新枕8

2011.08.02.Tue.14:51
 宿をあとにした二人は、里の道をゆっくりと歩いていた。
「なぜあたしの居所がわかったの」
「どこにいようと、わかる」
 稚羽矢は当然のことのように言った。胸が早く鳴り出したのを押さえようと野良着の胸元を押さえると、肌身はなさず御統をしまっていたことを思い出した。
「御統を持っているね。少し心を澄ませれば、聞こえるよ。鈴のような響きが」
「そうなの」
 なぜかしらないが腹が立って、狭也はぶっきらぼうに言った。
「闇の宝だというのに、御統はあなたになじんでいるようだわ」
「狭也にゆかりのある品だからだろう」
 稚羽矢は軽く息を吐いた。
「あなたのくれた勾玉がわたしといつも共にあるから、きっとわかるんだ」
 あたりが暗くてよかったと、狭也は息を吐いた。でなければ、うれしさと誇らしさ、そして恥ずかしさに染まったしまりのない顔を見られてしまっただろう。
「それで、何がまだなの?」
 ややしてから、稚羽矢は笑いながらたずねた。不意をつかれて、狭也はあわてた。
「なんでもないわ」
「そう? でも、狭也は顔を真っ赤にして、今にも泣いてしまいそうだった。いじめられたか」
「あなたときたら、本当にいいときに現れるのね」
「あなたたちの声は家の外までにぎやかに漏れでていたよ」
 くやしくて肩をぶつけると、稚羽矢がよろけた。
「わあ」
 おおげさな声をあげたものだ。狭也はかまわずに歩きだしたが、稚羽矢は追ってこない。
 今夜は辻に篝火が焚かれている。しかしそこここに夜の闇が広がり、少しでも物陰に入れば闇に飲み込まれたように、何も見えなくなるのだった。
 静かな小道にひとりで立ち尽くしていると、不安がこみあげてくる。夜気に体がふるえた。
(田に落ちたかしら)
 少し心配になってひきかえすと、何かにつまづいた。転びそうになったところを腕にかかえられ、そのままきつく抱きしめられた。
「羽柴は闇が濃い」
 暗がりで笑んだような稚羽矢の瞳を見ると、逃れようもないちいさなネズミになったようなおそれと、得体の知れない何か別の感情がわきあがってきて、狭也は身をよじった。
「稚羽矢」
 口づけはにわか雨と同じに突然に降ってきた。狭也の意向をすくうような、いつもの優しさはなかった。荒っぽく、体すべてを押しつけてくるような、ひどく性急な口づけだ。
 声を上げようとしたが、それすらものどの奥で消えてしまった。苦しくなって手をつっぱねると、ようやく唇を離し、吐息に混ぜるように稚羽矢はささやいた。
「どうかしたか」
 そう聞いてくるのも憎らしくて、狭也はにらみあげた。同じ目線であったはずが、いつのまにか少しだけ稚羽矢の背は伸び、見下ろすように笑っているのだった。
「驚かせて。田に落ちたかと思ったのよ」
「落ちたんだよ」
 稚羽矢は油断ならない声で言った。
「でも、大丈夫だ。わたしもいくらか夜目がきくようになったから」
 狭也は逃れようとしたが、かたい腕のいましめはびくともしなかった。
「宮とはちがうね。土地の息吹が力強く感じられる。御統のせいなのかな」
 わからない、と言おうとした唇を再びふさがれた。
 狭也のことなどおかまいなしに、むさぼるような口づけをする人に腹が立ち、狭也は思い切り身を引いてつんと顔を背けた。涙がにじんだ。
「どうかしたか」
「あなたこそ、どうかしたの」
 狭也はこぶしで稚羽矢の胸をたたいた。いつのまにたくましくなったのか、それくらいではびくともしない。怒っても狭也の分が悪くなるばかりだ。
「今日のあなたはへんよ」
「気に入らない?」
 稚羽矢はむっとしたように言い返した。
「わたしがいつもと違っているとしたら、あなたのせいだ」
「あたしのせい?」
「あなたは宮にいるときよりも、伸びやかに見える。晴れやかで・・・・・・美しいよ。光のもとには置いておきたくないくらい」
