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祝言前    (一樹夜深さん)

Category勾玉まつり

 相容れないとされた輝と闇が手を取り合い、ひとつになる。その過程には稚羽矢と狭也の祝言が不可欠とされていた。
 しかし祝言を挙げる前に準備することは山ほどある。場を整えることもそうだし、人を整えることも急務だ。
 とくに当事者の一人である稚羽矢といえば、祝言の意味さえ知らないのだから、闇の王たちが思わず天を仰いでしまったのも仕方がない。
 小さな衝突を起こしながらも、輝と闇の王たちが大勢の人足を指揮して大王が住むに相応しい館を建てている間、稚羽矢に知識を仕込むのは鳥彦の役目となった。
 始めは狭也も付き添っていたのだが、あまりにも要領を得ない稚羽矢の様子に見ていられなくなったのか、途中で席を立ってそれきりになってしまった。
 稚羽矢はふざけているつもりもなく、祝言について鳥彦から真面目に学ぼうとしていた。
 彼は決して愚かではない。概要や手順などはあっという間に覚えてしまった。けれど、いつでもどこか余裕のあった額に皺を一本刻んで、うーん、と首を傾げている。
「まったく、なにをそんなに考え込んでいるのさ。祝言のことはもうだいたいわかっただろうに。後は実際にやってみればいいんだって」
「けれど鳥彦、わたしには肝心なことがわからない」
「肝心なこと?」
「愛しい人に愛しいと告げ、特別な所作で触れることは、人目にも神の目にもつかぬ帳の内でおこなうことと聞いた。あなたが説明してくれていることは、まったく逆のことのように思える」
「ああ、もう、それはねえ……」
 大きな翼を、稚羽矢の長い髪が揺れるほどにはためかせて、鳥彦はどっと脱力した。
「稚羽矢って案外、頭でっかちなんだね。こういうことは理詰めで考えるとあちらこちらに綻びが見えて、肝心なことが見えなくなるものなんだよ」
「けれど、いったいどうすればいいのだろう。わたしは大王になるのだろう。そのためには狭也との祝言が欠かせない、ということはわたしにもわかる。
 あやふやな心のままで大王などと名乗るわけにはいかない。このままでは、狭也と祝言を挙げることもできない……」
 稚羽矢は本気で苦悩しているらしかった。
 端正な顔が弱り果てたようにしょげ返るのを横目で見ながら、鳥彦は、はあ、とため息をつく。
「おれもなんだかこんがらがってきたよ。もう今日はこのくらいにして、明日また続きをしよう。一晩眠れば、いい答えが見つかるかもしれないし」
「そうかな……」
「弱気にならないでよ。それにね稚羽矢、否が応にも、時がくればわかるものだと思うよ」
 半信半疑で不安げな稚羽矢の肩に飛び乗って、鼓舞するようにくちばしでこめかみを突く。
 鳥彦が、また明日、と告げて去っていった部屋の中で、稚羽矢はぽつんと項垂れていた。
 いつの間にか斜めに入り込んでいた陽の光が薄くなり、あたりはすっかり暗くなった。外を見やると、少し遠い先にぽつぽつと篝火が見える。
 さらに遠く、山を少し分け入ったところに、木々の隙間からたくさんの明かりがこぼれ落ちるように見えて、稚羽矢は目を瞬かせた。
 昨日はなかった光だ。不思議に思って外に出ようとしたところで、小柄な人影とぶつかった。
 狭也だ。
「ああ、びっくりした。あなたったら、部屋の中にいるとまるで音を立てないのね」
「狭也、どうしたんだこんな夜更けに。……そんなかっこうで」
 稚羽矢が過ごす部屋まではわずかな明かりしか届かないが、闇に慣れた瞳には狭也がまとっている衣の詳細まではっきり見えた。
 簡単に結い上げた髪に生花を挿し、華やかな色の衣を纏っているが、裳はつけておらず、生地も村人が着るような木綿のようだ。
 闇の巫女姫として日頃狭也が身につけているものとは様子が違う。どうしたのだろう、と首を傾げていると、ぐいぐいと背中を押されて部屋の中に戻された。
「出かけるわよ、稚羽矢。衣を持ってきたから準備をしてちょうだい」
「どこへ?」
 身分あるものが夜中に供もつけずに出かけるとはとんでもない……とは、稚羽矢は微塵も思わなかった。
 単に不思議に思って、狭也に問いかける。稚羽矢の眼差しを受けた狭也はにっこりと笑み、遠くに漏れる明かりの大群を指さした。
「稚羽矢、今日は満月なの」
「うん」
「今日の満月は特別よ。一年に一度の、特別な日なの」
 内緒話を打ち明けるように、座り込んだ稚羽矢の耳元に狭也が唇を近づける。
 狭也の言葉を噛みしめながら、結局なんなのかがよくわからなくて、稚羽矢は明かりの方に面を向けた。
「あの明かりはなにものなの?」
 あれはね、と狭也が笑う。
「お祭りの明かりよ。今日は嬥歌が行われる日なの」



