恋敵

2011.08.10.Wed.18:37
 雪の積もった明け方、木刀を振るっていた科戸王は、厩のほうからのろのろと歩いてくる人影に気づいて眉をひそめた。
(朝早くに、あれは何をやっているのだ)
 輝の大御神の降臨から一夜あけ、まだ現のこととも思えないでいる。こうして木刀を振っていると、今ここに立っていることが夢ではないのだと感じられるのだった。
 戦も終わり新しい時代が始まるのだ。勇みたつような興奮と、不安な気持ちが入り交じった奇妙な心細さとが王の顔つきをいっそう険しくしていたが、稚羽矢はおかまいなしに王に近づくと、唇を曲げて情けなく笑った。
「夜も明けたばかりなのに精がでるな」
 科戸王は冷たく返した。
「そなたこそ、なぜそんななりでうろついている?」
 昨日の晩とまったく変わらぬ姿で、ややほつれた角髪も見苦しく思える。
「聞きたいことがある」
 神妙な顔つきに、思わず王はひるんだ。
「妹と登れば険しくもあらず」
 せきばらいをして、王は聞き返した。
「なんだと?」
 困ったように稚羽矢は目を伏せた。
「狭也が教えてくれたのだ」
 王はため息をはいた。
「どうすればいいのだろう、わたしは」
(なぜそれを、おれに訊く?)
 不機嫌な表情をかくさずに、王は木刀を振りあげると、稚羽矢の目の前に突きつけた。とぼけた表情を見ていると、力が抜ける。こんな奴に恋しい人をゆだねなければならないと思うと、腹が立つよりひどくみじめな気持ちになる。
(狭也を連れ帰ったのは稚羽矢だ。それだけは感謝してもよいが)
「このねぼすけが。教えられずとも、目と目を見交わせばわかるものだ」
「わからない」
「ちゃんと見たのか?」
 あやしいものだと王は思った。
「狭也を見て、そなたは何も感じぬのか」
 やや考えてから、稚羽矢は自信がなさそうに答えた。
「腹が立つような・・・・・・おそろしいような」
(けんかでもしたか)
 同じ幕屋を与えられたというのに、恋人らしく過ごすことはなかったのだろう。ほっとしている自分が浅ましく思えて、王は木刀をおろし、脇にたばさんだ。
「そなたはじっさい、どうしたいのだ」
 疲れた顔を眺めていると、稚羽矢にとっては男女の機微はたしかに難題なのだろうと、どこか哀れに思われた。
「狭也とずっと共にいたい」
 そう言うまなざしには揺らぐものがない。狭也を見失ったとき、稚羽矢はためらわなかった。闇の道を通り、彼女を連れ戻したのだ。
 目覚めた狭也は、泣きぬれた頬をぬぐいもせずに、この世にはそれしかするべきことがないかのように、稚羽矢だけをみつめていた。
「慕う、という気持ちがどんなものか、今のそなたは十分承知していると思うがな」
 すこぶる不機嫌な顔で科戸王は言った。
「それがなくては始まらぬ。細かなことは、言うなればおまけのようなものだ。見合って微笑んでおればいい」
 ささやかな嫌みをそうとも知らぬげに、稚羽矢は首を傾げた。
「それだけか?」
 手の取り方から、共寝の所作まで聞き出そうというのだろうか。恋敵を前にして、挑発をしているにひとしい。 
「よかろう、わたしから一本取ったら教えてやる」
 科戸王は木刀をひと振りすると、鼻で笑った。おぼつかなく木刀を握った稚羽矢は、それでもはじめに見た頃よりはずっとましな姿勢で構えを取った。
「そなたがわたしに勝てる日など、一生来ないがな」
 稚羽矢は肩を怒らせた。
「それでは困る。わたしはもう不死身ではないのだ」
「泣き言は聞かぬ。弱腰では、険しい山は登れぬぞ。さっさとかかってこい」
(輝の御子とはいえ、ほんとうに変わったやつだ)
 そう思えることもいくらかおかしくて、王はいつしか眉間にきざんだしわを伸ばしていた。

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