山の神5

2011.09.22.Thu.03:33
「狭也や」
「なあに、かあさん」
 一緒に後かたづけをするうちに、八田女は娘への妙なこだわりを捨てたようだった。狭也は内心ほっとした。
 親に貴人扱いをされるなんて、冷たく無視されるより辛いことだ。
「あの方は、科戸さまは、名のあるお方なのかね」
 狭也は手をとめて、母の横顔をみつめた。
「立派な将軍よ」
「はあ、お若いのにねえ」
「重鎮よ」
「真人と十もちがうようには見えないよ。二十六、七か、それくらいの御年だろう」
 狭也がなにも言えないでいると、八田女は感心したようにつぶやいた。
「お若いのだよ、あのお方は。ねえ、おまえ」
 濡れた手を拭きながら、八田女はまじめな顔で狭也をみつめた。
「あの方のほうが、御方よりいくらか身軽なご身分でいらっしゃるのだろう? 今さらだけれど・・・・・・あの方を婿がねとしてお迎えできないものかね」
「かあさん」
「年の功というやつで、あの方の思し召しは手に取るようにわかるのさ。狭也がほしいと顔にかいてある」
「やめてちょうだい」
 狭也は思わずあたりを見回した。二人きりなのを確かめると、狭也は声をひそめた。
「稚羽矢を迎え入れてくれたのでしょ」
「御方はあまりに神々しくて落ち着かない。けれど、あの科戸さまなら、なんとかお仕えできそうな気がするのさ」
「あの方のお顔を見てなにがわかるの。いつも泣く子を黙らせるような恐ろしい顔をしているのに。かあさんの気のせいと言うものだわ」
 八田女の目が光った。
「がんこな娘だ。おまえは昔から、聡いようでどこか鈍かったからね」
「ひどい」
 狭也はむくれた。
「母さんこそ、ちょっとあの方にやさしさを見せられたからと言って、のぼせているんだわ。とうさんに言いつけてやる」
「おやおや。うそだと思うなら、ご本人に聞いてごらん」
 なんてことを言うのだろう。狭也は円座をかたづけながらも、落ち着かない気持ちをもてあましていた。
 稚羽矢が風邪で寝込んだまくらべで、王が狭也に語ったことは忘れようにも忘れられない。狭也に贈った宝を身につけてもらえないことが恨めしいと、王はたしかにそう言ったのだ。
(あたしが欲しいと、顔に書いてある)
 このうえ、それがわからないほど、狭也とて鈍感ではない。
「王もお困りになるわ。今さらそんなことを聞けるわけがないの」
「わたしが困ると、なぜそう思う」
 ふいにおかしがるような声が響いて、狭也は鳥肌だった。戸口に背をもたせかけるようにして、山踏の格好をした王がいた。八田女は裏戸をあけて、何か捜し物をするふりをしながら出て行ってしまった。
(かあさんたら。あたしにとっては、この人が山の神くらいにおそろしいのに)
 よほど八田女は王を気に入ったのだ。狭也はつくろうことをやめにして、王に笑いかけた。
「あたしは、剣の巫女ですもの。稚羽矢とそうのが本来なんです」
「そういうことではない」
 王は困ったように頬をかいた。
「そなたの母御の目利きはただしい。わたしが、稚羽矢をさしおいて、そなたが欲しいと言ったなら、どうする」
 狭也は言葉につまった。王の目がよるべない子どものように揺れていたのを見てしまうと、もういけなかった。
「稚羽矢がそなたを巫女の役目から解き放つとしたら?」
 
  
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