 嬥歌とはなにか、と稚羽矢に問われるのは想定済みのことだったのだろう。
 狭也は、稚羽矢が手綱を繰る馬に危なげなく同乗しながら、歌垣きのこと、そこに集う男女のこと、交わされる贈り物や歌のことを明朗に言って聞かせた。
 並足で進む馬の足はそれほど速くない。狭也を両腕の間に挟んで言葉を交わす時間に気分を高揚させながら、稚羽矢は熱心に彼女が語る話を聞いた。
「歌を詠み交わすのか。贈り物のことは聞いたけれど、それは初耳だ」
「嬥歌はまた、特別な行事だもの。ならわしというか。あたしたちはもうあそこに参加することはないけれど、あなたは見たことないだろうと思って」
「うん。初めてだ。けれど、参加しないのか? せっかく行くのに」
 素朴に尋ねると、狭也がぎょっと目を剥いた。ついで、眦を上げて稚羽矢に顔を寄せて詰め寄ってくる。
「まあ、あなたったら、あたしを伴侶とするのではなかったの?」
「だから、狭也に歌を贈るんだ。わたしに歌が詠めるかはわからないけれど……」
 声が尻すぼみになると、狭也がぱちぱちと目を瞬かせた後で、ふわりと相好を崩した。
「そういうこと。あなたに歌をもらえたらそりゃあ嬉しいけど。でも、伴侶を見つけるお祭りだもの。主役はやっぱり、まだ相手がいない人たちだわ」
 狭也が笑うと、稚羽矢はなにか考え込んだようだった。
「けれどわたしは、あなたになにかを贈りたい……」
 思いがけない真剣な声音に、狭也は大きな瞳をじっと稚羽矢に向けた。それを覗き込むように、稚羽矢も狭也に視線を向ける。
 間近で見交わされる真摯な視線に、先に根負けしたのは狭也の方だ。俯いてしまった先で、頬が篝火の炎を当てたように染まっている。
 触れたい、とふと思った稚羽矢だが、両手で手綱を握っているので、手を伸ばす時機を見失ってしまった。
「どうしたの。鳥彦との話で、なにかあった?」
「科戸王にももらったのだろう? 確か、翡翠の」
「あ、あれはそんなものじゃないわよ! お見舞いの品だもの。あの方にもそんな意図はないわ」
 それは嘘だ。狭也がわかって言っているのかどうかは知らないけれど、科戸王が狭也を憎からず想っていることを稚羽矢は知っている。
 ただ、科戸王の話で狭也が狼狽えるのが気にくわなくて、両腕をぎゅっと狭めてみた。
 あっけなく挟まる柔い身体に身を寄せて、不思議そうに見上げてくる狭也の額に自分の額をあわせる。
「わたしは大王となって、さまざまなものを手にするのだろう。多くはわたしにとって不要なものに違いないけれど、それを背負っていく覚悟はできているつもりだ。
 けれど狭也、あなたは違う。わたしはあなたが欲しい。欲するものを手にするためには、それなりの作法がいるという。あなたとともにあるために祝言を挙げるのだというけれど、まだわからない」
 狭也はじっと稚羽矢の言葉を聞いていた。また呆れさせてしまうだろうか、と不安に思う稚羽矢をよそに、彼女は「仕方ないわね」とでもいうように笑った。
「とても慣れないことをしているのね、稚羽矢。あなたはもともと感覚で動く人なのに。――でも、そんなふうになるまで考えてくれるなんて嬉しいわ。
 さあ、早く嬥歌を見に行きましょう。あそこに行けば、なにかわかるんじゃないかしら。あたしも、あなたにうまく説明できるような気がするの」
 たおやかな手が稚羽矢のそれに重なる。ひんやりとした体温を感じると、ふいに鼓動が高鳴った。
 そこに行けば、この不可解な――甘やかで、なんとも御しがたい気がする高まりの意味もわかるのだろうか。



