日高見の夫婦3

2012.06.26.Tue.04:07
「どうやら、あなたを引き留めてもおけぬようですな」
 小倶那を迎えにきた者がいると聞くと、里長はひどく残念そうに言った。この人は小倶那を話し相手と見込んでくれたようだった。
 返す言葉も見つからず、小倶那は苦笑いをした。あつくもてなされたうえ、虫のいいことばかり頼んでいる。甘えてしまっていることが心苦しかったのだった。
 うやむやにするのもよくないと、小倶那は思い切って言い出した。
「わたしには、幼なじみがいます」
 遠子の顔が浮かんだが、おそろしいことにふくれ面だった。
 遠子はもしかして、ずいぶん心配しているかもしれない。
 出かける前も、ひどく不安そうにしていた。
 まるで小倶那がふとしたときに消えてしまうのではないかと、恐れているようだ。
(こわいのは、ぼくのほうだ)
 遠子を失うのをこんなに恐れている。
 一歩近づいたら、何か取り返しのつかないことが起こるのではないかと、おびえているのだ。
 時々、子どものころに時がまきもどったのではないかと思うときがある。
 遠子の寝顔はよく覚えているはずなのに、なぜか知らない人のもののようによそよそしく見える。閉じたまぶたはやわらかそうで、思わずふれてみたくなるのを押さえるのがやっとのことだ。ひとすじ髪のかかった頬や細い首もと、そして寝乱れて、着物のあわせのゆるんだあたりからのぞくふくらみに気づくと、いまさらうろたえるのも滑稽なのに、どうしていいくわからなくなる。
 小倶那は心をこめて言った。
「大切な人なのです。妹のようでもあり、姉のようでもあり、母のようでもあります」
「そのような方がおられたのか」
 がっかりした顔をさせてしまうのが申し訳なかった。
「わたしは、許されないことをしました。恩をあだで返すようなことを。あの人に一生かけて償っても許してもらえないようなことをしたのです」
 長は、ふしぎそうにたずねた。
「では、あなたは償いのためにその人を妻にすると?」
 小倶那はゆっくりと首を振った。
「遠く離れていたときは、その忌まわしい罪すらあの人との絆と思って、自分をなぐさめていました。情けないことですが、そうするしか・・・・・・気力を保つすべがなかったのです。忘れられるくらいなら、憎みぬかれて殺されたほうがいいと、そう思っていました」
「殺されてもいいと、そこまで?」
 決まりが悪くて、小倶那は目をそらした。
「わたしはあなたのおっしゃるような立派な人間ではありません。たいそう弱いうえに、いくじがないのです」
 いくじなし。くやしくないの?
 幼いころ、遠子にそうなじられたことが思い出された。
 その時小倶那は、なんと答えたのだったろう。
 無力な子どものころの自分とは違う。しかし、ときにひどく不安になるのだ。遠子がいなければひとりぽっちで、だれとも進んで交わらずに親しもうともしなかったあのころ。遠子さえいればいいと、遠子のために強くなりたいとそう願ってきた。
 しかし、その願いこそが故郷を滅ぼしたのだ。
 なにか望むことそのものが罪なのではないか。その思いは小倶那の心の底に、粘りけのある泥のように厚くつもっている。
「小さなオグナです。あなたの娘さんには、ふさわしくありません」
「・・・・・・たしかに、そのようですな」
 顔を上げると、里長は静かにほほえんだ。
「一生分の借りをどこかに積み上げたようなお人と、わが愛娘を一緒にさせるわけにはいきませんな」
 頭を下げると、愉快そうに長は笑った。
「会ってみたいものだ。あなたが命すら捧げてもよいと思う娘御に」
 
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