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日高見の夫婦4

Category白鳥異伝 二次
 きざはしを降りるとき、とけかけた雪に足をとられた遠子は、足首のあたりをすこし痛めてしまったようだった。すぐに立ち上がろうとするが、歩くのは難儀に見える。
「どじだな、まったく」
 菅流はかがみ込んだが、おぶるのをやめにして、遠子をひょいと抱えた。
「ちょっと」
 ひどくあわてた様子で、遠子が頬を赤くするのを見られただけで、こうしたかいがあったというものだ。
(面白いじゃないか。ふつうの女の子みたいだな)
 おかしさがこみ上げてくる。
「おろして。歩けるんだから」
 聞こえないふりをして、菅流はぬかるんだ道を歩き出した。
「菅流!」
 遠子は少々軽すぎる。もっと体にたくわえを持たねば、母になどなれるはずもない。
「もう少しあちこちに肉をつけろよ。こうして抱えていても、まるでかさかさに枯れた薪みたいだぞ」
 顔を背けて返事もしないのが憎らしくて、菅流は腕の力をきゅうにゆるめた。落ちまいと首にしっかりしがみついてくる遠子に、菅流は笑いかけた。
「素直に聞け」
 小さな声でそう言うと、遠子は息をのんで体をこわばらせた。
「おれがおまえの害になることを一度だってしたか?」
「ええと・・・・・・なかった、ような気がする」
「ような気がする、だと?」
 あきれて菅流は声を上げた。
「おまえのためにどれだけかけずり回ったと思ってる。おいおい、豊葦原じゅうを股にかけたんだぞ」
 いつもの元気の良さもどこへやら、しおらしく黙っているのをいいことに、菅流はこれ幸いと付け加えた。
「そういえば、礼をまだ聞いてないな」
 遠子は唇をひんまげている。
 急にこんなことを言い掛けられて、まごついているのだろう。
 じつにいい気分だ。遠子はもともと、強情さがなければほかに憎むべきところはみあたらない娘だ。
 家事が苦手というのだって、場数を踏むうち巧くなるものだ。そんなことを気にしてしょげているのが少しおかしい。
「まあ、どうなさったのですか」
 里長の娘が、案じるような顔をして駆けてきた。そのあとに、目当てのものをみつけて菅流は笑いをかみ殺した。
 里長とともに歩いてきた小倶那は、うわべの笑みをたちまちのうちにかき消して、問うように菅流をにらみつけてきたのだった。
(そんな顔ができるくせに、隠しておくのが悪い)
 菅流は遠子を横抱きにしたまま、彼女の耳元にささやいた。
「落ちるぞ。もっとしがみつけ」
 死と隣り合わせの危うい局面を乗り越えてきた小倶那と遠子が、片思いをするもの同士のようにいまだにお互いに遠慮しあっているのが、はたから見ていて歯がゆく、どうも放ってはおけないのだ。 
 それなら、ちょっと揺すぶってやるまでだ。
「迎えにくるなんて気が利かなかったかな。なんなら、ずっとここでやっかいになったらどうだ? 小倶那」
 女にとってはたぶらかし。男にとってはひどく腹立たしく見えるらしい半笑いで、菅流は小倶那を見やった。
「遠子のことは気にするな。同族でもあることだし、まあ面倒はみてやる。どうにかなるさ」
 遠子が顔を上げようとするのを、菅流はとめた。
「ずっとそばにいると言ったな」
 遠子をうながすと、わけもわからず気圧されるように彼女はうなずいた。
「離れるな。約束をやぶったら承知しないぞ、遠子」
 小倶那が泥水をはね散らかして駆けてきた。かわすことはできなかった。もぎとるように菅流の腕から遠子を抱き取ると、今にも泣きそうなこわばった顔で小倶那は叫んだ。
「だめだ」
 母を奪われまいとする幼子そのものだ。菅流は笑おうとして、でもできなかった。あまりに必死で、痛々しい表情なのだった。戯れに暴いてはいけないようなものだ。
 人を従える立場の者としての顔、礼儀正しい客人の顔をかなぐりすてて、小倶那はかけてきた。きっと、駆け引きなどすっかり忘れ、ただ宝を手の中に取り戻そうと一途にそれだけを思って。
(自分のことさえ省みないやつが)
 菅流はあっけにとられたような気持ちで、ぬくもりの失せた腕をおろした。かき抱かれた遠子は声もなく、小倶那をじっとみつめていた。案じるような、はれものにおっかなびっくり触れるような遠子の顔つきを見ていると、ひどく落ち着かない気持ちになって、菅流は腕を組んだ。
 遠子も小倶那も気づいていない。二人の間に、だれかが割り込もうとしてもむだなのだ。よほど鈍い人間でもないかぎり、十年連れ添った夫婦でも持てないような特別な親密さに気づかないわけがない。
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