 遠くに見ても目映かった光は、近づくにつれてさらに賑々しい装いを見せた。
 木々をかき分けた先の少し開けた場所にしつらえられた篝火の多さも見事だし、楽人たちの音楽に合わせて足取りも軽やかに踊り、笑い合う人々の活気に満ちていた。
 夜であることを忘れるくらいの、賑やかさだ。夜闇や影は遠慮して、広場の隅の隅へと固まって身を寄せているようにも見えてくる。
 稚羽矢の思っていた以上に、集まっている人々の年齢層が幅広かった。
 岩姫さまのような婆は見あたらないけれど、科戸王や、もっと言えば開都王と同じくらいの歳に見える人々も踊りの輪に加わっているのが目を惹いた。
「歌が聞こえてくるね」
「ええ? 笛の音が大きくて聞こえないわ」
「聞こえるよ。やっと会えた愛しい人――と、詠んでいるようだ。あちらもこちらも、真剣な声だね」
「村の人たちにとっては、滅多にない機会だもの。みんなあらかじめお目当てを決めておくのよ。娘同士だと、自分の思い人に歌をもらっても返歌をしないように約束をしたり」
「狭也も?」
 篝火の明かりがうっすらとのびている木立の影から嬥歌の様子を眺めていたが、ふと気になって狭也を見下ろす。
 斜め上から眺める狭也のかんばせは柔らかな曲線が美しく、髪に挿した生花に負けぬほど、狭也自身が匂い立つようだ。
 彼女は少し躊躇ったように見えたが、しぶしぶといった風情で頷いた。
「あたしは、約束させられる側だったけど」
「歌を受けたの?」
「一つも返さなかったわ。断りの歌ばっかり。あの頃は、誰かを一途に恋しく想う気持ちなんて知らなかった……」
 あの頃に狭也が持っていたのは、暗闇を導いてくれる月明かりへの憧憬だけだ。それは確かに恋と呼べるものなのかもしれないけれど、稚羽矢に感じるような慕わしさとはまた違ったものであると感じている。
 呟くように言う狭也の頬がどんどん染まって、それを隠すように俯いていく。稚羽矢は心惹かれるままに手を伸ばし、壊れ物を扱うように狭也の頬に指を滑らせる。
 指先に伝わってくる温度は高かった。ひんやりした手のひらとの対比に、混乱しそうになる。
 両手でしっかりと狭也の頬を包んで、そっと首筋へと滑らせる。ふるり、と小さくわななくように震えたが、黒目がちの大きな瞳は、潤みを帯びながらも真っ直ぐに稚羽矢に向けられている。
「あなたは?」
 小さく囁くような声が耳朶を打った。いじましく、かそけない声音にこの上ない甘さを感じて、胸が歓喜に震えるのを自覚する。
 答えようとしたけれど、口の中が干上がってしまったようにカラカラで、言葉が喉にへばりついてしまったようだ。
 稚羽矢は身を屈めて、ぷくりと膨らんだ柔らかな唇を柔く吸った。ほんの少し身を固くしながらも受け入れてくれる狭也の温もりに甘えながら、芳しい香りを胸一杯に吸い込む。
「ずっと言っている――狭也、わたしはあなたが欲しい」
 やっと発した声は、いつもの滑らかさをまるで感じられないほどひどいものだった。それでも狭也は嬉しそうに微笑んで、想いを込めて稚羽矢の手に自分の手を重ねてくれる。
「あたしも、あなたが欲しいわ。一緒にいたい。水の乙女ではなく、大王の妃ではなく、ただの狭也として。――あなたに勾玉を預けてから、ううん、それ以前から、ずっと同じ気持ちだわ」
 一息に言った狭也は、その勢いで稚羽矢の胸に顔を埋めてきた。いつの間にか小さく感じるようになった身体をそっと抱きしめながら、稚羽矢は得心がいったように息をついた。
「ああ――そうか。輝の末子としてでなく、大王になるものとしてでもなく……わたしは、ただの稚羽矢として、あなたを恋うているんだった」
 いろいろなことがあって忘れていた。そう思わず呟くと、とん、と軽い力で胸を叩かれた。
「もう、しっかりしてちょうだい」
「ごめん」
 わかってしまえば明朗なことで、稚羽矢はくすくすと笑い出した。
 祝言は光の下で、稚羽矢と狭也の契りを世に知らしめるために。
 そして、ただ恋しい人と思いを交わすのは、互いの視線しか交わらぬ、人目にも神の目にも隔てられた場所で。
「あなたとこうしているのは気持ちがいいものだね」
 互いが触れあったところから、ぽかぽかと温まってくるようだ。
 それは胸の奥にまでじんわりと浸透して、稚羽矢は自然と艶やかな笑みを浮かべる。
「もう一度、してもいい?」



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