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りゅうの嫁取り4

Category千と千尋の神隠し
「荻野」
 水島が千尋の顔をのぞき込んだ。
「いつまでこうしてるつもりだ」
 強く手を引かれて、千尋は彼をにらんだ。
「いや」
「もう、戻ってこない、たぶん。むだなことは、やめとけ」
 すでにあたりは暗くなっている。
「むだかむだじゃないかなんて」
 両肩を揺さぶられ、抗議しようとすると、水島は抑えた声で言った。
「目を覚ませよ。あれが身をひいたのは、何のためかよく考えろってば。追ったらだめだ」
 涙がこぼれた。泣きたいわけじゃない。なのにしゃくりあげることしかできないのが情けなかった。
「どうしよう」
 千尋はつぶやいた。
「やっと思い出せたのに」
 こんなことなら、思い出さないほうがよかった。声も、手も届かない。越えられない隔たりがある。ハクと一緒にいたいと願うことが、身の程知らずの大それた願いだというのなら、ハクのことを忘れ去ったままの方がずっとよかった。
(ハク)
 あの人は約束を果たしに来てくれた。
 遠く空を駆け飛んで、千尋のもとに来てくれた。
 それで十分だと思い切らないと、苦しさはきっと消えないだろう。
「あいつが、好きなのか」
 ぽつんと落ちたつぶやきに、はっとして千尋は水島をみつめた。
 千尋を好きだと言ってくれた水島は、ただ笑った。
「今はそれでもいいよ。あれは人じゃないし、おまえを置いて逃げていった意気地なしだ。数には入らない」
「先輩」
 千尋はむくれた。
「・・・・・・ハクは意気地なしじゃない」
「そうか? 女々しく会いに来ておいて、おまえをさらう覚悟もない。おれのことをすごい目でにらんでいったぞ。もとがりゅうであれなんであれ、今は何もできやしない。かわいそうにな」
 水島の声にはいらだちがにじんでいるようだった。
「おれは、おまえを引き留めるつもりで、ここに連れてきたんだ。あれに肩入れする気なんてない。でも、腹立つな」
「わたしのほうが、ずっと怒ってます」
 千尋は負けずに言い返した。
 一緒なら、どこまででも行ける気がしたのに。こわいけれど、後悔するかもしれないけれど、そばにいたいと思ったのは本当だ。

 水島は千尋の手を引いて、縁側にあがった。二人とも靴下は土だらけだ。
「脱いだか?」
 さっさと丸めた靴下をポケットにねじ込んだ水島は、千尋をせかすように言った。ハイソックスを脱ぐのがへんに恥ずかしい。ゴムのあとがついたすねを、千尋はごしごしこすった。
「こい、用意はできてる」
 裸足でついていくと、神棚のある広い部屋にたどりついた。なんとなく空気がちがうようだ。吸う息がのどをひんやりとなでていくようだ。冷房もみあたらないのに、不思議だった。
「ここは?」
「おれのうちは、このあたりの地主神を代々まつってきた家系だ。今日は特別な日ではある」
「特別・・・・・・」
 水島は千尋を見下ろした。
「ここいらに住んでりゃ、おまえも氏子だ。地主神さんに挨拶をして言祝ぎをもらえば、ほかの神やなんやらは下手に手を出せなくなる」
「そういうものなんですか」
 うなずきながら、水島は一歩下がった。衣擦れの音が聞こえた。衣をまとった男の人があらわれた。目礼をうけて、あわてて頭をさげる。
「親父だよ」
 そのあとには、巫女の装束をまとった女性が続く。千尋は息をのんでたちつくした。
 床板は飴色にてらてらと輝いている。灯されたろうそくはゆらめきもしない。捧げられた榊の青い葉が棚にのべられた白布に影を落としていた。「あの白いのは、もう来ないだろう。でも、ほかのがおまえにつきまとおうとするかもしれない」
「ハクです。白いのじゃありません」
「いいから」
 小声で水島はささやいた。
「黙ってここにいてくれ」
 水島の父が払子が振った。ちりを払うような仕草だった。深々と頭を下げたあと、よく通る声が歌うように祝詞をつむいでいく。
 それは本当にささやかにやってきた。地鳴りのような響きがはだしの足に伝わってくる。水島を見ると、彼はきまじめな顔をして神棚をにらんでいた。まるで、真ん中におかれた小さな社のちいさな扉から、何かが出てくるのを信じて疑わないように、瞬きもせずに。
 千尋は目を疑った。
 捧げられた一升瓶が、かたりと動き、底を支点にしてゆっくりと傾ぎはじめたのだ。やがてぽんっと音を立て、栓が抜けた。誰も手を添えていないのに。
 祝詞は続いている。千尋の足下に、栓が飛んできた。酒の滴で床を濡らしながら、とんとん、ころりと転がって、こまのように一つ回転して止まった。
「ぷはあ! うめえや、うめえ」
 厳かな雰囲気をものともしない、やけに明るい声が響いたのはそのときだった。
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