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新枕2

Category空色勾玉 二次
科戸王が立ち去ったのを見送ったあと、鳴り出した胸を狭也は衣の上からそっと押さえた。
(あたしはなんて鈍いのかしら)
 あそこまで言わせてしまうなんて、ほんとうに鈍感もよいところだ。思いもかけなかったとはいえ、こうまでうろたえてしまう姿をみる前に王が去ってくれて本当によかった。
「稚羽矢はどんな様子だ?」
 ほどなくして、開都王と鳥彦が訪ねてきた。
「ただの風邪らしいが、稚羽矢にふつうがあてはまるかというのは疑わしいな」
「科戸王が運んできたんだって」
 鳥彦がおかしそうに言った。
「ほう、科戸が」
 ほんのひとときの沈黙に耐えられず、狭也は言った。
「政にさわりはないのですか。よく休めとおっしゃってくださいましたが」
 開都王はうなずいた。
「差し迫って決めるべきことはない」
 稚羽矢のひたいの布を水に浸し、絞る音がそう広くはない寝間に響いた。少し苦しそうな寝息をしばらく聞いていた開都王は、ふと思いついたように言い出した。
「眠っているものを前にして言うのもどうかと思うが、稚羽矢には感心しておるのだ」
 何かを思い出すかのように笑んだ表情はたいそう穏やかだった。戦のさなかとはやはり違うと、狭也は思った。輝の大将として人々を率いてきた王は、人知れぬ苦労も重ねてきたのに違いないのだ。
「我らが思うよりずっと聡く、御座というもののありようを心得ている。不思議なほどにな。知らぬことでも、ひとたび心得れば二度と忘れぬ」
 ため息を吐くように、開都王はつぶやいた。
「考えはまだ拙くはあるが、さすが輝の御子とでもいうべきか。稚羽矢には大王たる資質がある」
 狭也は頬を赤くしたまま眠る人をみつめた。
「大王たる資質かあ。ちょっとおれにはわからないけど」
 鳥彦がささやいた。
「稚羽矢が大王だとしたら、狭也がとなりにいなきゃならないというのはわかるよ。稚羽矢ときたら、この期に及んで狭也が后にならないなんて言ったら、きっと泣くよ」
「泣くかしら」
 開都王が深くうなずいた。
「泣くな」



 それから三日ほど稚羽矢は寝込んだ。
 后えらびの一件で浮き足立っていたのが嘘のように、宮内は静まりかえり、灰色の空を見上げていると何か、永遠に春などこないのではないかという暗い考えにさえおちいりそうだ。
 四日目の明け方、脇息にもたれるようにして目を閉じていた狭也は、ふと衣擦れの音を聞いて顔を上げた。
 半身を起こして、稚羽矢はこちらをみつめていた。狭也はすぐさま彼のひたいに手のひらをあてて、ほっと息をついた。
「よかった」
 ひたいは寝汗でいくらかひんやりしているくらいだった。手をどけると、稚羽矢はかすれた声でたずねた。
「どのくらい眠っていた」
 さしだした椀のなかの水を飲み干して、彼は深く息を吐くいた。
「三日は眠っていたわ」
 少しやつれたような頬のあたりをながめて、狭也は心から言った。
「目が覚めてよかったわ。皆がずいぶん心配していたから」
 稚羽矢が寝込んだ数日の、どこか沈んだ人々の顔や、笑い声の絶えた様を狭也は思い浮かべた。稚羽矢はそこにいるだけで場を、人々の心を変える。枯れ色をした原に吹き、春を呼び緑の柔草を辺り一面に萌えさせるような、じつにさりげないが、欠いてはおけない力があるのだ。
「ずっとそばにいてくれたのか」
 けげんそうな顔で稚羽矢が言った。
「あなたを一人にするわけ」
 言い終わらないうちに、そっと手を引かれ、胸に抱きしめられた。
「ありがとう」
 身動きできず、声をあげようとすると鼻が触れ合うほど近くで見つめられて息が止まりそうになった。静かな目のなかに、ためらいやおそれ、はにかみが次々と入れ替わるように映っては消えていく様を狭也はただ見ていることしかできなかった。
「長い夢を見て・・・・・・でも、今度はさびしい夢ではなかった。狭也がともにいてくれた」
「そう」
「わたしは、うれしいんだよ」
 稚羽矢はささやいた。
「こんな風に寝かされて、皆に案じてもらって、うれしいと思うのはおかしいことだろうか。やっと、ただびとになれたような気がする。今まで、生き死にも、老いも病もすべてわたしを避けていった。人の営みからも隔てられていた。でも、今は違うと思える」
「そうはいうけれど、とても心配したんですからね」
 よい笑顔をした稚羽矢は、いたずらを告白する子どものように上目遣いでつぶやいた。
「前より調子はいいくらいだ」
「もう少し寝ていた方がいいわ」
「狭也は心配性なのだ。そう科戸王が言っていた」
「王はこうも言っていたわ、あなたのことを心から案じることができるのはあたしだけだと」
「科戸王が案じているのは狭也のことだけだ」
 急に真剣な顔つきで見つめられて、狭也は視線をそらした。やましい気持ちがあるからに違いはなく、落ち着かない気分で狭也は抱きしめられていた。
「王は、狭也に恋しているんだ」
 稚羽矢の口から出るとは思えない言葉に、狭也は声をなくした。
「わたしの枕元で話していたじゃないか」
「聞いていたの」
「目を閉じていただけで、起きていたよ」
 狭也は身をよじるようにして彼の腕から逃れた。
「なぜ何も言わなかったの」
「狭也はわたしを呼ばなかった」
 狭也の肩に手を添えて、稚羽矢はそっと寝床に押し倒した。 
「あの人は狭也の望まないことは決してしない」
「あなたが時々わからないわ」
 半分あきれたように見上げると、見下ろしてくる瞳が、そっと細められた。
 ただこの人を愛おしいと思う心が見交わす瞳に映ればいいのにと、狭也は考えた。稚羽矢の解いた髪が、肩に流れている。汗を拭うためにゆるめた衣からは肌がのぞいていて、思いはどうしても別の方へかたむいてしまう。
「わからない?」
 軽く口づけをして、稚羽矢は笑った。
「あなたをこうして見つめて、腕に抱きしめて、ともに眠りたいと、きっと王もそう思っている」
「稚羽矢?」
 まなざしは熱く浮かされたように潤んでいて、口元は今までに見たことのない大人びた笑みをきざんでいた。
「でも、いかな神も人も、あなたに手出しはできないよ。あなたはわたしの巫女だろう」
 三輪山で月代王とまみえた時のことを思い出し、狭也はうわずった声でたずねた。
「聞いていたの?」
「何を」
 問いを問いで返すのはずるい。稚羽矢はおもしろくないとでも言いたげに眉を寄せた。
「三輪山でのこと、すべて見ていたよ」
 口づけを交わすと、あたたかな唇を頬に押しあてて稚羽矢は言った。
「狭也がわたしとともにあるのはわかっていた」
「自信があるのね」
 稚羽矢は微笑んだ。
「ただ、そう確かに思える。わたしの身の内には、あなたのくれた絆のあかしがあるから」
「勾玉のこと」
「自信があるわけじゃない。できることなら、あなたを誰の目にも触れさせたくない。あなたを勾玉のように飲み込んでしまえたらいいのに」
 すました顔で、稚羽矢は言ってのけた。
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