みなかみの    (浮雲さん)

2013.01.01.Tue.00:00


 日が沈み暑さが少しずつ和らいだ濃紺のなか、魚が跳ねたような水音だけが木霊していた。
 こんな夜遅くに川で何かあるのだろうか、とすぐ近くを歩いていた麻斗(あさと)は足を忍ばせて様子を見に行った。
 足音を立てないように川辺に近づきゆっくりと草の根を掻きわけるが、月明かりが逆光になっているせいかほとんど見えない。ときおり照らされる輪郭を慎重に捉えてから麻斗は息を呑み込んだ。それは漆黒の髪をぞんざいに遊ばせながら身を清めている人だった。
 その人物は麻斗に気がつくことがないまま身を清め、しばらくしてから薄衣を羽織り、川を出て行く。拭った髪が風に煽られ横顔を垣間見る。
立ち去ったことにさえも気がつかないまま麻斗はそこに立ち尽くした。時間が止まったかのようだった。

 その次の日も麻斗はその場に密かに訪れたもののその人物は来なかった。
日中をぼんやりと過ごすことが多くなり、ついに見かねた友人の弓弦(ゆづる)が声をかける。
「おい、最近どうしたんだよ。心ここにあらずじゃないか。もしかして……心にかかる女人でもできたのか」
 面白そうに、にやにやと遊んだ笑みを浮かべ弓弦が言ったのを真面目な顔をして麻斗は言った。
「そうかもしれない……。どうしよう」
 真面目腐った、ともすれば必死になった形相の麻斗に呆れながら、聞いてしまったのが災いした弓弦は溜息を吐きながら言った。
「しょうがないな。話してみろよ」
 たった一瞬の出来事を夢見心地のうっとりとした目で麻斗は話した。それを聞いた弓弦は怪訝な顔をしてゆっくりと確かめるように言った。
「まさかとは思うが、それは最近出来た隣村の……日高見の長、名前はなんていったけな。小倶那だったっけ? そいつの妻ではないだろうな? 気をつけろよ」
「え? まさか。そんな人が共も付けずに一人で川に行くわけがないだろう?」
「まあ、確かに。でも、お前が忘れられないくらいに美しかったんだろう?」
「美しい? 何を言っているんだ。あれは美しいなんてもんじゃない。まるで天女だ。あんな人、今まで見たことがない」
「あ、ああ……そうか。た、たださ、よく噂で聞くんだが……その長はたいそう寵愛しているらしいぞ。浮いた話しも聞かないくらいぞっこんらしい。おまけにここいらじゃ見かけねえ別嬪だとか……」
「……どういう意味だよ。あの天女様がそいつの妻だって?」
喧嘩を売るように声を一段と低くさせた麻斗の様子を伺っていた弓弦は両手を上げ、降参とばかりに言った。
「ま、お前もせいぜい頑張れよ」
 さっさと離れて行ってしまう弓弦の背を見送ってから麻斗は両手をついて空を見上げた。ちらつく人物に想いを馳せながら、物憂げに遠くを見つめることしかできなかった。


