そんなこんなの嫁とり話5

2012.07.08.Sun.05:27
 最初の頃こそ、狭也を闇の巫女姫としておそれ敬っていたような人々も、月の半分もすぎると狭也の気取らぬ性質に親しんで、気軽に話しかけるようにもなった。
 宮で見るより、狭也はいきいきとしているようだ。
(そうであってほしい)
 知らず知らずのうちに、願っている。何をはばかることもなく、狭也には笑っていてほしい。政から遠ざけて、たあいのないことで泣いたり笑ったりしているところを、ずっと見ていたいのだ。
「姫さま」
 呼び止められた狭也は、若者からきれいな夏草を捧げられている。にこやかに受け取ると、えび茶の帯にさした。気取りのない仕草は好ましかった。ただ、男のまなざしが追ってくるようなのだけは、なんとなく気に入らない。
 あちこちに顔を出し、そこここで呼び止められながら、ようやく科戸王のもとにやってきた狭也は、びっくりしたように声を上げた。
「こわいお顔をなさっているわ」
 たしなめられて気づくありさまだが、穏やかに見守るような鷹揚な振る舞いもできそうにない。
「これは性分・・・・・・いや、生まれつきだ」
 狭也はおかしそうに笑った。
「赤子のころからそんなお顔を? うそだわ。あやされて、きっと無邪気にお笑いになったはずよ」
「たしかに。子どもの頃はしあわせだった。よく笑う子だとたしなめられたほどに」
 あつく積もった憎しみの下には、やさしい思い出がある。あたたかな母の腕、広くたくましい父の背中。叱られた記憶さえも、今となっては宝にひとしいものだ。
「戦がすべてを奪った。もう何一つ奪われたくないと、失って惜しいものは持たぬようにしてきた」
 科戸王はつぶやいた。問わず語りを、狭也はだまって聞いていた。
「そなたを気にかけるようになったのは、水の乙女だからではない。故郷を同じように奪われたそなたとならば、あるいは痛みをわかちあえるのではないかと、夢見たからだ。・・・・・・だが、そなたはわれらに見向きもせず、輝にこがれたな」
 狭也をみやると、はっとしたように顔をそむけた。おかしさがこみあげてきて、科戸王は笑った。
「そなたが輝の御子にひかれるのを、仕方ないこととあきらめていた。そなたは輝を崇拝する里で育ったのだから。崇めるものが手を差し出したなら、ついていくのはあたりまえだ」
「・・・・・・意地悪を言わないでください」
「意地が悪いのは、そなたのほうだと思うが」
 すねた顔をのぞきこむと、ふくれた頬が焼いたもちのようだ。
「知りません」
 頬をそめて、狭也はにらみあげてきた。
「責める気はない。そなたとあらそうつもりもない」
 科戸王は深いため息を落とした。
「千騎を率いて対しても、そなたにだけは勝てる気がせん。ひとにらみで、おそらく負ける。無駄なあがきというものだからな」
 肩をいからせた狭也は、気を取り直したように唇をほほえませた。
「それなら、ようよう降参なさる?」
 得意げな娘を前にして、科戸王は苦笑いをした。



 稚羽矢の祝言がとり行われたのは、長雨の時期が終わり、空がひときわ高く青く見えるある夏の日のことだった。
 鳥彦のしらせをうけた狭也は、どうもそれから気もそぞろで、たわいのない失敗ばかりをして仕事を取り上げられていた。

 乳色をした満月がいまにも転がり落ちてきそうなほど大きく輝く、じつによい晩だった。
 川べりにしゃがみ込んだ狭也をみつけたとき、科戸王は思わずほっと胸をなで下ろした。
「ひとりにしておいてください」
 ふるえた声で狭也は言った。
「つらい思いをするとわかっていたろう」
「つらくはありません」
「うれしくもあるまい」
「・・・・・・わからないの。ただ、こうしていたいのです」
 願いを聞いてやる気にはとうていなれず、科戸王は腕をつかんでやや乱暴に彼女を立たせた。視線から逃れるようにうつむいた人の顔を上げさせると、涙にぬれた瞳がゆれていた。
 そばを流れる川音が、遠ざかっていくようだ。ひえた血が一瞬でわきたつ。
 もう間に合わないというのに。なぜ泣く。
(そなたが稚羽矢を捨てたのだ)
 後悔しているのか。恋しいのか。
 狼は寝床に草をしいて寝る。色を失って乱れた草のように、この人を手荒にでも組み敷いてやりたい。稚羽矢を想って泣くことなど、許さない。
「来い」
 いやだと言われても、ひきさがるつもりはなかった。
 引っ立てられる罪人でも、これほどあらがいはしない。てこでも動かない狭也を、科戸王はとうとう横抱きにして、歩き出した。あきらめたのか、髪を乱し、体を固くして口をつぐんだ狭也は、寝床におろされたとき声もなく泣いていた。
「稚羽矢が恋しいか」
 胸がきしむように痛んだ。月の光が射し込む簡素な寝床に横たわったまま、狭也はゆっくりと首をふった。
「なら、泣くな」
 しらたまのような涙が、鼻のわきをすべっていくのをぬぐってやると、狭也はくすぐったそうに目を閉じた。
「とめられません」
 吐息とともにつぶやいた声は、弱々しかった。
「稚羽矢を置いてきてしまいました。あたしだけ逃げ出して、氏族の人たちの思いも裏切りました」
 科戸王は、声もなく笑った。
「稚羽矢は完ぺきだ。そなたがいなくても、うまくやる。そなたの役目は終わったのだ。鎮めの勾玉はやつの血肉にとけ込んだだろう。荒ぶる力も子々孫々とくだるうち、薄まるにちがいない」
 何か言おうとした唇を、科戸王は口づけでふさいだ。
 どんな言葉も今は聞きたくない。稚羽矢を思いやる言葉など。たとえ、ののしりだろうとも、耳にしたくはないのだった。
 脈を打つ細い首に噛みつくと、狭也は息をのんで腕で押し返そうとしてくる。敵を矛で地にぬいとめてきた戦びとにとって、手弱女の腕を拘束することなどたやすい。帯をとき、衣をはぎ落とす。手がふるえるのがおかしかった。はじめて共寝したときのようだ。
 一糸まとわぬ肢体をあらわにした狭也は、もう泣いてはいなかった。潤んだ目に浮かぶのは、おそれだけではない。喜びか、恥じらいか。親しみと戸惑いの混ざり合ったまなざしに、腹の底が焼かれるように熱くなる。
 汗ばむ身体をあわせると、ずりずりと身をかわして逃げていこうとするのがおかしかった。
「いやなら、やめるが。どうする」
 あまりにこの人がかわいくて、少し気の毒で、王はたずねた。
「かまわないで、どうぞ、好きになさってください」
 あきれてしまう。恋しい人からそんな許しを得たら、男はどう思うかなど、狭也は考えもつかないのだろう。必死にしがみついてくる人を、王はきつく抱きしめた。
 あとでなじられようと、知るものか。ここまで引きずり引き回されてきた恋の奴が、どのようにいとしい人を切なく想っていたか、知ればいい。
「ああ、そうしよう」
 科戸王は、かすれた声でそう言った。
関連記事
コメント

管理者のみに表示