夢の通い路   (Junさん)

2012.12.31.Mon.16:07


 昼と夜。
 夢とうつつ。
 そして静寂。

 これが、わたしを取り巻く世界。

***

 暗闇の中。ひとりで縮こまっているこどもの背中があった。
 女の子だろうか。よく見るとわずかに震えているようだ。
 なぜ、ひとりでいるのだろう。
 声を掛けようと一歩踏み出した途端、少女の姿がかき消えた。

「お願い。ふりむかないで」

 今度は後ろから声が聞こえた。
 さっきの少女だろうか。

「ふりむかないで」

 ―――怯えている?
 振り向いたら一体、何が起こるのだろう・・・

***

 視界が変化した。目に入るのは夜空だが、あたりは闇ではなかった。松明が煌々と照らしている。
 視線を動かすといつもの世界。清められた神殿の中だ。いつのまにか眠ってしまっていたらしい。ゆっくりと身体を起こしてみる。
 いつから眠っていただろうか。昼からか、夕からか。
 
 何度も昼夜が入れ替わるが、わたしには時の感覚があまりない。
 
「寝ていたのか、稚羽矢。」
 声に振り返ると姉上が立っていた。腕に水がめを抱えている。
「ここから一歩も動かぬ身とはいえ、剣の守りは疲れると見えるな。」
 何と答えていいのかわからなかった。できそこないのわたしと違って、いつもお忙しいのは姉上の方だ。
「雑務が溜まってここ2、3日来られなかったが―――」
 そうだっただろうか。わたしには時の感覚があまりない。
 話しながら姉上はわたしの横を通り過ぎ、祭壇のほうへと向かった。
「剣に異変はないな?」
 念を押すように姉上がきいた。
「はい。」
 祭壇の上にあるひつの中には大蛇の剣が横たわっている。うなったり、ほえたり、絶えず生き返ろうとする剣だが、今はおとなしくしている。
 剣が暴走しないように鎮めおくこと。
 できそこないのわたしに姉上が与えてくれた唯一の役目だ。
 段を上っていき、姉上は剣の状態を確かめた。
「よろしい。この調子で頼むぞ。」
 ひつの中にかめの水を注ぐ。星の井戸からくみ上げる鎮めの水だ。

「昨日月代がもどった。」
 ふと姉上が言った。段を降り、こちらへ向かいながら続ける。
「先ほども言ったように雑務が残っているのでな。そうすぐにとはいかないが、片づき次第また西の制圧に向かう。わたしがいない間もしっかり役目を務めるのだぞ。」
 姉上が近づき、わたしの目を覗き込む。
「剣を鎮めるのはそなただけがなし得る役目だ。そなただから頼むのだぞ。私や月代にはできぬことが、そなたにはできるのだ。」
 姉上の言葉に小さくうなずく。
「兄上はお元気でしたか。」
 兄弟とはいえ、兄上にはめったにお会いする機会がない。そっけない口調で姉上は答える。
「あぁ。気まぐれに拾い物などをしてきて機嫌がいいようだぞ。」
「拾い物?」
 聞き返すと姉上の表情が少し苦くなった。ような気がした。
「―――水だ」
「水?」
 水を拾うとはどういうことだろう。水は手にとっても指の間から零れ落ちてしまうのに。
 見つめるわたしの視線から顔を背け、苛立った声で姉上が言う。
「そなたには関係のないことだ。余計なことを気にせず、自分の役目だけ果たしていればよい。」

***

 雨のそぼふる日が増えた。夏に差し掛かっているのだ。
 そんなある晩、わたしは魚に身を変えていた。正確に言うと、魂を魚の身を移していた。
宮の鏡の池に棲んでいる鯉だ。立派な大きさで、いつも悠然と池の中を泳いでいる。鳥になって空を飛んだ時に何度となく見ているので、姿かたちは容易に思い描ける。
 その姿を心に刻みつけて、移す。
 
 水の中はまったく違う世界だ。浮力があり、水圧があり、身体の表面の鱗を、背びれを尾びれをなでていく。
 天上でも、地上でも、地底でもない間(あい)の世界。
 姉上、兄上のようにはなれず闇の者と相容れることもできない、中途半端なわたしの本当の居場所はここなのではないだろうか。

