そんなこんなの嫁取り話4

2012.07.07.Sat.05:19
 目覚めたとき、ほっとした。

 あの人にまつわる夢をみて、これほど胸をなでおろしたのは、もしかして初めてかもしれない。荒海にもまれるような、心許ない夢だった。
 望んだものだったのだ。胸の底が焼けるくらい、あの人に焦がれた。それなのに、いざその手を取れるとなると、あまりにうろたえて、信じることもできず、あの人に背を向けることしかできなかった。
(その程度だったのだ)
 すべてをなげうってもかまわないとさえ、思い詰めていたというのに。 狭也の声がまだ耳に残っている。
「お慕いしています」
 望んだ言葉だったはずなのに、こともあろうに、あの人を諫めさえした。あまりの愚かさに、横たわったまま科戸王は忍び笑った。
 首飾りを身につけてみせた狭也が、いとおしかった。肌の熱を吸ってぬくもったあの翡翠に、口づけをしたかった。
 目覚めたあとでは、はかなわぬ事だ。



 故郷を失った闇の人々には住む場所が必要だった。いつまでもきゅうごしらえの小屋に住まわせるわけにもいかない。残してきた妻や子を呼び寄せたいという直訴も、日を追うごとに増えてきていた。
 指揮をするまでもなく、立ち働き始めた人々は、科戸王に気づくと頭を下げた。あくびをかみ殺しながら顔を洗い、水かさの増えた川べりの小道を歩いていくと、布を踏む女たちの笑い声が聞こえてきた。
 近隣の里から人手を借りて、土を耕し住まいを作る。死と隣り合わせの戦の高ぶりから解き放たれて、ようやく国つ神のくださる恵みをたのみにして生きていくことができるのだ。
 道をそれて丘へのぼろうとしたとき、ふいに声がかかった。
「王!」
 振り返ると、女たちに背を押されるような格好で布を取り上げられた女が駆けてきた。ありふれた野良着をまとい、一つにくくった髪を揺らしながら駆けてくる。
 思わず目をこすったほどだ。
「そなた、なぜここにいる」
 狭也は数歩手前で立ち止まると、ほほえんだ。
「さあ?」
 手を止めた女たちが、こちらを見ている。王はため息をはいて、にこにこした人をともなって歩き出した。

 もうすぐ夏がくる。
 戦が終わり、春がすぎた。夏がくれば、狭也は大王の妃となる。
 狭也が稚羽矢の妃にならないと大勢の前で言挙げした。
 そんな夢を見た。おろかなことだ。
「すべて片づきました。思い残すことはありません」
 科戸王は、青あおと葉を茂らせるしいの大木のところで立ち止まった。ここからは、あたらしい里のありさまがすべて見渡せる。
「わきまえろ。そなたは大王の妃になるのだ。こんなところで、なぜ布を踏んでいる?」  
 鳥彦の先触れもなかった。いつのまに来ていたのか。
 狭也は目をまんまるにして、それから吹き出した。
「起きたまま寝言をおっしゃることがあるのね」
 葉陰がしろい頬に落ちている。細めた目がこちらをやさしく見つめている。
「寝言だと」
 袖のない夏衣の白さがまぶしいほどだ。
 しいの木に背中をあずけ、狭也は足下に這った根をはだしの足指でなぞった。
「長き夜を、ひとりや寝むと」
 ほんのささいなつぶやきに、背筋が寒くなる。
 うらめしい目つきを、呆然として科戸王は受け止めるしかなかった。
「あたしと稚羽矢が離れられない一対だと、そう思っている人がいま、どれだけいるかしら」
「違うというのか?」
 瞳に激しさを潜ませて、狭也は見上げてきた。
「あの人は、あたしを好きだと言ってくれます。でもそれは、恋人や妻としてではなくて、ただ母をこうように、そばにいてなぐさめを得たいと思うだけの存在なのです」
「そうだとしても」
 夢ではなかったのか。
「わたしは、そばにいろと言ったろう」
 そのとき気まぐれに強い風が吹き、王は目をつむった。一瞬のすきに、小太刀でも持っていれば交わせようもない間合いに踏み込んできた狭也は、わざものよりも、もっと恐ろしいものをたずさえてきた。
 ぶつかるように胸に飛び込んできた人の首もとに、夢で見たように翡翠の首飾りがさがっている。
(この人は、おれを殺す気か)
 そうだ、自分は逃げてきたのだ。この人の想いを振り切るように、すべてがあるべきところへ収まるようにと。
 産声をあげたばかりの新たな国を守りたかった。いいや、我が身を守りたかったのか。抱き寄せたいと願いながら、それにふさわしい自分だとはどうしても思い切れなかったのだ。
「狭也」
 汗ばんだ黒髪から立ち上る恋しい人の香りに、かき抱きたくなる気持ちをようやっと押さえて、科戸王はささやいた。
「そなたは間違っている」
「帰れとおっしゃらないで」
「帰れ」
 顔を上げた人は、泣きそうに顔をゆがめていた。
(おろかだ)
 どこまでもこの人に振り回され、とうてい冷静ではいられない。
 科戸王は、顔を近づけて涙の伝ったほほに唇を寄せた。
「そなたのいるべきところに、帰れ」
 からい涙がかわいた唇をうるおす。そうしたのは、あきらかに間違いだった。ひとたび触れれば、もっと欲しくなる。際限なく、求めてしまうことは分かり切っていたはずなのに。
 あごをあげさせ、誘うように開いた薄唇に口づけをした。触れるだけではあきたらず、せかされるように深くむさぼると、狭也は顔を引こうとした。それを許さず、王は細い体を折らんばかりに、強く抱きしめたのだった。
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