新枕3

2011.07.07.Thu.14:05
葛木王が宮にあらわれたと聞いて、まずこみ上げてきたのは不審だった。主をうしない、あの男がなぜ立ち直れたのか。彼の気性からすれば、一度こうと決めたら考えを翻すのはよほどのことがない限り、ありえないのだ。
 照日王の腹心であり、身も心もかの方に捧げていた者が、あらたな主を認めるなど、考えられなかった。
(何が起こったのだ)
 山城王は御座へと続く廊下を進みながら、いくら考えようと答えの見つからないいらだちに眉をひそめていたが、当の本人の姿をみとめて、歩をはやめた。
 葛木王はいくらか痩せ、頬などはすっかりこけていたが、浮かべた表情はうれいもなく、いっそ清々しいほどだった。
「亡霊でも見たような顔だな」
 あちらから話しかけてくることなど、今までにはなかったことだ。山城王は色々と取り繕うのももどかしく、切り込むようにたずねた。
「葛木殿は、なにゆえここに」
「いては悪いか」
「あなたが新たな大王を認めるわけがない」
 葛木王は声をひそめて言った。
「大王の御座近くで、そなたは何を言う?」
 目にしたものがよほどおかしかったのか、葛木王は笑った。
「山城殿、そなたの言うとおりだ。まだ認めたわけではない。しかし、新たな大王のつくる国というものにも興味がわいたのだ」
(なんだ、それは)
「あなたは、もうろくでもしたか」
 山城王は激しくにらみつけた。突然、御しがたいほどの怒りがわきあがった。
 御座の近くだということもわかっているはずなのに、ののしることを止められないのだった。
「あなたは御方に殉じて死ねばよかったのだ。頑固に、変われぬままで、母がいなくば糧も得られぬひな鳥のように。やせ衰えて死ねばよかったのだ」
 慎重に被っている仮面が、今はぶざまにはがれ落ちていることだろう。それでもかまわないと、奇妙な高ぶりの中で王は思った。
 葛木王は理不尽ともいえるののしりにも、顔色を変えなかった。ただ、ひととき目を閉じて息を吐き、再びまっすぐに山城王をみつめて、つぶやくように言った。
「わが君は、生きよと仰せになった。だから、わたしは生きるのだ。われらは、見捨てられたわけではない。お二方は天の宮におられても、われらを案じておられる」
「案じておられると」
 その言葉が、なぜ心を震わせるのかはわからなかった。怒りや悲しみは、遠い時のかなたに己の未熟さとともに置いてきたはずのものだった。すべての感情をなくして、清くまばゆい輝の御子に仕えるのが喜びだった。
 二人の御子が地上を去り、しかし末の御子があらたな大王となり、新たな国を作ろうとしている。
 大王はまだ稚くみえるが、国を率いていくのに何の不足もない、畏怖すべき存在だ。だから、喪失の痛みなど、感じるのは愚かしいことなのに。
「大王の后選びのあと、お二方が我が領に尊い御影をお現しになったのだ」
 葛木王は信じがたいことを口にした。
「豊葦原のさらなる繁栄を見守っていると」
 いつしか人々が集まり、葛木王の話に耳を傾けていた。輝も闇も忘れ去ったように、人々は一心に聞き入り、口を挟む者もいないのだった。
「お二方はひとえに末の御子を案じておられた。豊葦原のさらなる繁栄がなるもならぬも、御子とその妻にかかっていると」
「妻」
 苦いものを飲み込むように、山城王はうめいた。どんな美しい娘も拒み、大王が選んだ娘がどれほどのものだというのだろうか。
「信じられん。なぜ大王はあのような娘など」
 葛木王は目を細めた。
「軽々と自分の身を捨て去ることのできる方を、わたしは見たことがない。清々しく、たおやかだ。闇の人々が水の乙女と呼ぶのも、ふさわしく思える」
 こんな風に手放しで誰かをほめるを聞いたことがない。山城王は信じがたい思いで葛木王を見つめた。
「あの方が巫女だというなら、大王が心ひかれるのも不思議ではない。大王は地上にとどまる唯一の輝の神で、しかも慰撫をもとめる一人の男子でもあらせられるのだから。大王のもとめるお方は、少々突拍子もない巫女だがな。山城殿よ、そう難しい顔をせずに祝うべきではないのか」
 にぎやかに足を踏みならし、手を打ち鳴らす音が響いた。おもに闇の人々が同意と、今までにない親しみのこもった目で葛木王を見ている。いつしか、輝の人々もむつかしい顔をやめて笑みこぼれていることに、山城王は気づいた。
「なんだ、けんかはもう終わったのか」
 そこへひょっこりと大王が顔を出し、すぐそばには闇の巫女姫が顔を赤くして立っていた。葛木王にほめちぎられた本人は、ゆでたタコのように火照った顔をしている。
(大王がほしがるのがこんな娘だとは)
 それとも、山城王には見えない美点があるとでもいうのだろうか。
「おお、よく休まれましたか」
 気安く大王に話しかける様子は、まるで身軽な若い豪族の王子に対するようで、山城王は怒るよりも呆れて、おかしみさえ沸いてくるのをいぶかしんだ。
 葛木王にとって、主である照日王はまさに雲上の存在で、手を触れるなど思いもよらぬ至高の玉のごとき方だった。しかし、若い大王は彼にとっては息子とも孫とも思える近しさと、親しみを感じる何かがあるのだろう。
 葛木の領内で何が起こったのか、知りたいという気持ちに勝るのは、この男をこれほどに変えた存在への興味だ。
(そうだ、知らぬことが多すぎる)
 狭也を奪うなと、懇願するように見つめてきた瞳。執心している闇の姫を奪ったら、大王はおそらく本当に容赦なくすべてを壊すだろう。
 よるべない幼子のような一面と、おそろしい荒神の気配。そして、人々に囲まれて楽しげに笑う姿。一つわかったことがあるとすれば、大王のそばには狭也という人がつねにいて、またそれは大王の唯一の望みであり願いなのだということだけだった。
 大王はほほえんだ。
「言い争いができるということは、よいことだ。近くにいるから、声も届く」
 大王が座をまとめて、改めて人々に話しかけた。
 もう何を聞いても驚くまい。
 天の宮の方々が一瞬だけ姿をあらわそうと、葛木王が闇の娘をいちずにほめたたえようと、大王が愛おしむように闇の娘の手を取ろうと。
「この人が、わたしの妻だ」
 驚くまい。
 このひとときにあって、少々悔しいものの、今までにないほど晴れやかな、快い気分でいられることも。
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