玉垣の吾が妻の君4

2012.03.23.Fri.05:12
「必要とあらば、戦う。それしか道がないのなら」
 あおざめた顔のまま、須佐之男はつぶやいた。
「きらいよ。高天原びとなんて、だいきらい」
 須佐之男はちいさく笑った。
「憎まれ口などたたかずに、素直に言うことをきいたほうが利口だぞ。なにしろ、わたしは傲慢で戦好きな高天原びとだからな」
 頬をたたこうとした手を、須佐之男はかるくよけて鼻で笑った。
「荒ぶる神にも、失礼な高天原びとにも物怖じしない。そこがあなたのいいところだ」
「あなたなんて」 
 その次に何を言おうとしたのか、奇稲田は自分のことながら、わからなかった。千の言葉をつくしても、言いたいことには足らない。
 この人が、憎らしい。でも、これほど強く引き寄せられるのは、なぜなのだろう。みつめられると落ち着かないというのに、須佐之男がよそをみたら、どうにかして振り向いてほしいと願ってしまう。ふれたいと、ふれてほしいと願ってしまうのだ。
「妻問いも仕切り直しだ」
 懇願する響きを聞きとめると、胸が高鳴った。
 大蛇神におびやかされ、死をつねに間近に感じていたこの身が、恐怖などではなく、まさか誰かを思っておののく日が来るとは、思わなかった。
「死んでも添わないと、まだ言うか」
 唇をかんだ奇稲田を、おかしそうに須佐之男はながめた。
「できれば、迎え入れてほしい、穏やかに。そうでなければ」
「そうでなければ・・・・・・ぶつ?」
 そっと抱き寄せられて、奇稲田は彼の髪にしみついた青草と汗のにおいをかいだ。夏の香りだ。
「ぶつより悪いかもしれない」
 須佐之男はゆっくりと口づけをした。血と土の味のする舌が、唇を割って入り込んできた。腕で押し返そうとするものの、びくともしない胸の中に抱きすくめられて、奇稲田は声も出せなかった。おびえて逃げる舌を追いつめ、執拗にからめ取ろうとする。ゆうべの口づけは、もっと穏やかで探るようだった。少なくとも、食べられてしまうかもしれないという怖さはなかった。
 唇をはなしたあと、奇稲田の顔になにを見たのか、須佐之男は決まり悪そうに言った。
「うつくしく青あおとした玉垣のうちに閉じこめておきたい。誰の目にも触れぬように、傷つかぬように。わたしのいとしい妻の君」
 奇稲田は息をのんだ。
 頬から耳のしたのくぼみ、そして首に唇がすべりおりた。衣のあわせをくつろげて熱い手が入り込み、あわだった肌をゆっくりとなでた。衣ずれの音が、大蛇の声なき声を思い出させて、体がふるえた。
 床に横たえられるときになって、ようやく何一つ身につけていない裸身を抱きしめられていることに気づいた。
「須佐之男」
 口づけは、羞恥やおそれを遠くに追いやる強い酒のようだと、泣きそうになりながら奇稲田は思った。
 声をころし、体をまさぐる手や汗ばんだ肌が触れ合う感触にたえるのでもうせいいっぱいだ。ももをなで上げる手はやさしく、熱かった。かたく閉ざしたひざを割り、細身をねじ入れた須佐之男は、ささやかなしげみにおおわれた、奇稲田の秘めた場所にふれた。
「力をぬいてごらん。息を吐いて」
 まぶたに熱い吐息がかかった。かたい指であらぬところをゆっくり撫でられ、奇稲田は悲鳴をのみこんだ。じきに、汗とも何ともつかない熱いものがあふれ出し、かき回しこね混ぜる無遠慮な動きを助けた。奇稲田はこらえきれずにすすり泣いた。痛みは少しだけで、それよりとてもくすぐったい。
「これからなにをするの?」
 ふと動きをとめた須佐之男は、ほんとうに驚いた顔で、奇稲田をみつめた。せつなげな息を吐くと、笑みをみせたが、どこか余裕なくひきつっていた。
「まいったな。あなたはおとめだった。それも八重垣に守られた希有なおとめだ」
 八重垣とは、大蛇神のことにちがいない。奇稲田は胸をつくような痛みに戸惑いながら、ささやくようにたずねた。
「まぐわいは、痛いの?」
「最初は、おそらく」
 そう言う人が平気な顔をしているところをみると、たぶん痛いのは奇稲田だけなのだ。ずるいような気がした。

 女になるということは、うがたれることなのだ。それを我が身で知ったとしても、苦しさは減らなかった。床のべに置かれた大蛇の剣を目のはしにとらえたとき、須佐之男がいつになく怖い声でつぶやいた。
「よそ見などできるのか。なら、手加減もいらないな」
 あんまりだ。奇稲田は腹いせに、右頬の切り傷に舌をねじ入れるようになめた。ひどくしみるといい。
 よそ見をしているのは須佐之男のほうだ。そうでなければ、こんなにせき立てられるように、見咎められるのをおそれるように奇稲田を抱くわけがない。
(何をおそれるというの)
 ふいにいとおしさがこみ上げてきて、奇稲田はうっすらとひげのはえでた頬に口づけをした。今度は傷口をさけて、やさしく。
(あなたを閉じこめておけるのなら、十重二十重に垣根をつくって、そのなかで共寝をしたらいい。追っ手も戦ごとも忘れて。ほんのひとときでも、すべてを忘れ去って)
 痛みとおしかかるような苦しさの中、奇稲田はしがみつくように夫となった人を抱きしめた。
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