逢瀬の川1

2011.07.08.Fri.13:23
 逢瀬の川をこえて再び会った恋人は、花嫁衣装を身につけて、見知らぬ男のそばに立っていた。


逢瀬の川



「ここからずっとずっと東に行ったところに、大きな川がある。その川をはさんで、二つの村があったそうだ」
 ため息をまぜて、真人は話し出した。

 羽柴の若衆も降り続く長雨には勝てない。 手持ちぶさたに宿となった家に集まると、伸びだした体を窮屈そうに屈めて手仕事にせいを出している。
 むさくるしくも気の置けない者同士の集まりが、今日にかぎって落ち着かないのは、ここにいるはずのない娘たちが戸を一枚挟んで隣の部屋にいるからだ。
 若衆と娘たちは別々の宿で仕事をするのが習わしだったが、娘宿をつとめる年長者が先ごろ娘婿を隣の村から迎えたこともあり、引継ぎもないまま娘宿はしばらく村の各家を持ち回りすることとなったのだった。
 今日娘たちがやってきたのは真人の家で、若衆宿をつとめるから無理だとさんざん長にかけあったというのに、母と二人暮らしの広々とした家はどこよりも宿にふさわしい、母親がいれば若い衆もはめをはずすまいと、取り合ってはくれなかったのだった。
(まあ、よいこともある)
 若衆と年頃の娘が一つ屋根の下に集う機会というものは、そうあることではない。お互いを意識しはじめた年頃に、気になる相手の気配を感じ、声を聞きたいと思うのは当然のことで、それは真人とて同じだった。
 雨音を聞きながら、あの子も夏衣を縫っているのだろうか。
「男は恋人に会うために、川を渡って行くのがつねのことだった。だが、長雨の時期になり、川は深く、流れは速くなった」
 逢瀬の川の話を知らない者はいない。結末を知っているのに誰も口を挟まず、おとなしく手仕事に取りかかっているのは、時折聞こえる娘たちのくすくすと笑い合う声が気になってたまらないからだ。
 昔話を順繰りに話して、どうにか場をつなぐのだが、いいかげん七人目とあれば話も品切れだ。真人は頭をひねって、うろ覚えながら話し出したのだった。
「雨期が終わり、男は川を渡った。だが、いつもの待ち合わせの場所に恋人は来なかった。村に忍んでいくと、恋人は美しく着飾った姿でそこにいた。そばには知らない男がいる。男はあまりに驚いて、悲しんで、そのまま川に身を投げた」
 つまらない話だと真人は思う。恋人の気持ちが離れたのは、雨期のせいでも会えなかった時間のせいでもない。二人はそれだけの間柄だったということだ。
 たった一人にふられたせいで死ぬなんて、娘たちが好みそうな話ではあるが、そんなのはどうも嘘くさく感じられるのだった。

 いつしか雨が上がり、戸を開けると緑の濃いすずやかな風が吹き込んできた。時は夕暮れで、仕事を切り上げた娘たちは、布を抱えて次々と家を出ていった。
「また明日ね、真人」
 一声かけていく娘に手をあげてこたえると、はしゃぐような黄色い声があがった。
 色とりどりの綾ひもで結んだ黒い髪も、衣から伸びた手足も、娘ざかりの美しさがひどくまぶしく感じられる。時に笑い合い、身をよじるさまを見ると、胸が騒いだ。
「ねえ、真人」
 ぼんやりしていると、すぐそばで声がした。
「あの話の続きはないの?」
 木の葉の間をさしてくる光を頬にうけて、華奢な娘が戸口に立っていた。
 ひどくおどろいたせいか、胸がきしむように痛むのをいまいましく思いながら、真人は狭也を眺めた。
「逢瀬の川の話の続きよ」
「続きなんてない。男は川に身を投げた、おしまいってなものさ」
「そんなの、つまらないじゃない」
 じれたように狭也は言った。
「死ぬくらいなら、花嫁をさらって逃げればいいんだわ」
 家に残った娘は狭也だけだということに、真人はようやく気がついた。若衆の宿といえばもう少し騒がしいものだが、物音ひとつしない。おそらく仲間たちは気を利かせたのか、もしくは聞き耳を立てているのだろう。
「さらう?」
 真人は聞き返した。
「そう、さらうの」
 家の近い狭也は幼い頃からここへ来ることも慣れている。
(慣れていないのはおれのほうだ)
 大人の前ではきかん気を隠した狭也を怒らせるのが面白くて、幼い頃はしょっちゅうちょっかいをかけていた。だが、いつしか小さな女の子は、気軽に声をかけるのもはばかられるような、娘になってしまった。
 さんざん意識しているのが、ばからしくなってくるのは、狭也がのんきに真人を見上げてくるからだ。ふつう、この年頃なら目と目を見交わすだけで精一杯というもので、よっぽど気がない相手でなければ普通に立ち話などできるものではない。
 落ち込みそうになるのを隠して、真人は鼻を鳴らした。
「村や親を捨てられると思うか? 捨てたとして、どこで生きるんだ」
「どこだろうと、生きられるわ、恋しい人と一緒なら」
 どきりとするような大人びた顔で狭也は言った。
「まほろばには美しい都があると聞くわ。人も物もたくさん集まる輝のお膝元よ。そこへ逃げて、幸せに暮らせばいい」
 真人は吹き出した。
「狭也坊は子どもだ。ああ、驚いた」
「なによ。お話だもの、それくらいはいいでしょう」
 不満そうにつきだした唇を見て、真人はあわてた。
「ばかだな、そんな顔するな」
「なにさ。子ども扱いして。この夏衣をご覧なさい、あたしだって、今年は井築山へ行けるんだから」
 真人はおかしいような浮き立つような気持ちで、狭也を見た。
「わかるさ」
 狭也のほかにもよい娘はいると、今の今まで思っていた。かいがいしく世話をやいてくれるのも、素直で心根のやさしいのもいる。
 しかし、話していてこんなに楽しい気分になる相手はただ一人だけだ。
 がき大将の真人に、負けず劣らず肝がすわったちいさな女の子。いつのまにかそばにいて、平気な顔で飯を食べていた。気まぐれに遊びに誘うと、目を輝かせて笑った。
(怒る顔も、笑った顔も、ずっと見ていたい)
 いくらでも喜ばせてやりたい。そのためならなんでもするだろう。
 敗北感にも似たあきらめとおかしさは、胸に抱いていてそう悪いものでもなかった。
「ほら、はやく帰りな。むこうでお仲間が待ってるぞ」
「いけない」
 狭也はむくれた顔をやめると、子鹿のようにかろやかに垣根のむこうへ駆けていった。
楽しげな声が遠くから聞こえる。それが遠ざかって消えてしまうまで、真人はなんとなく惜しみがたくて立ち尽くしていた。
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