逢瀬の川3

2011.07.21.Thu.10:11
 再び会えたと思った恋しい人は、うつくしい衣装を身につけて、見知らぬ男のそばに立っていた。

 逢瀬の川の物語の一節が頭から離れない。
(ばからしい)
 うんざりする悲恋話に自分を重ね合わせる趣味はないというのに。
 真人は奥歯をかみしめた。村はずれの川まできたのは、懐にしまいこんだままの首飾りを捨ててしまおうと思ったからだ。
 五つの勾玉はそれぞれ色が違い、目を引いた。村へ時折やってくる行商人が、「売り物ではないが、さるお大尽が妻問いのために贈る品だ」などと、これみよがしに見せつけた勾玉よりずっと小さく、ぴかぴかに磨かれてもいなかったが、ふれているとどこか安らぐのだ。
(御統とは、こいつのことか)
 盗み聞きなんてめめしいことだと思うが、あの男はどうあったって気に入らない。
 聞こえてきた話は、天地がひっくり返ろうと信じがたいものだった。まほろばからは馬足で何日もかかる。それを散歩にでも出るかのような気軽さで語るなんて。
 それ以上に、どうやってやさ男が、狭也をああまで恥じらう乙女そのものにしたのか。
 見目がよいのは認める。ただ、それだけではないか。あの甘えたような声はなんだ。背筋が寒くなるような睦ごとを狭也はよろこんでいた。
(くそ)
 真人が困った顔しかさせられなかったのに、あの男は狭也を笑わせ、恥じらわせる。それも、ささいな一言だけで。
 新枕の意味を知らないなんて、どこの世界の人間なのだ? しかも狭也はそれをふしぎとも思わず、やさしく教えてやっていた。
 あの子どもっぽいやつが、男女の機微を解するとはとうてい思えなかった。
(狭也は、わかっちゃいない)
 真人のほうが狭也をずっと大事に、生活にも困らないようにしてやれるだろうに。
 手にした御統をつかみ、真人は腕を振りあげた。これがなくなれば、狭也はおそらく困るだろう。
 捨ててしまえばいい。しかし、急にわきあがってきたむなしさが力を奪い、投げおおせることはできなかった。
 狭也は恋人ではない。誰を好きになろうと、とがめる権利は真人にはない。
(あんたは、おれの手の届かないところに行ったのか)
 輝の御子に見いだされ、まほろばへ行くというときも、これほど辛くはなかった。御子の杯に酒を注いでいた狭也はしとやかで女らしく、見事にかしこまっていた。宮に勤めるのであって、まさかこのうえ妃になどなろうはずもないと思っていたのだ。
(いつか帰ってくると思っていた。宮での暮らしなんて、性に合うはずがないと)
 狭也が狭也らしくいられるのは、住み慣れた羽柴だけだと信じていた。
(わかっちゃいないのは、おれのほうなのか)
 狭也はあの男のそばで、笑っていた。
「吾が背の君」
 なだめるような狭也の甘い声がよみがえり、胸が痛くなった。そう呼んでほしかったと、あきらめと悔しさがない交ぜになって腹の底でぐるぐる暴れているようだ。
「さらってしまえばいいんだわ」
 いつか、狭也が言った言葉が思い出された。ほかの男を選んだ恋人を奪い去って、どこか知らない土地で暮らせばいいと。
 そんなことができるはずもない。この村を離れてどこで生きられるというのだ。親は、家は。これまで培ってきたもの、真人を守ってきてくれたものを捨てられるはずがないのだ。
 なにもできないふがいなさに、死にたいくらいのみじめさがおそってきた。
「真人なの?」
 だから、その声が聞こえたときに、いっそ川に飛び込んでやろうとさえ思った。そうすれば狭也はいくらか真人をあわれむだろう。それとも、あの夏の夜、求婚したことなどきれいさっぱり忘れてしまったのだろうか。
 胸元に御統をしまいこみ、真人は声のする方に体を向けた。
