これから2

2012.10.21.Sun.02:04
「ルーンったら、せっかちね」
 重たい扉を閉めたあと、フィリエルはじろりとルーンをにらんだ。
 外に比べると、部屋の中はほっこりとあたたかい。
「生まれたての赤ちゃんのお世話、少しはしたかったのに」
「きみがいたら、おばさんがゆっくり休めないだろ」
 外套を脱いだフィリエルは、ルーンの背中に呼びかけた。
「ねえ、だんなさま」
 動きを止めたルーンは、固い声で聞き返した。
「ふざけてるの」
「ふざけてなんかいないわ。ルーン、あなたって、あたしをどうするつもりなの?」
「どうって・・・・・・」
 じれたフィリエルは、椅子に腰かけてブーツを脱いでいる彼の背中を、こぶしでかるく小突いた。
「あたしのこと、恋人にしたいの、奥さんにしたいの、母親にしたいの」
「待って、質問の意味が分からない」
 ルーンの声はうわずっていた。
「きみには役目があって、ぼくにもするべきことがある。だから、世間一般の・・・・・・その、ええと、ふ、夫婦のようには過ごせないかもしれない。それは、前にも話しあったよね」
「そういうことじゃなくて」
 フィリエルは身をかわそうとするルーンの態度が気にくわなくて、彼の両肩をつかんでぐっとその顔をのぞきこんだ。
「キスをしたいの、したくないの?」
 ルーンはむっとしたようだった。無愛想な表情は、とりつくしまもないものだ。
「したくない」
 つんと横を向いたルーンは、鼻をならした。
「キスをちらつかせれば、ぼくが折れると思うのは見当違いだよ、フィリエル。ぼくらは、もっと話し合うべきだと思う。なのにきみは、ぼくをさけてばかりだね」
 言い返すこともできず、フィリエルは唇をかんだ。
「時間はたくさんあったはずだけど。肝心なことはひとつも話してない」
 そのとおりだ。
 ルーンはひもでくくられた手紙の束でフィリエルの手をつついた。
(いつの間に!)
 これは今もっともフィリエルが見たくないもので、押し入れの奥の奥にしまいこんでいたはずのものだった。
「ルーン、あたしの下着入れをあさったのね」
「人聞きの悪いことを言わないでくれる。はみ出て落ちてたんだから。おそまつな隠し方だよ」
 振り返ったルーンは、ほほをひくつかせた。
「この手紙の中身。読まないでも、わかる」
「なら、おいておきましょ」
「忘れてはいないと思うけど、きみには役目がある。ここでは果たせない役目が」
 ルーンの目をまっすぐにみつめると、彼はため息をはいた。
「ねえ、フィリエル。きみこそ、どうしたいの?」
 ルーンはささやいた。
「もうじき春になる。そうしたら、きっと手紙じゃなくて使者がくるよ」
 二人きりの塔での暮らしは、もうすぐ終わる。それははじめからわかっていたことだ。
 冬のセラフィールドは外界からとり残されたように静かで、平穏だった。今までの何もかもが遠くに感じられた。それが心地よかった。
 ここにいれば、ただのフィリエルでいられる。ルーンと一緒に、とりとめのない話をしながら、笑いながら、時々けんかもしながら過ごす毎日は、夢見ていたよりもずっとずっと、楽しかった。
(ルーンがいればいいと思える)
 けれど、もうすぐ春がくる。雪は溶け、眠った木々は芽吹き始めるだろう。
(春が来ないでほしいと、こんなに願ったことはないわ)
 気まずい静けさが部屋にみちた。こうしたとき、フィリエルはたいていルーンのそばから退散するようにしていたが、今日こそは逃げられそうになかった。
 心配そうなまなざしを見つめ返すと、胸が鳴る。真正面から彼をみつめるのは、とても久しぶりのような気がした。
「ルーン」
 手紙の束を胸に抱きしめたフィリエルは、一歩踏み出して、彼の肩に顔をうずめた。それはずいぶん勇気がいることだった。言葉ではなく、態度で好意をしめすのは、気恥ずかしいことだ。
「昔へは戻れないね」
 ルーンはそっと腕をまわし、フィリエルを抱きしめた。
「やっぱり・・・・・・きみにどうしてもキスしたい」
 うながされて顔を上げると、あたたかな息が通った。ルーンの瞳はただまっすぐにフィリエルだけをうつしている。ふと、今までどれだけの時間をむだに過ごしたのかに気づいて、思わずフィリエルはため息をもらした。
 口づけはていねいで、息切れがするほど執拗だった。
「ずっとこうしていられたらいい。きみと二人きりでいられたら。ほかには何もいらない」
 髪をなでる手が、頬に添えられた。
「そう思ってた。でも、お産の手伝いに出かけていったきみを待ってる間、色々考えたんだ。ちっとも眠れなかったよ。ぼくらは色んな未来を望めるのに、もしかしたら、ずいぶんもったいない時間の使い方をしてきたのかもしれないって」
 ルーンはまじめな顔でつぶやいた。
「きみを恋人にして、奥さんにして、その、いつかはきみが母親になったところも見てみたいと、想像するのは楽しかったよ。夢をみているみたいで」
 フィリエルはいくらか腹を立てて言った。
「現実にしようとは思わないの」
「……わかった、わかったよ。そうしよう」
 いささか情緒にかける同意だった。
 ささやくようなかすれ声で、ルーンは言った。
「もっとこっちにおいでよ」
 煙った水晶のような瞳が揺れている。フィリエルを射抜く真剣なまなざしは、熱を帯びて見えた。
「ユーナ」
 どんな詩的な求愛よりも胸に刺さる、必殺の一撃だ。
 フィリエルは手紙の束を足下に落としたのに気づいたが、知らぬふりをした。いつか、封を切らなければいけないということは、わかっている。待つ人や役目があるということも。
 けれど、今だけは。
 この世には二人しかいないという顔をして、冬ごもりの寝床にもぐりこんでいたかった。
 
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