やわらかな髪   (糸村和奏さん)   

2013.01.01.Tue.05:00

なにやら視線を感じ、阿高が振り向くとそこには鈴がいた。
「あ」
「……なにか用か」
予想外に近い距離に内心うろたえつつも、顔には出さずに阿高は尋ねる。一方鈴はまったく悪びれることなく、中途半端に伸ばした手を振った。
「ごめんなさい。ちょっと、いいなあって思って」
「は? 何がだ?」
「あなたの髪が」
意味が分からず首を傾げると、鈴が笑った。
「あなたの髪、すごく柔らかそうだから。触ったら気持ちいいかしら、と思ったの」
思いがけないことを言われた阿高は面食らった。
「おれの、髪?」
「ええ。でも、急にしたらびっくりするわよね。ごめんなさい」
謝るのはそこなのかと思いながら、阿高は改めて鈴をまじまじと見る。生粋のお嬢様育ちでどこか天然なところがある彼女には、今までにも何度か驚かされてきたが。今回もまたおかしなことを言い始めたものだ。
髪に触れるという行為は不思議な親密さを感じさせる。相棒のように恋だ愛だと騒ぎはしない阿高でも、それは感覚で分かっていた。
ここに藤太たちがいなくて良かったと思いながら阿高は尋ねる。
「……なんでいきなりそんなことを思ったんだ」
「だって」鈴はあっさり答えた。「わたくしの髪は、とても結びにくいの」
「は?」
意味が分からず問い返した阿高に、鈴は口を尖らせる。
「千種さんのお家に遊びに行った時にね、綾音ちゃんと3人で髪を結び合いっこしたのだけど」
綾音というのは千種の従姉妹である。流行にうるさく情報通だと評判で、悪い子ではないのだがとにかく賑やかだ。
阿高としてはあまり近づきたくないというのが本音だったが、その彼女が、せっかく女子が集まったのだからと最近のファッション雑誌をいくつか持ち込んだのだと言う。
そこにヘアスタイル特集、というのが載っていたので、3人でいろいろと試してみることになったというのだ。もっとも先陣を切っていたのは常に綾音で、千種と鈴は半ば引きずられるような形だったようだが。
「千種さんはアップにしたらすごく可愛かったのよ。藤太に見せてあげないとって、綾音ちゃんが携帯で写真を取ってたの」
「……ああ、それでこの前藤太がうるさかったのか」
いつも千種千種とやかましい相棒が、数日前にことのほか騒いでいたのを阿高は思い出す。確かに、「見ろ阿高、千種のうなじが!」などと意味の分からないことを言っていた。おそらく綾音から写メールでも送ってもらったのだろう。
「でも、わたくしの髪はまっすぐでしょう。結んでも落ちてきてしまって、うまくアレンジできないって綾音ちゃんが言うの。うまく癖がつかないんですって」
「それがなんだ」
「だから、阿高の髪がうらやましいなって思ったのよ。結びやすそうで」
阿高が思わず身を引いたのを見て、鈴はころころと笑った。
「安心して。別に阿高の髪で遊ぼうとは思っていないから」
「おまえな……」
「でも、ちょっとだけ触ってみたいの。ダメかしら?」
言われて阿高はためしに自分で毛先を摘んでみる。昔から猫っ毛と言われている、触り慣れた感触だ。
「……べつに面白いものでもないぞ」
「いいの?」
鈴が顔を綻ばせて手を伸ばす。
頭に触れるくすぐったい感触に、阿高はうろたえて顔をしかめた。気づけばさっきよりも鈴との距離が近い。椅子に腰掛けている自分の目の前で、立ったままの鈴の制服のリボンが揺れている。
にわかに落ち着かない気分になった阿高をそっちのけで、鈴は無邪気にはしゃいでいた。
「ほんとうに柔らかいのね、阿高の髪って。藤太とはまたちょっと違うわ」
聞き捨てならない言葉に、阿高は思わず声を上げた。「おまえ、藤太にも同じことをやったのか?」
「? ええ、昨日」
「いいって言ったのか、藤太は」
「千種さんも一緒に触ったもの」
藤太のやつ、と阿高は内心舌打ちする。彼にとって鈴は妹のようなものなのだろうが。
「……他の奴には」
「まだしてないわ」
阿高は髪をなでる鈴の手をおもむろに掴んだ。
「阿高?」
それでも動じた様子のない彼女に、思わずため息が漏れる。
なにやら無性に悔しい思いがして阿高は立ち上がり、鈴の髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。
「きゃ、ちょっと、阿高!」
「おまえだっておれに触っただろう、仕返しだ」
鼻を鳴らして阿高が言うと、鈴は「そんなのずるいわ」とうらめしそうにぼやく。
「もう、結びなおさなきゃいけないじゃない」
二つに結ばれた鈴の髪は、指からすり抜けるようにさらさらだった。なるほど、これでは確かに癖はつきにくいだろう。
なんとなく胸がすっきりした阿高は、さっきから思っていたことを尋ねてみた。
「ところで、おまえの写真はないのか」
突然の問いかけに、鈴はきょとんとする。「なんのこと?」
「髪をいじった時、千種は写真を撮ったんだろう。おまえも撮ったんじゃないのか?」
するとめずらしいことに、鈴は目を泳がせた。
「ええと、その、ないの。わたくしは撮ってないのよ」
嘘が下手なやつだ、と阿高は思った。別にそこまで写真を見たいというわけではなかったが、こんな反応を見せられると気になる。
「見せろよ。どんな奇抜な頭になったんだ」
「撮ってないったら! ね、もう帰りましょう!」
「こら、逃げるなっ」
慌てて鞄を持って駆けていく鈴を、阿高はおかしくてたまらない気分で追いかけた。


「あけましておめでとう、阿高」
ずっと家で練習してきたというそのヘアスタイルを、阿高が目にすることになるのは。初詣の日のことである。



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