逢瀬の川4

2011.07.21.Thu.13:57
井築山を産土とあおぐ郷内の村むらは、祭事をはじめとして何かと足並みをそろえることが多い。
 話し合いの席に仲裁役として招かれることが多くなった郷長の梓彦は、「氏神どの」などと呼ばれてすっかり気をよくしていたが、今回の会合では、耳にした話の重大さにさすがに上機嫌とはいかなかった。
(いやな話を聞いた。酒はまずいし、あれでは酔えたものではない)
 秋の実りは減りつつあり、今までなんとかやりくりすればこそ、まかなってこれたのだった。それに昨年は乙彦の娘が宮に召され、その支度金として羽柴は大変潤ったのだった。
 しかし、新しい年を迎える時になると現実に引き戻された。差し出す貢ぎ物と収穫の減った田畑を眺めて、こみ上げてくるのは憂いばかりなのだ。
(これから、どうなってしまうのだ)
 田畑の実りのほかにも、考えたくもないことがある。まさか、輝の大神の尊い御子が、つちぐもの仕立てた軍に負けるとは。それは真実なのか、とんでもない嘘なのではと、ひざをつきあわせるようにして長たちは口々に言い合った。
 どちらにしろ、できることは豊葦原の支配者を受け入れることだけだ。それが悔しいかな、結論だったのだ。
 疲れた体を引きずるように村に帰ると、夕暮れ間近だというのに人々は家の外にでて、にぎやかに笑いさざめいていた。
 まるで祭りの前の日の夕暮れのようだ。
「なにがあったのだね」
 娘を呼び止めると、甲高い声が返ってきた。
「長どの、まほろばから・・・・・・」
「まさか、もう来たのか」
 皆まで聞かず梓彦は声を上げた。馬の手綱を渡し、屋敷に足を向けた。まほろばのあらたな統治者が使いをよこしたか。もしくは、兵役をもとめる輝の宮からの催促か。
「どのように客人をもてなしているのだ。だれがそばに侍っている?」
 独り言のようにつぶやく。どちらにしても遠慮したい客人だが、不機嫌な顔もできない。歩を早めると、人々はなぜか乙彦の家につめかけている。女たちがいささか元気すぎるほどに笑いあいながら、ちいさな庭先に押しあいへしあいしている様を見て、梓彦はいつのまにか吹き出た汗を腕で拭った。
 女たちは梓彦に気づいて、頭を下げた。
「中にいるのは誰だ」
「乙彦夫婦とその娘と、その夫ですわ」
 さっぱり事情が飲み込めない。
「ばかをいっちゃいかん、乙彦の娘は采女として宮にお仕えしている狭也、いや狭也さまだけだ。ほかにどんな娘がいるという」
 女たちはくすくすと笑った。
「その狭也さまが、戻ってきたんです」
 梓彦は半信半疑で額に手を当てた。
「高光る輝の御子さまのご不興でもかったのか? いや、それにしても、まほろばからどのようにしてここまで帰った? だれか供でもあったのか。夫とは、誰だ。もうわけがわからん」
「あの」
 背後から声がかかり、振り向いた梓彦は、きまりがわるそうな顔をした娘が立っていることに気づいた。紺の野良着はめずらしくもないが、その顔立ちは忘れようにも忘れられない。
 乙彦のところの娘だ。あのころから、村娘には見えないどこか典雅な雰囲気があったが、つましい着物を身につけてもいまや美しさは磨かれた玉のようにあきらかで、梓彦は何度か目をこすったほどだった。
「お久しぶりです、長どの」
「おまえ、いや、狭也さま。あなたさまはなぜここに。なぜ、そのような格好を?」
 狭也は身をよじった。
「狭也さまはよしてください。あたしは、もう采女ではないのですから」
 かつての仲間たちに囲まれて、狭也は照れたように笑った。とはいえ、一度宮にあがればその身は神のものだ。そうやすやすと帰ってこられるとも思えない。
「狭也どの」
 呼ばれた本人がいやそうな顔をしたが、これ以上は譲れなかった。一度宮に召された身ならば、鏡守の巫女と同列か、それ以上には扱うべきだ。
「くわしく話を聞かせておくれ、なんだ、この人の多さは。ええい、どきなさい。ここは宴会場ではないのだぞ」
 梓彦は吠えながら、庭先に篝火を焚いて杯をかたむける年配者をかき分けた。
「狭也、でかしたぞ。あんたは上の里の誇りだ」
 彼らが口々に軽口を投げかけて、それに狭也が気軽に答える様子もおそれ多くて、梓彦は杯をひとつ取り上げた。気前よく注がれた酒を半分やけになって飲み干すと、渇いたのどをうるおすように旨酒が滑り落ちていった。
