帰郷4

2012.10.31.Wed.04:07
 起きあがれるようになったのは、その三日後だった。
 せきがしばらく抜けず、扶鋤などは本気で案じたようで、日に一度は顔をだした。菅流は軽口を言う気分にもならなかった。
「おまえがそれだけ静かだと、心配になるよ。おかしいな。日河の姫の介抱がきかないなんて」
「・・・・・・日河の?」
「だから、いや、その」
 扶鋤はしまったという顔つきになった。
「わかったから、もう言うなよ」
 菅流は深くため息をはいた。
 日河の姫なら、さすがの祖父も追い返すことはすまい。
 夢ではなかったのだ。
 いささか穏やかならぬ気持ちで、菅流は胸元にさがったミドリをつかんだ。ただ、あの手にもう一度ふれたい。そうすれば、この胸に居座った苦しさはどこかへ消えるだろうか。
「なあ、あの人に何発殴られた」
 扶鋤はあきれた声で言い返した。
「一度も。それどころではなかったさ。日河に移ってから、ますます手の届かない方になってしまったんだから。今思うと、たくさん殴られておいたほうがよかったという気がしているよ」
 扶鋤は今にも笑い出しそうに頬をひくつかせながら、菅流を見やった。
「まさかと思うけど、行くのか?」
 久しぶりのいい気分で、菅流はほほえんだ。
「行かないでいられると思うか?」



 あおあおとした竹藪に抱かれるようにして、ちいさな家があった。
 ここを訪ねるのはそれほど久しぶりではなかったが、今回は気楽に入るのもためらわれ、菅流はがらにもなく入り口で引き返してしまった。
 敵を前にして逃げ出したことなどない。向き合う相手が神だとしても、菅流は一歩もひかない覚悟だった。
 しかし、自分の心が望むものに気づいたら最後、けんかに強いかどうかなど、まったく無意味だということに気づいたのだ。ただ許しを請うものになるしかないのかもしれないと、菅流は考えた。
「何か、ご用ですか」
 背後から声がかかった。菅流は振り返ると、はじめて眺めるような気持ちで、しわひとつない薄青い裳姿もよく栄える人をみつめた。
 ふつうの娘と違うと感じさせるのは、さっぱりとしてすきのない装いのせいだけではなさそうだった。いつのまにか備わった風格は、なんとも不思議なことに遠子とあい通じるものがあるように見えた。
 顔かたちは違えども、いる場所も立場も違えども、けんめいに自分のなすべきことをして過ごしてきたのだろう。
 三野の姫として、橘の血脈を子々孫々につなげていく。彼女たちの被ってきた運命を思うと、なまなかな覚悟ではできないことだ。
 わかっていたはずなのに、その意味をよくよく考えたことなどなかった。
「久しぶりだね」
 象子は目を伏せた。わきをすり抜けようとした人の腕を、菅流はつかんだ。細い、きゃしゃな腕だった。
「ご無事でなによりでした」
 それきり菅流の手をふりほどいていこうとする。菅流は自分でも驚くほどの不機嫌な声でつぶやいた。
「ことの顛末を知りたいだろう。おれがここへきたのは、そのためだ」
 象子の目がようやく菅流をみつめた。その瞳をもっと近くでのぞきこんで、確かめたかった。
(何を考えている?)
 はにかみや恥じらいが少しでも見えればいいのに、象子のつめたい表情にはいっさいとりつくしまがなかった。
「お待ちを。ご案内いたします」