 冬は雪で覆われ凍てつくような寒さのする日高見にも夏が来た。
 生まれ故郷である三野とは違う暑さだけれど、それでも季節が存在することの嬉しさと汗を滲ませながら遠子は慣れない家事仕事をしていた。もとから苦手な遠子には人より何倍も時間がかかってしまうのだ。
それでも当初よりかはましだった。当初のうちは慣れない上に、全て一人でやろうとして空回りするということが続きそれを知った小倶那や武彦たちは気を利かせてときおり手伝ってはくれたが、長い冬を越え芽吹きの春になった瞬間今だと言わんばかりに田畑作りに忙しくなってしまった。頼りにしていた男たちは田畑中心となり遠子を手伝ってやる余裕はない。それでも遠子には文句が言えなかった。食べることがいかに大切かみんな身をもって知っているのだ。ただ、泥のついた衣が増えていくのだけは遠子も小言を言わずには要られなかった。そんな春を越して村全体が少し落ち着いたところに、「村で一人しか女性がいないとなれば村としても存亡にかかわる」と村の長となった小倶那が提案し「妻子のいるものは迎えに行ってもいい」と武彦らに言ったため、この夏に何人かの男たちが出払ってしまった。それは仕方のないことで、夏を逃すと次の夏までには身動きがとれないのだ。冬は雪で閉ざされ、春は植え替えの時期、秋は収穫の時期と村全体が忙しい。常に旅の連続であった男たちだが、永住するとなれば今まで寂しい思いをしてきたのであろう妻子たちに時間を当ててほしいと小倶那が配慮したからだった。また今後のことを考えても小倶那と遠子にも必要となる存在は明白だった。
遠子は流れる汗を腕で拭いながら、真っ白な衣を川で濯いでいた。静かに草を踏みしめる音がして小倶那の真っ白な衣に影が映る。振り向いて遠子は破顔した。
「遠子、手伝うよ」
 微笑んで籠に入っている残り少ない衣を手にとり、小倶那は川の水に浸す。暑さを和らげるほんのりと冷たい水に小倶那は指を遊ばせた。
「気持ちいいでしょう?」
 得意げになって遠子は笑った。
 その笑顔を見て小倶那は笑い、少しだけ心配したように小倶那は言った。
「でも、ずっと浸かっていたら手が痛んでしまう」
 小倶那は片手を泳がし水の中に浸かっている遠子の手を掴みそっと包んだ。
 驚いたように指をぴくりと動かしてから遠子はさっと顔をそらした。
「は、早く洗ってしまいましょう。そうすれば痛まないんだから」
 暑さとは違う火照りを浮かべながら遠子は急いで衣を籠に戻した。
 その反応に小倶那はおかしそうに笑うと、遠子は怒ったように瞳を上げてむくれさらにおかしくなって小倶那は笑った。
 遠子が籠を持ち上げるとその籠を当たり前かのように小倶那がひょいと掴み取る。
そのまま家路へと向かって歩いた。
 暑さのためか遠子は高く結い上げた髪をうっとうしげに払う。そんな様子を横目で見てから小倶那は探るように言った。
「ところで遠子、最近夜に一人で出かけたかい?」
 驚いた遠子はすぐに声を出しそびれてしまったことに気がつく。今の反応で敏い小倶那には何を言ってもうそだとばれてしまうだろう。正直に遠子は謝った。
 どこに何をしたとは言わない遠子に眉を顰めてから寂しそうに小倶那は言った。
「僕にも言えないこと?」
 小倶那の顔を見た遠子ははっとして首を振り、少ししてから口を開いた。
「……ここのところ、暑いでしょう?だから、川で水を浴びに行っていたの」
 小倶那は驚いて言葉を失う。しかしすぐに確かめるように遠子に聞いた。
「夜に……? 一人で……?」
 遠子は頷いた。
「でも心配しないで。川はもう少し離れたところにあって人がいないの。それに無事に帰ってきているでしょう?」
小倶那を納得させようと言った言葉に、さらに小倶那の瞳は鋭くなった。
その瞳に怒気を含んでいることに気付き遠子は瞳を反らせた。
「君はわかっていない。それがどんなに危険なのか。……君は女性なんだ。もし見つかっていたらどうするんだ。女性が夜に一人で出歩いて、しかも誰もいないって? なら、見つかったらなおさら危険じゃないか。どういう意味か、君にだってもうわかるだろう?」
 一瞬だけ顔を赤くしてから息を止めた遠子に諭すよう小倶那は言う。その声に、愛しさと心配さが含まれていることを知った遠子の瞳にじんわりと涙がせり上がってきた。
 小倶那は籠を置いて遠子に向かい合う。遠子の頬に手を置き、反らした瞳をこちらに向けさせた。涙を溜めた瞳と目が合い、安心させるかのように遠子の瞼に口づけた。再び目が合うと今度はゆっくりと言う。
「もし次も行くつもりなら、必ず僕もついて行く。わかったね?」
 それ以上は小倶那も遠子も何も言わなかった。
 
