を呼んだのよ。あたしのもとへくるように」
 稚羽矢は狭也をみつめた。
「わたしの心はどこかに漂っていたのかな」
「何度か呼んだのに、あなたときたら気づかないんだもの。水鏡をじっとみつめて、なにを考えていたの」
 今日のような問題は、ひとつ片づいたと思えば、あとからあとから押し寄せてくる。それは思うだけで気がめいることだった。
「どちらが正しいのだろう」
「どちらの言い分も正しく思えるのなら、あなたがよいと思う方を選ぶしかないわ」
「選べないから困っている」
 狭也はほほえんだ。
「選べないということを、選んでおられるのでは? 大王」
 すこし腹が立って、稚羽矢は狭也の腕を引いた。あわてるのをわかって抱きしめると、稚羽矢は目を閉じて妻のひたいに唇をよせた。すこし汗ばんだひたいに口づけをすると、おののきが伝わってきた。伏せた目を見て、苛立ちににた気持ちがこみあげてくる。
「わたしを見て」
 狭也は稚羽矢がぎくりとするくらい、強いまなざしでみつめてきた。
「あなたには天性の資質があると、開都王が言っていたわ」
「どういうこと?」
「大王として人々の上に立つ者にふさわしいということよ」
「わたしは、そうは思えない」
 狭也は稚羽矢の背中に腕を回した。
「大王として人びとの上に立つからには、皆の声を聞くのも大事だし、不安を抱かせないことも大事でしょう。でもね」
 つよく抱きしめられて、稚羽矢は驚いた。
「迷い抜いたなら、あとは大王として選んでみせるしかないと、あたしは思うわ」
「狭也」
 遠くで呼ぶ声が聞こえた。離れようとする狭也をいっそう強く腕の中に閉じこめて、稚羽矢は押し殺した声でささやいた。
「むこうから、こちらは見えない。隠れていよう」
 ガマのたくさん茂る水辺は、しゃがむと人が潜んでいることもわからなくなる。稚羽矢は声が遠ざかっていくのをたしかめると、狭也をみつめた。
「あなたは笑うかもしれないが、わたしは、自分が誤ることがおそろしいんだ。誤って、取り戻せない大切なものを失うことが、こわい」
 狭也は唇をとがらせた。
「あなたこそ、ほんとうにあたしが見えている?」
「見ているよ」
 疑いの目で見られるおぼえはない。
「あなたが見ているのは、未来のことでしょう。まだきていない明日をおそれて、どうなるの? 今あたしは、あなたのそばにいる。同じように、多くの人があなたの元に集まっているわ。あなたは、今このときを、しっかり見つめるのよ。そうして、決めたことなら、きっと乗り越えていける。よい結果だとしても、悪い結果だとしても」
 狭也はてれたように付け加えた。
「どちらにしろ、責任をおうのはあなたひとりじゃないわ。あたしも、半分持つから」
 草かげにしゃがみこんで笑いあうと、稚羽矢は気負いがすっかり溶けていくような気がした。これからも迷うだろう、悩むだろう。
 でも、はんぶん荷を背負ってくれるひとがいると思うだけで、気分が楽になる。
 天の宮の方々は、知っていただろうか。
 あやまちをおそれずに生きることの難しさと、そのさきにあるもののことを。
「ありがとう、狭也」
 稚羽矢はくったくのない晴れやかな心で、そう言った。
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