 床から半身を起こした豊青姫の姿が、御簾のむこうに見える。
 菅流は知る限り、見た限りのすべてを語った。
 自分の話になると、いくらか脚色もしたが、ご愛敬だ。
 話し終えると豊青姫は、蚊が日陰で羽をならす音よりも、ささやかな声で言い出した。
「なんということでしょう」
 菅流はこの人もまた剣に踊らされ、苦渋をなめた当事者だったことを思い出したのだった。
「遠子どのは、こんな形であの方を救われたのですね。だれも、なし得るとは思いもしなかったことを。わたくしは、遠子どののことを見誤っていたようです」
 うち伏した姫のもとへ、象子が急いでいざりよった。すすり泣いているのだとわかると、菅流は目を伏せて言った。
「小倶那は生きることに決めたんです。最後まで、あいつは迷っていたように見えたものだが。遠子がいたから、そっちを選べた。ほかの誰にもできなかったことだ。あいつでなければ、きっとこんな形では終わらなかった・・・・・・」
 言いながら、菅流自身が驚いていた。気恥ずかしくて告げられなかったことが、さめざめと泣く豊青姫の前だとするりと口に出せたことがふしぎだった。
 豊青姫は疲れがでたか、横になったようだ。
「姫様のかわりに申し上げます。見届けてくれてありがとうございます」
 御簾の向こうの象子と目があったような気がした。

 数歩後ろをついてくる象子を、菅流はだしぬけに振り返った。
 歩みを止めた彼女がおずおずと目を合わせるのを待って、菅流は言い出した。
「遠子から言伝だよ。象子がいてくれて、よかったと」
 たちまちその目が潤むのを見て、菅流は落ち着かなくなった。
「こちらの冬は厳しいけれど、春を待つ楽しみがある。象子もどうか元気で」
 手を振って背を向けると、象子は声を上げた。
「菅流!」
 その一言で十分なのだった。よそよそしい人が、名前を呼んでくれた。それだけで来たかいがあったというものだ。
「また来るよ」
 ちらりと振り返った菅流は、ぎょっとして立ち尽くした。
 象子はひどい顔をしていた。真っ赤に染まった頬に、ぼろぼろこぼれる涙。あふれてくるものを拭いもせずに、唇をきつくかみしめて泣いている。
 駆けるように近づいて、菅流は細い身体を抱きしめた。
 胸がどっどと鳴っている。こうしていることが半分は信じられなくて、殴られるのを承知でじっとしていたが、象子はあらがおうとはしなかった。
「本当にひどい人ね」
 象子は鼻をすすりながら言った。
「元気でなんて、他人のように言うなんて」
「遠子の言伝だと、おれはしっかり言ったよ」
「それだって、背を向けてしまうなんてあんまりよ。手も触れないで」
 こみ上げてくる気持ちがなんなのか、菅流は深く考えないことにした。
 こうして抱きしめていられれば、それでいい。
(まいったな)
 笑顔よりも、怒った顔よりも、泣いている顔をきれいだと思うなんて。たいてい、泣き顔というのはみにくいものだ。
 だのに、泣き顔でころりと男を落とすなんて、思ったよりも象子はたいへん手強い。
 泣かれて、困るどころか、うれしくて誇らしいのだった。

 年寄りと子どもに加えて、三野の姫も勝てない相手として加えなければならないかもしれない。
 遠子にくっついてあちこち旅をし、死にそうな目にもあった。
 気の重くなるような運命のむごさを垣間見たりもした。
 やっと故郷に帰れたと思ったら、かんたんにはなびきそうもなかった人が、菅流のまえで泣いている。

 どうやら、腹をくくるときがきたようだ。
 
「信じてもらえないかもしれないけど、言うよ。あんたくらい、気になる女は豊葦原じゅうどこをさがしてもいない」
「あら、そう」
 ふくれっつらで、そう言う。菅流は吹き出した。
「泣いた顔のきれいな女も、そうはいないよ」
「あちこちで誰かを泣かせてきたような口ぶりですこと」
 つんとする。よそをむこうとする顔を、菅流はのぞきこんだ。
「白状するが、あんたに一番に言いたいことがあってきたんだよ」
 涙をにじませた赤い目が、菅流をみつめた。
 これから時間はたくさんある。語らう時間も、親しむ時間も。
「・・・・・・ただいま」
 おそるおそる、菅流はつぶやいたのだった。
関連記事
コメント

管理者のみに表示