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岩姫異聞4

Category岩姫男子話
 蛇神はそれから姿を現すことはなく、岩長王はその野を耕し、田とした。すぐそばの小高い丘に吾多という村ができ、土地神をまつった社は数年もたたないうちに大きく建て替えられた。
 秋の実りを祝う祭りは鎮守の森のそばの吾田野で盛大に催されるようになった。
 岩長王は吾田の村に長をおこうとしなかった。王は頻繁に孫の伊吹をともなって村を訪れたが、かの人が思う以上に伊吹は吾多野で過ごすことを好んだのだった。
「振りが甘い」
 やかましく蝉が鳴く鎮守の森のそばで、木刀をふりあげた青田彦は声を上げた。
「もうおしまいですか」
 木刀を取り落とした弟子が手を押さえているのを見て、一瞬だけ厳しい顔がゆがんだが、すぐに唇を引き結び、青田彦は続けた。
「お立ちなさい、若君。おれはほかの者のように甘い顔はしませんよ。そうでなければ、剣の師匠を仰せつかったのが無駄になるというものです」
「剣などいつ振るう?」
 ふてくされたような声で伊吹は言った。師に対する態度ではない。
「おじいが日向を統べてから戦は一度も起こっていないのだろう」
 うんざりした顔つきで伊吹は言った。今までこの上ない遊び相手だった青田彦が、伊吹が十歳になった年のはじめに、見たことのないこわい顔で木刀を手渡した日のことが忘れられないのだろう。
 半年以上もたつのにいっこうに上達しないのも、いやいや手ほどきをうけているからに違いはなかった。
 伊吹の供が一族の中でもかなり腕の立つ使い手であることは、国びとも意外に思うだろう。いつもの彼は穏やかに笑んでいて、声を荒くすることなどないのだ。
「振るうときなど来ない方がいいのです。だからといって備えなくてもよいということにはなりませんよ。若君も十になられた。もう子どもではありません。立派な将はよい戦士でもあるのです」
 青田彦は木刀を腕にたばさみ、息を吐いた。
「わたしが将に?」
 伊吹はつぶやいた。
「ありえないよ。稽古などいらない。わたしには素質がないと言われた。やるだけ無駄だと」
 無言で歩み寄る青田彦を、伊吹はにらみ上げた。
「・・・・・・戦ごとなどきらいだ」
「あなたの叔父上がおっしゃることを、真に受けないように。すべて自分の頭で考えるのです。あなたはほんとうに素質がないのでしょうか」
 日に焼けた手を差し出して、青田彦は伊吹を立たせた。そのまま、伊吹のきゃしゃな腕をひねりあげ、苦痛にうめく伊吹に厳しく言った。
「いまのあなたには、確かに素質も何もあったものじゃない。自らあきらめてすべてを投げ出す者には、だれがどのように教えても身につかぬということです」
 伊吹は伸び盛りで、これから鍛えるかいが十分にありそうだった。まだ力の使い方も振る舞い方もわかっていないが、あと五年もたてばかなり動きもよくなるだろう。
「ほれ、ごらんなさい。いましめられても、力がなければあらがえないのですよ」
 伊吹はおどろいたように顔をあげた。
「手弱女でも無理強いされるとあれば、悲鳴のひとつもあげるでしょう?」
 その面があっと言う間に朱で染まった。
 青田彦は数歩飛ぶように後ろへ下がった。
 伊吹は木刀を掴み振りあげると、叫びながら大振りをしたのだ。これこそ青田彦の望むところで、内心快く思いながら、荒い太刀すじをかわした。
 岩長王の孫を面と向かってこのように侮る者はそうはいない。青田彦だからこそ、言わねばならないこともあるのだった。
「勝長彦どのが若君を軽んじるのは、あなたをおそれているからです」
「おそれる? なぜ」
「末子が岩長王の名を継ぐことはご存じですね」
 息をきらしながら伊吹はうなずいた。
「おじいの末の子は、勝長叔父だろう」
「はい、今までは。しかし、国長どのは、あなたを息子の一人として迎えようと考えておいでだ。後継者として」
 横に払おうとした木刀がぴたりと止まった
。伊吹は信じられないことを聞いたように、目を見開いた。