 賛美するというより、持て余して困っているといった声音に、狭也ははっとした。
「稚羽矢」
 怒りはすみやかにしぼんで、あとは小さな声でささやくことしかできなかった。
「帰りましょう。とうさんもかあさんも、もう寝んだ頃かしら」
「わたしたちの床をのべてくれたよ。ゆっくり休めと言ってくれた」
「客として?」
「いいや、娘とその婿として」
「どうやって気持ちをほぐしたの」
「さあ」
 稚羽矢はどこか上の空で言った。
「思いのたけを話しただけだよ」
 背中を撫でる彼の手に力がこもり、稚羽矢は苦笑いをした。
「言葉はもどかしい」
 声の調子で言わんとすることがはっきりとわかって、狭也は息をつめた。
「あなたには、この身であかしたい。でも、狭也が気に入らないなら、よそう」
 瞳に、吐息に、押さえたものを感じ取ると、確かにもう、どんな言葉も意味をなさないような気がした。

 帰りついた家はしんとしていた。篝火は燃えさしが残っているばかりだ。闇になれた目のおかげで、慣れ親しんだ古い家のなつかしい寝間にたどりつくことができた。両親は気をきかせて娘たちとは床を別にしたのだろう。
 つないだ手が熱い。けれど握り返したなら、ともづなを解かれた小舟のように、行く当てなくどこかへ漂いでていってしまいそうで怖かった。望むものはあきらかで、拒む理由も邪魔するものも今はない。
「狭也」
 しとねに横たえられて、あわだつ肌に熱い手のひらを感じたときには、胸の鼓動は早鐘を打ち、せわしない呼吸と衣擦れの音だけが耳に迫ってきた。ふと目を開けると、暗闇の中、御統が狭也の腹の上でぼんやりと輝いていた。
 稚羽矢の傷ひとつないなめらかな半身と、一途に狭也をみつめるまなざしが、あますところなくあらわになっていた。
 それは、見てはならないものだったのかもしれない。共寝のとき交わされる吐息や熱は、暗闇に秘められるべきものだ。もし光のもとに照らし出されたとしたら、ひとつに交わろうとするものは永遠に二つで、完全にとけあうことなどないのだと、孤独は消しようがないのだとわかってしまう。
 お互いの間に横たわる川は、心を込めた共寝のひとときを駄賃にしても渡れない広く深い急流だ。言葉をつくしても、身をつくしても、お互いが別々の岸に立っている事実は変えようがない。
 やがて、かたくこわばった膝を開かれ、身を裂くようにじりじりと押し入ってくるもののおそろしさに、狭也は息を詰めた。
(一人なのね。でも、だからこそ)
 否応なく変わっていく。暗い夜のしじまを越えて、ずっとずっと昔から連なってきたものがぼんやりと思われた。狭也のまなじりを、涙がひとすじすべりおりていった。
 今たしかに連綿と受け継がれるものにつながっているのを感じるのだ。
(越えることができる・・・・・・あたしたちは)
 輝と闇、稚羽矢と狭也をつなぐ絆を信じることだけが、川に橋を架けるただ一つのすべなのだ。
「もっとはやくこうするのだった」
 雨風に揺さぶられる小舟でも、こんなにたよりなくはないだろう。腕のいましめが解かれたあと、きしむ体が平気なのかすらもあやしい。
 恨めしい思いで見つめると、稚羽矢は弱ったように眉根をよせた。 
「うらむ?」
 泣きそうな顔をしているのに、瞳に浮かんだ熱はいよいよ高まり、もう押さえ込むことなど無理なのだろう。
 昼間ならけっして浮かぶことのないあさましい表情と姿をさらして。ささいな身動きがお互いをあおりたて、体中に痛みににた快さを伝えてくる。
 終わりはどこなのか。いっそう早くなる鼓動と、押しつぶされそうな苦しさに気が遠くなる。
「うらんでもいい」
 稚羽矢はささやいた。
「たぶん、もっと痛くしてしまうから」
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