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山の神1

Category空色勾玉 二次
 夜明けをこれほどうらめしく思ったことは、たぶんない。
 さきに目覚めた稚羽矢は、うす暗い室の中で半身を起こして、しばらく狭也の解き髪を指ですいていたが、外で鳥が鳴きはじめたのに気づいて、布団をそっと抜け出した。
 熾き火のように体の底に巣くっていた大蛇の気配が、今では遠くに感じられる。その事実が稚羽矢を安堵させていた。
(狭也)
 何かに急かされるような焦りは消えて、あとに残ったのは穏やかな水面のように澄んだすがすがしさだけだ。
 空を眺めればいつも変わらず見える星に、手を伸ばせばよかったのだ。ほしいと、口に出せばよかったのだ。そうして得たものは、稚羽矢が考えていた以上に尊いものだった。
 身支度をしてまくらべに置いた御統を首にかけると、稚羽矢はむきだしになった狭也の肩に口づけを落としてから、布団をひきあげてやった。
 身じろぎもせずに眠る狭也を見ていると、時をわすれそうになる。
(背の君と、もう一度呼んでくれないだろうか)
 狭也の唇がそう言って笑むのを見たい。白い手でこの身に触れてほしい。昨夜の触れあいが夢でないのだと、もう一度確かめたい。いや、一度では足りない。もっと、もっと。そう望む心は押さえようもなく、我がことながら、稚羽矢を戸惑わせた。
 これが欲というものなら、大蛇ほどではないにしても、飼い慣らすのはたいへん難しそうだと、稚羽矢はため息をはいた。
 


 夜の気配のいまだ残る西の空を飛んでいた鳥彦は、見逃せないものをみつけて急降下した。人影のない宮の内庭を斜めに突っ切って歩いている人影は、里者の格好をした、だれあろう大王だった。羽音に気づいて顔を上げた稚羽矢は、袖なしの色のあせた着物からのびた腕を差し出して、かるくほほえんだ。
「そなたに会えてよかった。まだ皆は眠っているのだろうな」
 胸元には御統が下がり、ささやかに輝いていた。大蛇と御統がともにある異様さに、鳥彦は今更ながら、おそれおののく気持ちを隠せなかった。
(まったく。平気な顔で、よく軽々と持てるもんだ)
 ありふれた質素な野良着に身を包んでいるからこそ、稚羽矢の輝の御子の資質が隠しがたく、きわだつのかもしれない。
「おれがみつけて良かったよ」
 鳥彦は気を取り直して言った。
「科戸王に見つかったら、ただじゃすまない。いいかい、開都王にはおれから伝言するから、早くここから逃げるんだ」
「逃げる?」
「王がどれだけ心配したか。稚羽矢ときたら、恋の奴のしつこさと恐ろしさを知らないだろう。ああ、いやだ。とばっちりはごめんだからね、おれは」
 ふしぎそうな稚羽矢の目が、いっそう大きく見張られた。
「だれが、しつこいと?」
 地を這うような低い声がした。人の身であったなら、間違いなく鳥肌立つだろう寒気をもよおして、鳥彦は稚羽矢の腕から飛び立った。
 着ならした衣の首もとをくつろげ、髪を後ろでくくったばかりの科戸王は、そのゆったりとした姿とは打って変わって、鬱憤をつのらせた表情をしていた。手にしていたのが笛でなければ、鳥彦はいっさんに逃げ出していただろう。
「のんきな曲者かと思ったぞ。その格好はなんだ」
 科戸王はうなるように言った。
「狭也はどこだ」
 稚羽矢はどこか得意げに笑った。
「安全なところにいる」
 鳥彦はかすかに感じた違和感に、首を傾げた。稚羽矢から狭也のにおいがするのはいつものことだが、今朝はどこかが違う。いつもより、狭也を近くに感じるのだ。肌にまでしみとおるような匂い・・・・・・ぴんときて、鳥彦は頭を抱えたくなった。喜ぶべきことなのだろうが、そう素直には祝えそうにない。
「羽柴の家でまだ眠っている」
「無事ならよい。狭也はさぞかし喜んだだろう」
 狭也の無事がわかれば、稚羽矢のことはどうでもよいとでも言いたげに、王は背を向けた。
「して、いつ帰る? 政を放り出してはいられぬぞ」
「ひとつ用事ができたのだ。山の神をねぎらいに行く。再び郷里に下りてもらえるよう頼むのだ」
 ふと振り返った科戸王は意外そうな顔をしていた。
「それも立派な政だ」
 稚羽矢はすかさず言った。
「なら、しばらく羽柴にとどまろうかな。狭也は気の置けない人たちに囲まれて、うれしそうだ。それを見ているのも楽しい。宮はうるさい人々も多いし」
(そうやって、たきつける。わざとじゃないところがおそろしいよな)
 鳥彦は目も当てられないと思いながら、たやすく翻弄される王も王だと、いささかあきれた心持ちで二人をみつめた。
「このぼけなす」
 科戸王は鼻を鳴らすと、稚羽矢の前に進み出て、やや上から見下ろすようにしてうなった。今この宮で大王に対してこんな横柄な態度をとれるのは、科戸王くらいのものだろう。
「痛い目をみたくなければ、わたしも連れていけ。いくら御統があるとはいえ、山の神は手強いぞ」
「なら、共にいこう」
 あっさりと稚羽矢はうけあった。
「ちょっと!」
 鳥彦がわめきたてると、王はちらりと目をくれて、つぶやいた。
「伝言を頼むぞ。明日にはなんとしてでも戻るとな。羽柴を仮宮にはさせん」
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