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新枕7

Category空色勾玉 二次
「狭也?」
 暗闇から呼びかけられて、狭也はぎょっとして足を止めた。近づく足音は軽やかで、一つではない。目が慣れると、気の置けない仲間たちが驚いたように目をみはっているのが見えたのだった。
「どこに行くのよ、久方ぶりの里帰りだというのに。あのお方をほったらかしにしていいの」
 狭也は肩の力を抜くと、むりに笑って見せた。
「少し風に当たりたくて。あなたたちこそ、どこに行くの」
 しのび笑う声が聞こえた。
「男衆は梓彦どのの館でまだ騒いでいるわ。こんな夜は、あたしたちも宿ですこしは羽をのばせるというものよ。まあ、所帯を持った人たちは来れないけれど」
「狭也もおいで。宮のこと、あの方のこと、聞かせてよ」
 家を飛び出してきたものの、行くあてもなかった狭也はためらいながらうなずいた。すっかりかしこまった両親と稚羽矢をおいていくのは気が引けたが、きゅうに手のひらを返したように狭也をつっぱねた二人のことも、なんだかすぐには許せないような気がした。
(確かに、婿だと連れていって、素直に受け入れてもらえるとは思わなかったけれど)
 稚羽矢のみならず、狭也まで貴人扱いで在所へ帰れなんて、あまりに冷たいのではないだろうか。
「行くわ。ええと、少しだけ」
 はしゃいだ仲間の声を聞くと、すぎさった時が巻き戻り、あの祭りの前の日にまで立ち戻ったようで、けれどそんな錯覚は一瞬のものだとわかっていた。取り戻せるなら取り戻したいものはたくさんある。けれど、どんなに願っても時は過ぎ去るだけで、嘆くものの声になど耳を貸さないのだ。

「それで、宮でのお勤めはどうだったの」
「狭也につとまるのだったら、あたしたちにもできるのじゃない」
「いやね、この人ときたら。狭也が本性を上手に隠すのは、まさに名人技よ」
「それで、あの方はどういうお方なの」
 宿の雰囲気というものを久しく忘れていた狭也は、やや落ち着かない気持ちですみのほうに座っていた。
 それぞれ持ち寄った手仕事に取りかかりながら、とりとめのないおしゃべりをする娘たちの中には、狭也の知らない顔もあった。
 今年はじめて山へゆく子もあるのだろう。
 あの夏とはやはり違うのだと、狭也はあきらめのような、寂しいような気持ちで考えた。
「何をしけた顔をしているの」
 すぐ目の前で仲間のひとりがほおを膨らませていた。
「ほんとうに、狭也姫さまときたら。人の恋路をじゃましてくれたね」
「なんのこと?」
 驚いて見返すと同時に、まっさらな夏衣を身につけ、木陰の下でお互いの髪にシャクナゲをさしあい笑いあった時のことが思い出された。意中の人の名を、ささやきあった時のことを。
「あたしはみんな断ったわ。・・・・・・さいごの一人まで」
 頬がひきつった。狭也は真人の妻問いに向き合わず、鳥彦が割り込んできたのを幸いと、みっともない気持ちのまま逃げ出したのだ。逃げた先は、月代の御方の庇護のもとだった。今思うとおそれ知らずな自分が信じられないくらいだ。
「あの人は、まだ、あんたのことを忘れてない。逃げた獲物はずっと忘れられないとはよく言ったものだけど」
 非難する口振りでもなかった。
「今は兄さんのようよ、真人は」
「男心をわかってないな、狭也は」
「そんなこと」
 ないとも言えず、狭也は口をつぐんだ。
 おしゃべりがやんで静かになったことに気づいた狭也は、娘たちの物問いたげないくつもの視線にさらされて、いささかひるんだ。
「まさか、あんなすぐれた方と一緒に帰ってくるなんてね」
「あのお方は月代の君ではないのでしょう。よく似ていらっしゃるけれど」
「・・・・・・あの人は、弟よ」
 その次の瞬間、ちいさな家は悲鳴のような叫びで満たされた。身の危険を感じたときでも、こんなにすさまじい声はあげないのではないだろうか。耳が一瞬遠くなったようで、狭也は目をしばたいた。誰かに肩を揺すられた。
「あれほど御方に焦がれていたというのに、その弟御子になびいたの?」
「純な風であられるけど、あんたがいろいろと手ほどきをするわけ?」
「いやだ、御子さまが御存じないわけないわ。きっと優しくしてくださるわ。広い胸にそっと抱き寄せてくださるのよ。ね?」
 狭也は恥ずかしさでまさに身もあらぬ心地だった。
「知らない」
「知らないことはないでしょうよ。ご自分で婿だとおっしゃっていたのに。新枕だってとうに交わしたんでしょう」
「知らないってば」
「うそよ」「そうよね」「へんよ」
 遠慮のない好奇のまなざしを注がれて、狭也は耐えられず叫ぶように言った。
「まだなの!」
「狭也」
 そこへまことに間の悪いことに、ひどく驚いた顔をした当の御子さまが現れて、また娘宿はひと揺れしたのだった。
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