「狭也さま、大王が」
 息せききらせて平伏した人が、震える声で言った。
「大王が、野焼きをみたいと仰せになられ、野においでになりましたが、いつのまにか御身が・・・・・・煙の中にのまれておしまいに」
 最後の方は、涙声だった。狭也はものも言えないまま立ち上がると、身分も作法もいっさいを忘れて駆けだした。
 稚羽矢が大王と呼ばれるようになってから、一年はたつ。近頃は立場というものをよくわきまえて、突飛な振る舞いをすることもほとんどなかった。息が詰まると言って政を放りだしたこともないし、科戸王が雷を落とすこともめっきり減ってはいた。
 おだやかにすぎる日々に、少々油断していたかもしれない。

 門衛は狭也を認めると頭を下げた。
「通してください」
 かたい表情で男は首を振った。
「お通しせぬよう、命じられております」
 むっとして、狭也は声をあげた。
「なら、とめてごらんなさい」
 こんなところでぐずぐずしているわけにはいかないのだ。



 寝床にあらわれた稚羽矢は、狭也をみつめてため息まじりにほほえんだ。
「どうした。あなたらしくない」
 一言も口をきかない狭也をおかしいと思っているのだろう。しかし、何かものを言って台無しにするわけにはいかなかった。
「口をきかないことにしたのか? そんなに怒っているの」
「御方、めっそうもないことでございます」
 稚羽矢はふしぎそうな顔をして、狭也のそばに腰を下ろした。汗ばんだ大きな手のひらが頬に触れた。顔をかたむけて、下唇をはむように稚羽矢は口づけをした。
「遠ざけられたような気持ちになる。あなたにそんなふうに呼ばれると」
 いらだちを隠さずに稚羽矢はつぶやいた。
「お許しを」
 ここで稚羽矢と呼んだらだいなしだ。
 すると稚羽矢は腹を立てたように口をつぐんだ。
「許せと言うのはわたしだ。昼間はあなたにひどく心配をかけたし」
「ご無事でなによりですわ」
 やさしく肩を押されて、狭也は寝床のうえにたおれた。いたく真剣な顔をした稚羽矢が間近でじっとみおろしてくる。吐息がかかるほどそばで彼のかがやく目を見ると、狭也はごくりと息をのんだ。着替えても、髪にしみついた煙のにおいはとれない。
(危なかったのだ。この人だって、けがをすれば痛い。火に焼かれれば、癒えない傷がつく)
 ふいに呼吸が苦しくなって、狭也は深く息を吸った。
(のんきな人ね。自分が死にかけたことをわかっているのかしら)
「お許しを、御方」
「それはもういい」
 稚羽矢はあきらかに怒っていた。
 呼び方が気にくわないのだ。それだって、仕方ないではないか。寝床のすぐ脇に置いてある衝立の向こうには、人がいる。狭也が稚羽矢を軽んじていると信じ込んでいる人たちが、いつ大王に失礼な振る舞いをしでかすか聞き耳をたてているのだから。

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りえ

Author:りえ
基礎絵本セラピスト®
妖怪博士(中級)
漢方養生指導士(初級)

養生とは、生命を養うこと。
健康を保ち、その増進につとめること。

絵本セラピーで心をほぐし、ときに妖怪でほんわかし。
漢方の考え方で身体をやしなっていきます。

無理しない、頑張らない「養生」日記です。

古代日本好き。


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