あさましい夢~科戸王

2012.04.03.Tue.18:09
 寝床に横たわり目を閉じると、現ではけっして手には入らないものを、望んでやまないものを抱きしめることができる。
 何度も思いのままにした。
 夢の中までは現のことごとも追ってこないのをいいことに。
 目覚めたあとの後ろめたさは、口にも出せない。こんな想いをいつまでも大事にしまっていて、いいはずがない。しかし、捨てようにもすてられない。
 夢に出てくるあの人は、はじめこちらに背を向けていた。
 腰まで届くほどの豊かな長い髪を背でひとつに結び、質素な野良着に身を包んでいる姿は、あの人をはじめてみたときの村娘の装いだ。すこやかに伸びでた手足が川面のきらめきをうけてかがやくように見えた。
 その人はゆっくり振り返り、親しみと恥じらいのにじむ笑顔をみせてくれた。伏せた目をそっとあげ、まっすぐに見つめてくる。潤んだまなざしを、こうもためらいなく受け止められるのは、これが幻だとわかっているからだ。
 細い肩に手をそえて腕を引き寄せ、きつく抱きしめた。弾むように浅く速い呼吸をくりかえす人が、おずおずと背中に腕を回してしがみついてくる。口づけをこうように顔を上げる。
 傷だらけの手で触れることがためらわれるような、柔らかな頬を撫でると、うっとりと目を閉じる。震える長いまつげににじんだ涙を唇で吸い取る。このうえない甘露だ。
「姫」
「名を呼んでください、どうか。あなた」
 口づけのあと、かすれた声で言ったあの人は、いつの間にか、においやかな浅葱色の染衣姿で、すっきりと面輪のでるよう髪を結い上げていた。妻女の装いの人に、いっそうよこしまな欲があおり立てられる。じつに卑しいことだ。
(だからとて、なんだ)
 胸がきしむように痛んだ。望みのものを手に入れるのがそんなに悪いのか。夢の中だけでも、あの人を、恋しい人を腕に抱き、思い通りにしたい。そう思うのは罪か。
 ゆたかな髪に挿した花をひきちぎるように乱暴に結髪をとくと、ちいさな抗議の声もふさぎ奪うように口づけをした。拒むのははじめだけだとわかっている。やわらかな褥のうえに押さえつけ、ふと見下ろすと、信頼をいっさい預けたような目で見上げてくる。
「どうなさったの」
 やわらかな声が耳を打つ。悩ましい吐息を聞いていると、柔草で肌をなでられているかのように胸が鳴る。
「さあ、あなた。どうか、呼んでください」
 せかされるような焦りのなか、苦笑しかでてこない。名を呼べば、夢がさめる。共寝のまぼろしの中でさえ恋人のように振る舞えないのがあわれで、おかしかった。
「・・・・・・姫」
「いじわるね」
 息を乱しながらそういう人は、挑みかかるものを受け入れるときに、目を細めて苦しそうににらんできた。
「あなたはいつもそうだわ。本気では求めてくださらない。あたしを見てもくださらない。後悔しているの?」
「見ている。恨めしいのはこちらだ。夢はさめる。そなたは人の妻だ」
「あなたの妻よ」
 たえだえに、彼女は言った。
「国を捨ててくださるのでしょう? 輝の人々と和やかに手を取り合うなど、はじめから無理な話なのですもの」
 彼女は笑みをくずさない。
「・・・・・・はやく大王から奪って。あなたのおそばにこうしていたいのです。何度でも抱きしめてほしいの」
 夢ですら思いのままにならない。
 王は彼女をきつく抱きしめた。顔かたちはいとしい人でも、しょせん夢だ。むなしい、目覚めのときが苦しいだけのまぼろしだ。
 おぼれ続けたい。できることなら、現すら捨ててもいいと願ったこともある。
「そなたのためなら、何もかも捨てられる」
 だが、あの人には捨ててほしくはない。憎むより愛するほうを選ぶと言ったあのひとが、言葉をひるがえして憎しみを口にするのを見たくないような気がしたのだ。
「狭也」
 かすれた声でささやくと、抱きしめたまぼろしはこの上なくうつくしく、やさしく科戸王に笑いかけ、それからにじむように明け方の闇の中に消えていった。
 
 
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