日高見の夫婦1

2012.06.21.Thu.17:18

 小倶那はひどく驚いて、杯を取り落とした。
「今、なんと?」
 日高見の人らしく、豊かな髭をはやした初老の里長は、にこやかに言った。
「わが末の娘のもとに、あなたをお迎えしたいのです」
「はあ」
 我ながらひどく間の抜けた声だと小倶那は思った。どうしてこんな話になったのだろうか。ついさっきまで、日高見の冬の厳しさについて話をしていたはずだが。
 外はひどい吹雪で、風が木々をざわめかせ戸をがたがた揺らす風音が耳障りなくらいだった。
「親から見ても、よい娘です。あなたよりいくつか年上ではありますが、それも二つか三つほど。性質も穏やかで、従順に添うでしょう」
「お言葉はありがたいのですが」
 武彦も菅流も別の場所でもてなされている。小倶那はほほえみながら、内心ためいきを吐いた。
「私には・・・・・・」
 そう言いかけたとき、とうの娘が肴を捧げ持ってやってきた。小倶那と目が合うと、ぱっとそらす。その横顔がほんのりと赤らんでみえるのは、気のせいだろうか。
「お口に合いませんか」
 肴に手をつけない小倶那に、長は問いかけた。
「いいえ」
「この子はたいそう料理がうまいのですよ。気だてもいいし、よく働きます。まほろばの美人とくらべたら、だいぶん見劣りしますがな」
「そんなことはない」
 つい口にしてから、はっとした。長はうれしそうに笑った。
「あなたの心根のやさしく、まっすぐでおられるところは、日高見いちですな。娘も、心をつくしておつかえすることでしょう」
 娘と並べられ、うながされるままに杯に酒をうけながら、小倶那は困り果てて唇をむすんだ。



「まあ、小倶那はまだ帰らないの」
 遠子は声を上げた。菅流はみのから雪を振り落としながら、つまらなそうに遠子をじろりとにらんだ。
「川向こうの里の長どのは、小倶那をいたく気に入ったようだぞ。娘を差し出して、妻のように世話をさせている」
 それからにっとして歯を見せた。
「鬼のいぬまに楽しむということを、あいつはいまだにできないようだがな。ああ、もったいない。いて! 乱暴な奴だな」
「つべこべ言わずに、吐きなさい」
 すねを蹴られて顔をしかめた菅流は、肩をすくめた。
「あいつもむげには断れないのだろうさ。春には、人手を借りたいという申し出をしたのもある。見返りに、あちらが小倶那を婿にほしいと言うんだ」
「小倶那はなんと言ったの」
「あいつがすっぱりと断れると思うか」
「思うわよ。小倶那は、だって」
「だって?」
 菅流は鼻を鳴らした。
「だってもなにもない」
 遠子がにらみつけると、菅流は顔を近づけて、ささやいた。
「おまえらがちんたらしているから、こういうことにもなるんだぞ。なんで小倶那を受け入れないんだ? 心と心でつながっている、などと言うなよ。おれはそういうのは大きらいだからな。さっさと夫婦になればよかったんだ。この一月、何をしていたんだ?」
 言い返そうとして、遠子はことばもなく下を向いた。
「話すことがたくさんあって・・・・・・」
「おい」
 菅流はふと手を伸ばして、遠子のうつむいた顔をあげさせた。
「おれがこわいか?」
 遠子は難しい顔をした菅流をじっとみつめて、すぐに首を振った。
「じゃあ、小倶那は」
 息をのんだ遠子は、小さな声でささやいた。
「あの人をこわいと思うなんて、へんかしら」
 菅流は頬をゆるめて、遠子のおでこをつついた。
「おしゃべりは人を近づけるが、ときに遠ざけもする。あいつが好きなら、今度はなんとしてでも黙っていろよ。寝床でしゃべりまくるのは、最悪だからな」
「最悪……そういうもの?」
「わかったか」
 神妙にうなずいた遠子をみやって、菅流はため息をついた。
「手の焼けるやつらだ。おれがいなけりゃ、共白髪になるまで手をつないで満足しているんじゃないかね」
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