 次の日の夜、夕飯を食べ終わりあとは床につくだけとなったとき、機嫌をうかがう小さな子供のように、しかし恥ずかしそうに声を顰めて言った。
「ねえ、水を浴びに行きたいの……。ダメかしら?」
 その頼みを聞いた小倶那は一瞬言葉を呑み込んだけれど、顔には出さずに「わかった」と短く言った。他人から見れば小さな子供のようなご機嫌とりも、小倶那から見れば誘われている心地だった。声を顰め恥ずかしそうに上目使いをされたとなれば、それがどんなに魅力的だったのか遠子は知らない。そんな思いを悟らせないように、せっかく川に行くのだからと小倶那は振り払うかのように自身の用意をいそいそとし始めた。
他の者にばれないよう音を立てずに慎重に裏口から出る。
妙に慣れている遠子を見真似て、遠子の後をついて行った。慣れた道を歩いて行く遠子に、一回だけではないと知り小倶那は静かに溜息を吐く。そして、そんな遠子に気付けなかった自分に腹が立って小倶那は拳を握りしめた。
木々の間を横切って歩くと、蛇行した川の窪みに出た。月灯りは明るく川全体が全て見通せるかと思いきや、この辺りでは珍しい高い木々がちょうどよく覆い隠す。
確かに遠子が安心するのも無理はないな、と思いつつも小倶那はその周りを注意深く見渡した。
衣のさらさらという音がして小倶那はぎょっとした。すでに上掛けを脱ぎ始めていた遠子に待ってをかけるように脱ぎかけの上掛けを抑えつける。困ったように小倶那は声を顰めた。
「どうして何も言ってくれないんだ」
「だって、何回も言ったのに小倶那ったら何も言わないのだもの」
 遠子の顔にうそを言っている様子はない。少し拗ねた言いように小倶那は「ごめん」と返し腕を下ろす。周りを見渡していたことに小倶那は集中していたのだ。
 遠子はにっこりと笑って自信満々に言う。
「でも、何かあったとしても小倶那は私を守ってくれるのでしょう」
 あっけにとられた小倶那に遠子は思わず笑みが零れる。
「じゃあ、ちょっとそっち向いていて。私がいいと言うまで絶対見ないでね。そうしたら小倶那と交代して私が小倶那を守っているわ」
 仕方なしに小倶那は遠子から背を向ける。少なくとも先ほど見ていた限りでは人影はいないだろう。遠子の言葉に気を抜かしたのか、人影がいないことに安心したのかその二つなのか、小倶那は少し力を抜いて幹に背もたれた。
 衣のさらさらとした音と水の跳ねる音を聞いて、今どういう状況なのか想像してしまい小倶那は一気に頬を赤らめた。思わず身動いてしまい、落ち着かせるように深呼吸をする。
 そのときだった。小倶那が身動いたと同じように誰かが身動きするのを感じて小倶那は身構えた。その場を見廻して精神を研ぎ澄ます。少し川から離れた、草木ではありえない、水面と月明かりを受けて反射する双眸を見つけると気配を殺して小倶那は静かに立ちあがった。

 あれから何度も麻斗は川へ行った。全く会えないとわかってはいても偶然でも奇跡でもいいからと、藁にも縋る想いで見に行っていたのだ。
 暑い日差しのなか、珍しく今日こそは会えるかもしれないと強く思い、これで会えたら運命だと信じその晩ひっそりと村はずれにある川まで赴いたのだった。
 しばらく草陰に潜んで待ってはみたものの一向に人の気配がないことに愕然としながら今日も諦めて帰ろうと思っていた時だった。土を踏みしめるかさこそとした足音が聞こえ麻斗は胸を躍らせた。
 じっと待ってから伺うようにそろりと草陰から覗く。現われたのは先日の女神のように美しい女性と、その後ろ隣りにいる男。その男に嫉妬しそうになったものの、あまり言葉を掛けあっていないところを見て麻斗はただの従者だと勝手に決め付ける。従者がいることに疑問を持つべきであったが、それよりもその美しい女性を見て麻斗は何も考えられなかった。麻斗にとって、真正面から顔を見たのが今回初めてであり、何度想像しても実際に今見た顔が美しかったのだ。
 従者のような男がこちらを見廻したのを知って慌てて息を殺し草陰に身を埋めた。土を見ているのでさえその女性の美しさが見えるようでしばらくそうしてやり過ごす。
 そして気がついたときには水音の跳ねる音がして思わず顔を上げた。
 やはり月明かりを纏うこの女性があまりにも美しく、解き放たれた髪が黒く艶めくのを見て目が離せなくなってしまう。全ての意識は天女様に注がれその美しさから何も出来ず、この機会を見逃すまいとただ息を殺しながら凝視する。

