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山の神3

Category空色勾玉 二次
 娘は、なんという希代の婿どのを連れてきたのか。
 八田女は我が家で起こった祭り騒ぎに疲れはて、床に入るなり眠ってしまった。目覚めたのは夜も明けたばかりの頃で、夫はいびきもかかず、身じろぎもせず眠っている。痛む膝をかばいながら体を起こすと、八田女は身支度をした。
 狭也が羽柴に夫を連れて戻った。
 そんな夢は、もう何度も見たものだ。けれど、夢の中でさえ、あんなただ人離れした麗しい婿は出てこなかった。しかも、相手は輝の末の御子さまだという。そんな方に見初められ、当の娘は恐れ入るわけでもなく、かしこまるわけでもなく、そこらの子どもをたしなめるような話しぶりなので、八田女は身も細る思いだった。
(思えば、あの子のいるところは、いつも賑やかだった)
 騒がしいくらいの夕べの宴会を思い出すと、口元がほころんだ。小さな頃はわんぱく者とも張り合って、なかなか元気に遊んでいたことを八田女は承知している。男も女もなくはしゃぎ回るころをすぎて、娘らしい分別を身につけても、誰彼となく声をかけられ、狭也の周りには笑い声がたえなかったことを、ふと思い出したのだった。
(ああ、こんなにも寂しかったのだね)
 しいて、思い出さないようにと暮らしてきた日々は、やはり寂しいものだったのかもしれない。
(あの子も、どんな苦労をしたのだろう)
 久しぶりに見た狭也は、見ちがえるほどだった。どこか自信がなさそうに身をよじるのがくせだったが、背筋を伸ばし、胸を張り、顔を上げて立った姿は、もったいぶったところなどなく、生まれながらの貴人のようだ。 作法を身につけたからだけではあるまい。浮かべた表情からは幼さが消え、一種てごわさのようなものを感じさせたのだった。
 並みいる姫君がお仕えする宮中で、きっと辛い思いもしただろう。それに加えて、小さくはない戦も起こったとなれば、その波乱はいかばかりか。里しか知らない八田女にも娘のこうむった困難は想像できた。
 しかし、狭也は笑っている。ともに暮らすには、少々肩が凝りそうな夫のそばで、幸せそうに。八田女は息を吐いた。
 夫婦二人の所帯に狭也を迎え入れたときは、まさか、こんな日が来るとは思いもしなかった。
 もてなすにも、ありあわせのものでなんとかするしかない。八田女はせめて娘たちが目覚めたときに、うまい水でも飲ませてやりたいと、桶をつかみ、表へ出た。
 すると、ちょうど庭木で見えない小道のむこうで、話し声が聞こえた。こんな時間に、奇妙なことだ。早起きの鳥ですらまだ眠っているこんな時刻に。ゆうべ領長の館で酒を振るまわれた帰りだろうか。
 白みはじめた空のおかげで、里の道に立っている人の姿はなんなく見て取れた。一人は、婿神さまだ。夜に見ても朝に見ても、信じられないほど美しいと、八田女はおそれとともにそう思った。
(もう一人は)
 装いで里のものでないことはすぐにわかる。怒りを抑えたような低い声がした。
 まほろばからの新たな客人だろうか。
 八田女があいさつするべきかどうか、まごついているうちに、気配でも感じとったのか、解き髪を一つに結んだ人が振り返った。
 鋭いまなざしを八田女にひたと当てたが、すぐにその表情は当惑したようにゆがんだ。
「狭也の母御か」
 婿神さまが科戸王と呼ばれたその人は、八田女の手から桶をとりあげた。
「わたしが行こう」
「いえいえ、おそれ多いことでございます。山の清水をくみに行くものですから」
「なおさらだ」
 科戸王は短く言った。
「ひざが痛かろう」
 八田女が驚くと、王は少しだけ笑った。
「身をかばうようにしているから、すぐにわかる。さあ、清水とやらはどこだ」



 老いた身で、こんなに居心地の悪い思いをすることになるとは。
 八田女をおぶった人の背は、細身の見た目を裏切ってじつに広く、しっかりとしていた。緩やかに傾斜した山の道を、息も切らさずに進んでいく。いつもは、休み休みで行く道をたちまちぬけて、水のわき出るこけむした小さな泉についた。
「遅いぞ、さっさと水を汲め」
 八田女をおぶったまま、王は婿神さまを叱りつけるように言った。狭也といい、この人といい、輝の御子さまをなんと心得るのだろう。桶など持たせていいような方ではないのに。
 生まれてからずっと、輝を奉り、輝の御鏡に守られてきた。死ぬまで御影を拝することなどできないはずの尊いお方につまらぬ桶を持たせ、あまつさえあごでつかうなど、もう、八田女にはとうてい理解できないのだった。
 とはいえ、それを言うのもおそれ多くて、口をつぐんでいることしかできない。桶のふちいっぱいに水を汲むと、婿神さまは手のひらで水をすくい、口に運んだ。
「冷たい」
 にっこりと笑った顔を振り向けられて、八田女は困惑するよりも、その無邪気さに驚いた。
「この泉は、山神の井と呼ばれております」
「いつも汲みにくるのか?」
 王に問われて、八田女は首を振った。
「なにもおもてなしできませんが、せめて水だけでも、と」
 王はふと身を屈め、泉に手を差し入れると、一口含んで飲み干した。
「たしかに、うまい」
 自分をほめられたかのように誇らしい思いで、八田女は笑った。
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