りゅうの恋

2012.08.20.Mon.21:31
「恋をしたか」
 夜空に花火があがる。
 河原から次々と打ち上げられる色とりどりの、火の花。
 一瞬で消える輝きは、まるではかない命のきらめきのようだ。
 けっして、とどめてはおけない。美しいから、手の中に大切にしまっておきたいと思うのに、どうしても指のすきまからすべり落ちていってしまう。
 風のうなりが、遠く親神の声を届けてきた。
「苦しかろう。それが、恋、恋ぞ」
 杉の木立のてっぺんで、ハクは眉をかすかにひそめた。
「恋・・・・・・?」
 つぶやくと、息苦しいような気持ちがした。
 胸元に手をおくと、腕のなかに抱きしめた、柔らかで熱い体のことが思い出された。
 殖えるために、生き物は恋をする。それは生きとし生けるもののさがだ。それでは神は? なんのために恋をするのだろう。
「大神さま、わたしはいったい、どうなるのですか」
 神が恋をすると、なにが起こるか。
 見初められたものは巫となり、寵をうけ恵みをうける。
 神と人のつながりは、かつてこのうえなく尊重された。
(それも、昔の話だ)
 神に近くふれあえる人間は、そう多くはない。だからこそ、千尋との出会いは特別で、かんたんに忘れ去れるようなものではないのだ。
(・・・・・・どうすればいい)
 現代は、堂々と神が人を妻問いできるような時代ではない。
「わたしは、千尋の災いになってしまう」
「正直に言え。ふられるのが怖いのか」
「ふられ」
 ハクは唇を曲げた。
「大神さま、からかわないでください」
 木々がざわざわと鳴った。まるで静かに笑みさざめくようだ。
「からかってなどおらん。言っただろうに、おぬしが小さきもののことを思い出せば、あるいは別の道が開けるやもしれぬと。あの娘が、おぬしを受け入れるなら、おぬしは消えずにすむ」
 みないようにしても、どうしても意識はかすかな気配を追ってしまう。明るい火の花のはぜる夜空を、ほほえみながら見上げる千尋。そのとなりに立ちたいと願うことは、あまりに分不相応なことだ。彼女を不幸せにする望みだ。それだけは、はっきりとしている。
「消えたとて、かまいません。わたしの望みは、叶いました」
 ひときわ大きな花火が空一面に広がった。金色の光が、雨のように降り注ぐなか、ハクは息をつめて、眼下をにらんだ。
 はぐれまいと二人がつないだ手、それはまだいい。
 千尋が迷子になっては困る。
 だが。
「わたしの望みは、千尋が幸せになることです」
 花火を見上げる千尋を、こっそりみつめる「それ」が、気にさわる。見るなと、汚すなと。声を上げたかった。それほど近くにいるのに、声が届かないはずがないのに。千尋に顔を近づける不埒は、とうてい許し難い。

 空が再び静かになり、かわりに祭りの終わりを告げる笛の音が流れてきた。山車が再び動き出す。
「わたしなど、ふさわしくない。千尋は人と添ったほうがいいのです」
 口からでる言葉と、心がこれほど背を向け合う。
 二つに引き裂かれるようだ。
 ハクは戸惑った。
 これ以上見たくない。目を閉じたとき、大神の感嘆するような声が響いた。
「暗闇で口づけか。若いということは、まこと、まっこと、すばらしい」
 口づけ。
 千尋の甘い吐息がもれる、あの唇に、誰かが口づけする。それを千尋はうけるだろうか? 驚いて、それでも、きっと応えるだろうか。
(私を拒むように、なぜ拒まない)
 あのとき、身をかわしてやるのではなかった。暴れる足を押さえつけ、体をしばりつけて、印を刻んでしまえばよかった。かぐわしい汗のにじむ首筋にかみついて、衣などはぎとって、逃げ出す気も起こらぬようにしてやればよかった。 
 まばたき一つするよりも短い間に、さまざまないじましい考えがよぎった。ハクはそれらに背を押されるようにして、手を大きく振り上げ、足下に振り下ろした。
 すると、巻き起こった風が社の木々をよじりあげるように揺らし、山車を傾がせた。立て直せずに倒れかけた山車は、それでもなんとか持ち直した。
「おお、危ない。静かに消えると言ったその口で。物騒なやつだ」
「大神さま」
「血が上ったか? 祭りの夜をなんと心得るか。たやすく心を乱しおって。だれもおぬしの小さき者の話なぞ、しておらん」
 いたずら好きの大神は、まんまと稚い神をからかったのだった。
 自分がなにをしたか、どんな恥ずべき事をしたのか。
 たしなめられるまでもなく、わかりきっていた。
(千尋)
 たわいのない挑発にのってしまうのは、未練がたちきれないからだ。
 あきらめることなど、できない。
 笛の音はほどなくしてためらいがちに、細くひそかに祭りの夜に響きだした。

 
 
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