「なぜ背の君をおいてきた」
 皮肉を聞き止めて、狭也はすこしうろたえたようだった。
「あんたったら、聞いていたの」
「悪いか」
 開き直るあさましさを恥じるよりさきに、真人は夕暮れの中でも目の輝きがわかるくらい近くにやってきた狭也を、じっとみつめた。
「髪に花をさしたほうが似合うようなやつを、夫にするつもりか」
 狭也はほほえんだ。
「そうね。あたしなどより、花が似合う人だわ。ほんとうに麗しい、けがれというものを知らない人よ」
「満足な働きができるのか。あの棒みたいに細っこくて、五つの童男よりもいとけない奴に」
 おそろしいまでの激しい怒りがこみあげてきて、真人は狭也の細い腕をつかんだ。ふりほどくようなことをせず、狭也はただ問いかけるように真人を見上げた。
「あの人は素直に知らないことを知らないといえるわ」
「ここが足りないんじゃないか」
 頭を指さすと、狭也は真人の手を振り払い、まじめな顔つきをした。怒っているのでもない、言挙げする巫女のように凛としてまっすぐなまなざしだった。真人はおのれのみにくさを暴かれたような落ち着かない気持ちで、狭也をみつめていた。
「稚羽矢はあたしの夫になる人で、乙彦の家の婿でもあるのよ。あなどったら許さない」
 そう言う声は、澄みとおっていた。
「稚羽矢は赤子のようだわ。無垢な心で夢を見ていた。あたしがそれを覚まして、あの人をさらってきたのよ。悲しみや怒り、憎しみなんて、いっさい知らずにいたというのに」
 狭也は一瞬目を伏せた。
「ねえ、真人。あたしはあの人を二度と一人にしないと決めたのよ」
 告白もしていないのに、手ひどくふられたような気分で、真人は苦く笑った。笑うほかに何ができただろう。
 うつむくと、身につけた冬衣を透かすように、まばゆい光がこぼれてきたことに気づいた。
「そこにあったのね」
 おそるおそる輝きのもとを取り出し、お椀のように広げた狭也の白い手のひらにそっと置いた。
 ひとりでに輝く勾玉なんて見たこともない。しかし、おそれよりも、やさしい輝きに真人は目を奪われた。
「あんたがみつけてくれたのね」
 狭也はほっとしたように息を吐いた。
 薄闇のなかでみずから輝く御統は、狭也のほっそりとした首にかかるといっそう強く輝き、持ち主の笑顔をまぶしく照らし出した。
「大切な品なのよ」
 真人はなぜか泣きたいようなさびしさを感じてこぶしを握った。
 輝く御統で身を飾った狭也は、真人が見たこともないようなやさしい、穏やかな表情をしている。
 いつもなにかに怯え、そのおののきすら隠して明るくふるまっていた狭也。仲間に囲まれていても、時々かいま見せる暗い表情に、真人は気がついていたのだ。
(あんたは、ひとりぽっちじゃないんだな)
 再びまみえた狭也は、瞳をかげらせていた憂いをとうにどこかに捨て去っていた。
(あんたの居場所は、別にあるのか)
 得体の知れない光る御統と、その向こうにあるまほろば。羽柴でなくても狭也は笑えるのだ。そして、彼女のとなりには、ぴったりと寄り添うやつがいる。
「じきに夜になるわ。真人、行こう」
 差し出された手を見やって、真人は首を振った。すぐ近く触れられるのに、どうあがいても届かない遠いところへ行ってしまった幼なじみは、子どもの頃と同じようにぐずぐずと家に帰りたがらない真人を引っ張っていこうとするのだった。
「先に行け。あんなきれいどころを一人にしていたら、女たちがほっておかないぞ」
「あんたって、意地悪!」
 笑いながら、今なら川に身を投げた男の気持ちがわかる気がした。
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