「いかなるときも心を乱さぬように」
 払われた木刀は乾いた音を立て、弧をえがき宙を飛んだ。



 岩長王には三人の息子と二人の娘がある。上の二人の息子は家を出て、双子の姉妹はまほろばへ采女として召し抱えられた。
 末子はいずれ長となり、祭祀を引き受けるのがならわしだ。勝長彦はいずれは己が一族を率いることを疑っていなかったが、双子の姉のうちひとりが五年前に日向に戻ってきたことで思惑は大きくはずれ始めたのだった。
「今日をもって、岩長王の末子として、わが娘呼日の子、伊吹を迎える」
 父の口からその言葉を聞いたときには、耳を疑った。なにひとつ知らされず、父が決めた変えようのない事実を、ほかの村長と同様に呆然と聞いていることしかできなかったのだ。
 驚きの後には怒りがわいてきた。それは野分がみさかいなしに吹き荒れるような手のつけられない激しい憤りで、平静な顔など保てようはずがなかった。
「勝長。そなたには伊吹の補佐を頼む」
「・・・・・・理由を、お聞かせください」
 おそらく激しい目でにらみつけているだろう。しかし、それでかまわないと思った。
 あんな子どもに国長がつとまるわけがない。せっかくまとまった国が、また糸がほどけるように分かれてしまうかもしれない。それをめざとく狙っている近隣の国々に付け入る隙を与えることになりかねないではないか。
「まほろばの動きに関わることだ」
 ざわめきが急に静まった。
(またその話か)
 うんざりした気分で勝長彦は言った。
「身内同士で争い、国を乱している者たちがなんだというのです。豊葦原を果てまで統べる力など、大王にはないではありませんか」
 岩長王は静かな目でみつめてきた。その目が幼い頃からどうにも好きになれなかった。愚かな者になんとか教え諭そうとするようなまなざしは、いつまでも己が未熟者であると無言のうちに告げられているようで落ち着かないのだ。
「乱れている。しかし、遠き東の地でおさまるような出来事でもないのだ。まほろばには、剣がある」
 不吉な響きは胸を騒がせる。伝承でしか聞いたことがないが、神代のすさまじい力をひめた大蛇の剣がまほろばの大王のもとにはあり、それは一瞬にして国をひとつ焼き滅ぼせるほどの途方もない力を持つものなのだという。
 剣を振るえるのは限られた者だけだという話だ。かつて風の若子はその身に剣の力を鎮めた。水の乙女の勾玉がそれを助けたというが。
「剣など、あるかなきかのもの。風の若子と水の乙女の御代から百年は経とうという今、一度も剣は現れたことがないのですよ」
「これからも現れず、剣は振るわれることがないと、わしとて信じたい。しかし、岩姫在りし頃に予言された剣たる御子が生まれてはや十年。しかも、その子は鎮めの勾玉も導くものも持たず、おそろしいまでに何も知らぬまま育っている」
 岩長王はどこか痛むかのような沈んだ顔で言った。
「剣の父たる今上は、いずれその子を遠ざけるだろう。いまのまほろばには、剣を鎮めるすべがないのだ。ならば、その子をどこにつかわすか?」
 それはぞっとするような話には違いなかった。彼らが手に負えない者をよそに押しつけるのは、いかにもありえることだった。
「それとて、我らはまほろばにこの上ない恭順をしめしている。伊吹を末子とすることとは話が違います」
 食い下がったのは、黙っているとしじまのなかに飲み込まれそうだったからかもしれない。
「吾多を開墾できたのはあの子の手柄だ。蛇神から許しを得たあの子には、巫の素質がある。そして、いずれ剣を鎮めまつる者として、あの子ほどふさわしい者もいるまい」
「父上は、なにをお考えなのです」
「剣をこの地に迎えるときがくる。それほど遠い日の話ではない。そのときに伊吹はおそらく、大いなる魂鎮めをやりとげるだろう。わしらも変わらねばならん。伊吹一人に担わせるには重すぎる荷だ。神代からの荒ぶる力を、この地に根付かせ和らげようとするならば、それ相応の痛みを引き受けなければ」
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