きみのこえ4

2012.08.10.Fri.15:13
「花火にそんな格好で行くつもり?」
 玄関先。普段着のTシャツにジーンズ、サンダルという出で立ちをした娘に難色を示した母は、渋る千尋を和室へ引っ立てた。押し入れの奥から青い流水に白い大柄の花が散ったゆかたを出してきて、姿見のまえに立つ千尋の胸にあててみせた。
「男の子と行くんでしょ」
 耳元でささやかれ、千尋はうわずった声で否定した。
「そんなわけないでしょ」
「じゃあ、だれ」
「ゆみちゃん」
「母方の実家に帰ってる」
「田中ちゃん」
「旅行中って言ってたでしょ」
 はやくも言葉を詰まらせた娘を見て、母は吹き出した。
「あんたの様子をみてたらわかるわ。水島くんだね」
「お、女のカン?」
「女のカンを駆使しなくったってわかります。べつに、お父さんに言いつけたりしないから、行っておいで。遅くなったらだめよ」
 手早くゆかたを着付けていく母に抵抗もできず、千尋はただ言われるままに腕を上げ下げしていた。最後に髪を整えるというときになって、千尋ははじめて断固として首を振った。
「髪はいいの。このままで、いいったら」
 母は引き下がらなかった。
「そのゴムでゆわえただけじゃ、さびしいじゃないの。気に入ってるのはわかるけど、今日はおいていきな。くるくるまとめて、色っぽくお団子作ってあげるから」
「やめて!」
 なんだか気合いが入りすぎていやしないか。これじゃあ、デートみたいだ。
「デートで、しょう、が!」
 顔をぐっと背けた千尋と、髪をつかんだ母の手がひきあったせいで、千尋の髪留めがぷつんと切れた。
 ささやかな音に、息が止まるような気がした。
 きれいな色の髪留めは、小学校のころからのお気に入りだ。ずっと使っているから、これで髪を結わないと落ち着かないのだ。すこしほつれてきたのを編み直したばかりなのに。
(切れちゃった)
 ぼうっとしているうちに、髪はシニヨンになっていた。うなじがすっきりして、しっぽがないのが落ち着かない。時計を見れば、待ち合わせの時間がせまっている。千尋は泣きたい気持ちで、「行ってきます」も言わずに家を出た。



 歩きにくい履き物に苦戦しながら駅になんとか時刻通りにたどり着くと、ちいさな花壇の前に立っていた水島がこちらに気づいて、ひどくびっくりしたように数歩後ずさりをした。
(気合い入れすぎてるように見えた?)
 あわてたように水島が「感じ変わるなあ、そういうの着ると」とフォローしてくれたので、なんとか逃げ出さずにすんだのだった。
 祭りの会場へいくには、三つ先の駅で降りる。そこはよその町を流れてきた支流がぶつかり合わさるところで、静かにきらめく川をまたぐ鉄橋をすぎれば会場はすぐそこだ。小さな町が、今夜だけは大勢の人を迎え入れて盛り上がる。三万発をこえる花火が川原から打ち上げられるのだ。
 まだ打ち上げまでしばらく時間があるのに、駐車場はぎっしり車で埋め尽くされている。駅前から出店がのきをつらねており、どの店も盛況だ。人の多さにめまいがしそうだった。
「大丈夫か」
 誰かに背中を押されて千尋は前のめりになってよろけた。水島が腕をとってくれなかったら、転んでいただろう。
「ありがとうござ」
 礼を言おうと顔を上げると、びっくりするほど近いところに水島の顔があり、千尋は仰天した。いままでこんなに近づいたことなどない。
「荻野、おまえさ」
 いたくまじめな顔で、何を言い掛けたのかはわからずじまいだった。
 商店街のほうを練り歩いてきた見上げるほどの立派な山車が、威勢のいいかけ声や笛太鼓の音とともに現れたのだ。人の波は道の両脇にわかれ、水島は二人の間に割り込んできた大柄な人の背に押されるようにして向こうへ流されてしまった。
「あとで、神社の境内で!」
 叫ぶ声になんとか手をあげて応えると、山車が千尋のすぐ目の前をゆっくりと通り過ぎていった。そのあとには、神様に扮した氏子たちが、顔を白く塗り古代の衣装を身につけて、にぎやかに踊り回るのだ。鳴らされる鈴の音が、耳の奥でこだまのように重なって響きあう。
 込み合う祭りで、ひとりぽっちになってしまったと思うと、心細かった。ゆかたの帯が苦しくて、息がつまりそうだ。草履をはいた足の指はいつの間にかすり切れて、じんじんと痛んだ。
 人の多いところを避けて、千尋は細い裏路地に入った。家々の軒がぶつかりそうな、暗い細い道だ。足を引きずるように千尋は道を抜け、小さな鳥居の前にたどりついた。
 社の森は薄暗く、入るのは少し怖い。けれど、回り道をするより、ここを抜けたほうが境内は近いはずだ。
 浮き出た汗を手の甲でそっとぬぐい、千尋は鳥居をくぐった。
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