「これでは静かに話もできぬ」
「さっきまではこうではなかったんですけれど」
 いつの間にか人々が酒や肴を持ち込んで、祝言のあとの無礼講のようだ。誰かがまた狭也の腕を引いた。梓彦はすでに我慢の限界であり、暗がりから手を引いた者にむかって怒鳴りつけた。
「この方は、羽柴の宝ぞ。気安く手を触れるのではない」
 あろうことか狭也の肩を抱いた男は、困惑したように声を返した。
「あなたは、誰だ?」
 身につけた衣は里人のものだが、明かりの届くところに歩みでてきた姿を見て、梓彦は仰天した。
 その姿の異様なことは、一目でわかる。ひなびた里でみるにはあまりにそぐわない秀麗な面立ちは、そば近くに目の当たりにしているだけで総毛立つ思いだった。
(このお方は)
 地上に降り立たれた月代の御方ではないのか。梓彦は考えるより先にあわただしく平伏すると、早口で言った。
「お許しください、高光輝の御子さま。御方がお越しとは・・・・・・思いもよらぬ光栄に身もあらぬ思いでございます」
 まさか、まさか。ちっぽけな狭い家で輝の御子を怒鳴りつける日がこようとは、夢にも思わなかった。
(なんということだ)
 おそらく無礼を働いた我が身は切り捨てられるか、郷を追われることだろう。許されるとは思えなかった。輝のお裁きには容赦がないことはわかりきっていた。
 冷や汗が吹き出て、息を吸うのもままならないほどだ。
「どうしたのだ」
 思いがけないことに、衣擦れの音がして御方がひざをついたようだった。そして、腕をとられておそるおそる仰ぎ見ると、案ずるようなまなざしが注がれていた。
「兄と見間違えたか? もう幾度目かだ。気にせずともいい」
 同じ目の高さで笑った若者は、低い声でゆっくりと言った。誰かに何かを命じることに慣れた者の声音だというのに、ふしぎとあるべき尊大さがない。
「わたしは輝の末子、稚羽矢だ。いずれこの家の婿になる。さあ、人は多いが詰めれば席はあるし、杯はなくてもそれはそれなりに楽しいものだ」
 狭也を見るまなざしは楽しげで、いとおしいものを一途にみつめる熱っぽさがあった。
「あなたの郷はいいところだ。地も人もやさしく、穏やかだ。狭也の故郷だからそう思うのかな」
 狭也はちらと梓彦を見つめた。
「もちろんよ。羽柴には梓彦どのという立派な郷長がいるのですもの。羽柴はきっといつか、まほろばにも、いいえ、豊葦原じゅうに名をとどろかせるでしょうよ」
 他愛ない大げさなお世辞とわかっていても、大変気分のよくなった梓彦は、倉を開いて酒をあるだけと、滅多に口にできない豪勢な肴を人々に振る舞った。
 大きな八つの酒がめをからにしたその夜のことは、ずいぶんと長い間、人々の耳を楽しませ、おかしがらせることになった。
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コメント
初めまして
初めまして、「Purity+Ray」管理人の一樹夜深と申します。先日は拍手にコメントを残してくださってありがとうございました!

小説を拝見させていただいて、のめり込むように読みふけってしまいました。原作からそのまま続いていくような世界が展開されていて、本当に魅力的です><v
ありがたいことに、拙宅の作品に触発されて、というお言葉をいただきましたが、当時の自分ぐっじょぶと内心で快哉をあげてしまいました(笑 素敵な作品を読ませていただきました……!
新枕も逢瀬川もまだ続きがあるようですので、のんびり楽しく待っておりますv
長々と失礼しました!
ありがとうございます!
一樹夜深さま、こんにちは。
「Purity+Ray」には何度もお邪魔して、そのたびに癒され、ときに「おお~!」と唸らされておりました。
 輝の方々は、しつこく奥さんをすすめたり、狭也を簡単に認めなかったりするだろうなあ、というのは一樹さまのお話を拝見して強く思ったことで、それなら二人はどうするのか、というのを書いてみたいと感じたのがこのブログのはじまりです。
ほんとうに、グッジョブ! こぶしを二つ突き出してもとうてい足りないです。
一樹さま、ありがとうございました。

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