影ふみ(あたその)

2012.10.23.Tue.12:06
 大きなかごを背負った娘と出会ったのは、竹芝へと続く道の途中だった。
思ったより早く使いを終えることができて、二人はのんびり歩いて帰ってきたところだった。そろそろ夕暮れになろうという頃で、歩くさきにできた影が、足下に長くのびている。
 鈴が影踏みという遊びを知ったのはここへきてからで、鈴は夫の影をなんとか踏んでやろうとしていたが、阿高はすました顔でひょいひょいよけてしまう。いい加減、鬼もあきあきだ。
「おまえに捕まるわけがないよ」
 阿高は横目でちらりと鈴をみて、唇の端をあげた。この笑みがくせもので、あざ笑われているようで、ちょっぴり腹が立つのに、胸がわくわく踊りもする。
 日陰になった杉の林をこえたそのとき、道の脇からきゅうに降りてきた娘があって、鈴はぶつかりそうになった。
 足下のおぼつかない娘は、よろけてひざをついてしまった。
「ごめんなさい」
 鈴はあわてて娘を助け起こそうとした。
 目を合わせもせず、娘はおびえたように顔を背けた。
「いいえ、あたしが悪いんです。ぼうっとしていたものですから」
 小柄な娘が背負うには、大きすぎるかごだ。年の近い若い娘であることを見て取って、鈴は気安く言い掛けた。
「家はどちら? 重そうだわ、手伝いましょうか」
 そのとき、咳払いが聞こえた。振り返ると、阿高がしかめつらで鈴をにらんでいた。しきりに首を横に振っている。
 手を出すなと言うのだろう。鈴はけれど、のばしかけた手をおろさず、娘に手を貸して立たせた。かごの上に積まれていた柴の束を両手にもつと、娘をうながした。
「すぐそこですから。大丈夫です」
「あの川のそばの家かしら。ほんの少しですもの、気にしないで」
 後ろから、阿高がこれみよがしなため息をはいて、ついてきた。
 ちいさな親切のどこがいけないのだろう。
(阿高はけちだわ)
 どんな顔をしているか、確かめてみるのは気が引けた。
 竹芝へ来てから三年目の春、夫のことをだいぶわかってきたつもりでいるが、まだまだ微妙なところがかみ合わない。長い間連れ添えば、夫の気持ちもわかるようになるのだろうかと、鈴はちらりと考えた。
「貸せ」
 重苦しい声がして、鈴の両手の柴が取り上げられた。阿高は小脇に色のあせた平包みをかかえたまま、もう片方の手で柴を二束かついだ。
「阿高。わたくしももてるわ、それくらい」
 夫はじろりと睨みおろしてきた。笑みなどかけらもない。
「引きずっているくせに。ちんたら歩くな、日が暮れる」
 あんまりだ。鈴は頬をふくらませた。
 家の前に柴を積むと、阿高はさっさと先へ行ってしまった。
「ありがとう、ございます」
 娘は消え入りそうな声で、礼を言ったが、きっとそれは阿高がこわい顔をしていたせいだ。
 このくらいの時刻なら、外にでていた人たちも皆戻ってくるころだ。しかし、この家には人の気配がなく、炊事の煙も立っていない。しんとした家の中に入っていく娘が、なんとなく気にかかった。放っておけないような気がする。
「ねえ、阿高」
 夫に追いついた鈴は、さっそく言い掛けた。
「いけなかった? わたくしは、してはいけないことをしたのかしら」
「ここは隣郡だからな」
「・・・・・・だから?」
 振り返った阿高は、あきれたように息を吐いた。
「おまえときたら」
 郡境の丘にまで来たところだった。吹く風になぶられて鳴る草むらの中に立って、阿高は鈴を手招きした。
「ここへきて何年たつんだ? しきたりや習わしというものが世間にはある。おまえもそれはわかるだろ」
「そんなことくらい、教えてもらわなくてもわかります」
 鈴は唇をとがらせた。
「あの人を手伝うことが習わしに反するって言うの」
「いいから、見ろよ」
 高みから、先ほど通ってきた隣郡の里の様子がよく見て取れた。炊事の煙が家々からたなびいている。沈みゆく夕日に照らされて、茅をふいた屋根がだいだい色に染まっているのが見えた。
「こうして高いところから見ると、鳥になったみたいね」
「あの娘の家は、里はずれの、ほら、あの川のそばだ」
 ぽつんと離れた小さな家は、隣家と呼べるようなものもない。ずいぶんさびしい様子だった。
「一人で暮らしているんだろう。村のはずれで、一人前の男の仕事をしながら」
 そういう阿高の声は淡々としていた。
「それには事情があるということだ。おれたちが口をはさんで手を貸せば、快く思わない者もいる」
 鈴はうなずきたくないような気持ちで、まだ煙も立たないちいさな家をみおろしていたのだった。
  
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