 母なる女神を想う。
 どうして一人で闇の世界にいなければならないのか。どうして父神は、女神を取り戻せなかったのか―――。

 姉上はわたしがこう考えるのがお嫌いだ。
―――余計なことを考えず、自分の役目だけを―――。
 姉上の言葉がよみがえる。その通りだ。だがその日々に終わりは来るのだろうか。死ぬこともないこの身で。
 思考を振り切るように、ひとつ大きく跳ねてみる。

 その時わたしは見たのだった。
 わたしと同じように、池で泳いでいる人がいるのを。

 わたしの身は再び水中に沈んだ。
 こんな夜半に、宮中の池で泳ぐ人が他にいるとは思わなかった。しかも人間の身のままで。
 ほどなくしてさきほどの人が水中に潜ってきた。若い娘だった。まとわりつく衣が重くはないのだろうか。
「夏の夜に魚になりたくなるのは、わたしばかりではなかったのか。それにしても、あなたは鯉にならないのか?その体は泳ぎを楽しむにはぶかっこうすぎるだろうに。」
 思ったままを口にしたが、鯉の身となったわたしの声を聴ける者はいない。
 ところが娘は驚いた顔をしたのだ。そしてその拍子に息を吐き、慌てて水面へと泳いでいった。娘がたてる泡が水の中できらきらと光る。
 いったいどういう人だろう。不思議に思い気にかかったが、その後娘は水中に戻ってはこなかった。
 
***

 次に神殿の奥までやって来た時、姉上はひどく怒った様子だった。また夢を見たのか、と。わたしが夢を見てさまよい出ることに、姉上は以前からあまりいい顔をされない。
「我を忘れて下等な生き物に身を落とすなど、誇り高き父神の御子のすべきことではない。」
 姉上はそう言った。わたしを失望させないでくれ、とも。
 そんな姉上を見て、なぜこう感じたのかわからない。
 今まで姉上にこのような印象を抱いたことはなかった。
 それでもわたしはその時、姉上はただ怒っているだけではなく、何かを恐れているように見えたのだ。

***

 何度も昼夜が入れ替わる。
 祓いの日が近づいて、宮は忙しさを増しているようだ。

 形代が西門の忌屋に入れられた。
 わたしには時の感覚があまりない。

 時はいつも、わたしだけを置き去りにして流れてゆく。

 晦の大祓い。
 地上からすべての穢れを祓い清め、光で満たす日。
 天上にまします父神は光だ。
 姉上、兄上も同様に。

 闇の世界にいる女神は、穢れ―――・・・?

 それでは、わたしは―――・・・


―――ばしゃん!

 背後で何かが割れる音と水音が同時にした。
 常ならぬ物音に、わたしは後ろを


 振り向いた。


 頭から襲いを被った歳若い娘がいた。
 足元に砕けたかめとそこから溢れる水がある。どうやら彼女が落としたらしい。
 娘はひどく青ざめた顔をして、目を大きく見開いたまま貫くようにこちらを見つめている。
 どこかで会ったことがあるような気がするのはなぜだろう。

 その時ひとすじの、風を感じた。


―――振り向いたら一体、何が起こるのだろう―――?



(終)
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コメント
勾玉まつりのはじまりと最初を飾ったjunさまに手のひらが赤くなるほどの拍手を送ります
わたしも同じく拍手と喝采をおくりたいと思います! そして、りんこさんにも心からのお礼をば。ひと月、毎日更新にすてきなキャッチコピーをつけてくださり、ありがとうございました! ひそかな楽しみでした。
りんこ様
コメントありがとうございます!手のひらが赤くなるほどの拍手、すごく嬉しいです!!稚羽矢愛を詰め込んでみました(^^)
りえ様
素敵な企画を本当にありがとうございました!初めての勾玉二次創作でしたが楽しかったです。りえ様の連日更新をはじめ、たくさんの皆様の作品も堪能させていただきました。これからの作品も楽しみにしています!
Junさん

記念すべき! 初めての勾玉二次創作を当ブログに寄せていただき、本当にありがとうございます。
稚羽矢のとじられた世界が、狭也との出会いによって開かれていく様子に、胸が熱くなりました。
狭也と出会う前の稚羽矢のどこかつかみ所のない独特の雰囲気が好きです。
照日の少し捩れた弟への愛情表現にわが身を省みました。
稚羽矢が自分自身を自覚する兆しを感じさせる終わりになっているところに胸が熱くなりました!

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