 静かに金属特有の鋭い音が耳元で鳴った。その音にはっとなって麻斗はぎこちなく首を回す。首元に銀色の重々しい鈍光を見て麻斗は息を詰まらせた。
「何を見ている」
剣と同じような鋭い声に麻斗は唾を呑みこむ。
夏だと言うのにひやりとした冷たい空気に暑さとは違う汗が流れた。
首元の剣が収まり、ようやく麻斗はその人物にゆっくりと振り向く。もしかしたらでもなく、先ほど見えた従者しか考えられずに麻斗は焦った。
凍てついた空気を纏い、瞳の奥にある熱烈な炎を見て麻斗は言葉を噤む。
「何をしていると言っているのが聞こえないのか」
 小さく淡々とした言葉に怒気が溢れており、縮こまった声で答えることしか麻斗にはできなかった。それでも一介の従者に言われる筋合いはないと思い歯を食いしばって言葉を発する。
「な、なんだよ! お前こそなんなんだ!」
 小倶那の眉毛がぴくりと上がる。
「人に名前を尋ねるときは、まずは自分から名乗るものが礼儀だと教わらなかったのか。そなたは誰だ?」
 かっとなって麻斗は言う。
「俺は、狭賀武の、麻斗だ! お前こそ誰なんだ?!」
「狭賀武……。かの国にこんなにも礼儀の無いやつがいたとは知らなかった。私か? 私は、小倶那だ」
 自分の村を馬鹿にされ麻斗は頭に血が上ったが、従者と思わしき人物の名前を聞いて血の気が引いた。
 無言になった麻斗を見て、鋭いまなざしで小倶那は麻斗を見下す。
 愕然としたかのように小倶那の足元を見て麻斗は小さく呟いた。
「……ということは、あの……美しい、天女様は――」
 その言葉を遮るかのように小倶那は言う。
「私の遠子に何の用だ」
 悔しくて、でもその先にある未来なんてたかが知れていて麻斗は唇を噛みしめることしかできなかった。
「用がないなら早く立ち去れ」
 喧嘩に覚えはあるものの麻斗は小倶那のその威圧感と殺気に負けを知る。せめてこれが美しい天女様、いや遠子様の心が少しでも麻斗にあるものならば立ちあがることはできたのかもしれない。しかし――。
 静寂に包まれた水面を月明かりがゆらゆらと照らしているなか、朗らかな明るい声が川全体に響いた。
「小倶那? どうしたの、そんなところに立って」
 初めて聞けたその声にやはり胸が高まって仕方がない。しかし、胸が高まるのと同時に切なさが全身を支配する。
「いや……。何かいると思ったんだけど、どうやら僕の気のせいだったみたいだ。遠子は気にしないでいいよ」
 麻斗に向けた声とは明らかに違う、優しい声と眼差しをして返す小倶那の一言で「そう、早くこっちへ来てね」と安心したよう笑って返す遠子を感じた。二人の間柄をまざまざと見せつけられた気がして目の前が滲む。息を殺し、手を強く握って麻斗は耐え忍んだ。
 遠子に対する優しい空気を再び凍らせ小倶那は麻斗を見た。
その気配で小倶那が麻斗を見ていると知った麻斗は、乱れそうになる呼吸を落ち着かせるように大きく息を吸ってから、震えそうな声を押し殺し麻斗は口を開いた。
「……っ、すみませんでした。ご無礼を、お許し……ください」
 そうしてゆっくりと身体を上げて二人を振りかえることもなく麻斗はもと来た道を辿っていった。
 ふらつく足元は危なげで、霞んだ瞳では何も見えなくて、しばらく進んでから麻斗は静かに立ち止って口を手の甲で抑えた。身を焦がすほどに募った想いが涙に代わって溢れる。
 麻斗にとって、初めての恋だった。

