小倶那のあれほど晴れやかな顔を、菅流は見たことがない。
 雪が溶け、木々や草がもえ芽吹く春のころ、きょうだいのように育った小倶那と遠子は夫婦になった。それはむしろ遅すぎた祝い事だったが、どこか遠慮しがちな小倶那と遠子が何を憂うこともなくほほえみあう様子を見ていると、これでよかったのだという思いがこみあげてきた。

「思い残すことはない。さあ、帰るとするか」
 ささやかな宴の席が、菅流の送別を惜しむ会になったことを、一番残念がったのは、意外なことに遠子だった。
「だめよ、もうすこし居てくれなくては」
 小倶那がそれを聞いておもしろくなさそうな顔をする。菅流はほほえんだ。
「やっと気づいたのか? おれの存在の大きさに。遅いぞ」
「何を言っているの」
 どうやら遠子は里づくりの人手が足りなくなるのを案じているようだ。菅流は鼻をならした。
「早くここを立たないと、いつまでも居着くことになりそうだ。おれを待つ人もあることだしな」
「おぬしは、それを渡す相手をもう決めているのか」
 小倶那がたずねた。菅流は首に下げた勾玉を指でつまみ上げ、肌のあぶらでくもったような表面をなでた。
「さあな。もっと近くを見るべきだったかと、悔やんでいるところだよ」
 これみよがしに遠子をみつめてやると、あわてたような裏がえった声で、小倶那は言った。
「飲め、おぬしが静かだと落ち着かない」
 杯を受けながら、菅流は笑った。
 笑いながら、どこか心はむなしく満たされず、杯をどれだけ重ねても憂いは消えない。
 小倶那のように、ただ一人の相手を死ぬほどに思い焦がれるということが、どうやら自分にはできそうにもない。妬みにもにたもどかしさがこみあげてきて、菅流をいくらか物静かにさせたのかもしれなかった。
 ミドリを捧げて妻問いしたいと、熱烈に思う相手は、菅流にはいない。女たちは一人一人さまざまな魅力があるが、どれだけ美しかろうと、やさしかろうと、今一つ決め手にかけるのだった。
 豊葦原を股にかけてみて、各地の美女を眺めてはみたものの、命をかけてまで需めてみたい人はいなかった。

 宴は終わり、なんとなく寝付けないまま菅流は外へでた。
 夜空に輝く星々が、いまにも降り落ちてきそうなほどだ。
 木のにおいが香るきざはしに腰掛けていると、軽やかな足音がした。となりに座った遠子は、ひじで菅流の腕をつついた。
「日高見の最後の夜は、さすがのあなたも一人寝することに決めたのね」
「なまいきだぞ」
 低い声でたしなめようとも、遠子は気にもとめないのだった。
「最初から最後まで、あなたになびかないこんな娘がいたっていいでしょう」
「つまらないな。おまえがせめてすごい美人だったら、話の種にもなったのに」
「そうね。美人だったらよかったのにね」
 暗がりでも、遠子が笑んでいるのはわかった。女の子は突然、女になる。今までそしらぬ顔をしていたくせに。
「菅流のことを待っている人はたくさんいるでしょうね」
 遠子はしんみりとした口調で言った。
「あなたはこれだけ目立つ男の人ですもの」
「たまにはうれしいことを言ってくれるじゃないか」
 遠子はためらいがちに切り出した。
「あなたは、どこでもちやほやされるわ。だから、心配なの」
「おいおい、何を言い出すんだよ」
 男の子の格好をしていたときでさえ、遠子は無視できない、抜きんでたものを感じさせる娘だった。容姿がそれほど優れているわけでもないのに、ふしぎだったものだ。
(今なら、わかる)
 小倶那のそばで、はにかんで笑う遠子を見ればすぐにわかる。
 遠子は恋と知らぬまま、小倶那を追って追いつめて、ようやく取り戻したのだ。
「無事に帰れるように、毎日祈っているわ」
 遠子はささやいた。
 ちんくしゃの遠子が象子に劣らずきれいになったのは、小倶那を思う日々があったからこそだ。思いは人を強くする。やむにやまれぬ気持ちは人を突き動かす。生かしも殺しもする。
「絶対だぞ」
 ふと、菅流は自分がどこへ向かおうとしているのか、わからなくなった。故郷へ帰る。それはそうだ。しかし、菅流が戻って泣いてくれる人は果たしているだろうか。
 その人の顔を見たい、抱きしめたいと強く願う人が、はたしてみつかるだろうか。
 菅流は星のまたたく夜空を見上げた。
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りえ

Author:りえ
基礎絵本セラピスト®
妖怪博士(中級)
漢方養生指導士(初級)

養生とは、生命を養うこと。
健康を保ち、その増進につとめること。

絵本セラピーで心をほぐし、ときに妖怪でほんわかし。
漢方の考え方で身体をやしなっていきます。

無理しない、頑張らない「養生」日記です。

古代日本好き。


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