 魂の抜けたような麻斗を静かに見送って、小倶那は己の手のひらを強く握る。
 未だ川のなかにいる遠子を、約束を破って静かにそこから見つめた。
 逆光でほとんど見えないといのに、月明かりに晒された遠子はまるで輝いており美しい黒髪がときおり煌めく。むしろその逆光でさえも遠子を美しく彩る飾りでしかない。後ろ姿でさえも眩く光る遠子に思わず目を奪われた。普段とは違う緩慢とした動きも、戯れているようで心がざわつく。
 天女様、そう言っていたのを思い出す。
 あの男が遠子を見る目は本物の思慕だった。思慕を抱かれるよりも、今の遠子の姿を見られていたことに嫉妬してたまらない。
 何かあったのだと悟らせないようゆっくりとした足取りで先ほどいた場所まで戻ると、その音に気がついたのか遠子は顔をちらりと向けて不思議そうに小倶那を見た。
「やっぱり、何かあったの?」
 何も知らない遠子に小倶那は微笑む。
「なんでもないよ……」
 少し困ったように切なげに遠子を見て小倶那は言った。
 意味のわからない遠子は小倶那の顔をまじまじと見てからすぐに話題を変えた。
「ねえ、そろそろ出たいの。そこの衣の切れ端を投げてくれない?」
 籠に入っている、拭うための切れ端を小倶那は指し示した。大正解とばかりににっこりと笑う遠子を見て、小倶那はその切れ端と衣を手に取り遠子に近づいた。
 こちらにやってくる小倶那に驚き急いで身を隠そうとあたふたしている遠子をよそに小倶那はおかしそうに笑った。
「大丈夫、何もしないしすぐに後ろを向くから」
 怪訝そうに遠子は小倶那を振り向くと、小倶那は切れ端と衣を渡すと少し離れたところで後ろを向いた小倶那を見て遠子はほっと息をついた。
拭って川を出ると、遠子は衣を身に着け始めた。最後に紐を腰辺りで結んでいるところで小倶那はいきなり振り向いて遠子を抱きしめる。少し掠れた声が小さく遠子の耳に届く。
「遠子は、ずるい」
 遠子は何事かと思い口を開こうとして、しかしその前に小倶那は遠子の頬に軽く口づけてから身を離した。
「なら次は僕の番だ。頼んだよ、遠子」
 頬を手で押さえ顔を真っ赤にさせた遠子をよそに、小倶那はさっさと身に着けていた衣を脱いでいく。
「もう、いきなり脱がないでよ」
 恥ずかしさから涙を浮かべさせた遠子はいきよいよく後ろに振り向いた。小さく小言を言いながらも小倶那から背を向け幹に寄りかかる。それを見ていた小倶那は嬉しそうに笑みを浮かべて川の中に入っていった。
 遠子とは違い大きく水音を立てながら小倶那は身を流していく。
 気になって遠子はちらりと横目で小倶那を見てからせわしない鼓動を持て余した。
 視線を感じた気がして小倶那は遠子に振り向くと、遠子とばっちりと目が合い小倶那の動きが止まる。
 それに気がついた遠子はすぐに木々の方に顔をそむけた。
 耳がうっすらと赤いような遠子を見て小倶那も顔が赤くなった。火照った頬を冷やそうと小倶那は顔を洗う。
自分を見ていた遠子に嬉しさを感じて小倶那の顔にうっすらと笑みが零れた。自分がどんな想いで遠子のことを考え見ていたのか、自分のように遠子も想えばいいんだ、と思いながら小倶那は嬉しそうに髪を掻き上げた。


 「お、おい……。お前、大丈夫か? なんか、あったのか?」
 昼。あまりにも仕事に身の入らない麻斗の様子を聞きつけて来てみると、魂の抜けたようにただ茫然としている麻斗の姿があった。
 まさかと思い、怖々と麻斗に聞く。
「な、なあ。まさか……」
 瞬きもせずに麻斗の瞳から涙が流れる。
 いやな予感がして口を開くと――。
「天女様を……遠子様を見ているところを小倶那様に見られた」
 だから気をつけるように言ったじゃないか、と思った弓弦であったが友人の痛ましげな様子に「大丈夫、小倶那様は心が広いと有名だ。気にするな、大丈夫だ、何もなかったんだろう、だったら大丈夫だ。だから、な?」と必死に言っても麻斗は遠くを見つめてからゆっくりと弓弦を見た。そしてふらふらとした足取りで家に向かってしまったのだった。
 
「ねえ小倶那! 今日も暑いわね。だから、行きましょう?」
可愛らしく小首をかしげて楽しそうに遠子が言ったのを聞いて小倶那ははっきりと断った。
「だめだ。もう二度とあそこへは行かない」
「どうして?」
「どうしても」
「……たまにはいいじゃない」
 ぽつりと寂しそうに言われてしまえば、ぐらつきそうになる気持ちを抑えて小倶那は言った。
「やはり危険だ」
「私は小倶那とああやって出かけられて楽しかったのに……」
 その言葉に嬉々としてしまったけれど、光景を思い出して今度行ってしまえば理性までも失ってしまうのでないかと思い小倶那は口を噤んだ。


小倶那はぽつりと呟いた。
「……やはり、危険だ」



関連記事
コメント
遠子の自然体の美しさが存分に発揮されていると思いました!
麻斗と一緒に私もドキドキでした。
そして麻斗と一緒に小倶那にビビリまくりでした。
小倶那の、遠子以外への容赦のなさはさすがですね(萌えポイント)

管理者のみに表示