佐保の里内は粛々として、耳を澄ませば星のまたたく音も聞こえてきそうなほどだった。きざはしを踏みしめてくる足音がしたかと思うと、そっと戸が開いて、わずかな隙間から身体をすべりこませるようにして夫となる人がやってきた。
 その顔つきは不機嫌の見本とも言えるもので、真秀はわずかな緊張さえとけたような気がした。吹き出すと、佐保彦はますますむっとしたように肩をいからせた。
「日子坐に何か言われたの?」
 佐保彦は鼻を鳴らした。
「おまえの父親が美知主王だと、いままさに聞かされたんだ」
「なんだ、そんなこと」
 そっぽを向いた佐保彦の前に立つと、真秀はなだめるように笑った。
「子は母のものよ。そうでしょ」
 丹波の美知主はやや真秀に甘い。そして、佐保彦の王子にはいささかきつく当たるようなところがあった。
「あの人はおまえがかわいくてならないんだろうよ。ちくちくとイヤミを言われる身にもなれ。おれの異母兄にして、舅だなんてな。王宮でもどんな顔をして話せばいいんだ?」
 なおもつまらぬ顔をする佐保彦の首に、真秀は腕を回した。
「あたしの夫だと堂々としていればいいわ。佐保のあらたな大巫女の、ただひとりの夫だって」
 佐保彦は目をみはり、息を吐いた。
「あんたの子も、あたしのものよ。あいつらなんかには渡さない」
「気がはやすぎる」
 いささかあきれたように佐保彦はつぶやいた。
「・・・・・・そのまえにすることがあるだろう」
「やっぱり、しないといけない?」
「威勢のいいことを言ったくせに。こわいのか」
 きゅうに間近でみつめられたので、思わずきつく目を閉じると、おかしがるような声がした。
「堂々としていろよ、おまえらしく。でないと、こっちも調子がくるう」
 そろそろと目を開けると、佐保彦は笑っていた。目にはもどかしさと熱がかいまみえた。浮かされるような気持ちで、真秀はうながされるまま、おずおずと唇をあわせた。
 うつつのすべてが遠くなる。確かなのは、すぐそばにいる人のせつない吐息と、ふれあう頬と、心地よい腕の戒めだけだ。
 こめかみに、まぶたに、そして頬に唇をうけると、触れたところが熱くやけどをしたようになった。息を吸い込もうとするが、食むような執拗な口づけに気が遠くなりそうだった。背をなでるのは、泣く子をなだめるたぐいの穏やかな愛撫ではなく、身をこがしあおり立てるような、熱い掌だった。
「待って。待ってってば」
 立っているのもやっとのことで、たまらずに胸に寄りかかって呼吸をととのえていると、佐保彦はもどかしそうに言った。
「おい、大丈夫か」
 真秀をなんとか抱え、佐保彦は新婚の寝床にそっと寝かせた。
上衣を脱いで気楽な姿になると、ためらいながら、すぐそばに横になった。佐保彦は、真秀の解いた髪をつまみ、かるくひっぱった。
「なにさ」
「のんきだな。ほんとうに」
 ひとりごとのようにつぶやいた。
「おまえは、いや、おれたちは・・・・・・大きなものを負ったんだぞ」
「うん?」
「大巫女は兆しを読んで国を導く。これからは、異国との付き合いも増える。大王もいよいよ佐保の霊力を頼みにするだろう」
 真秀はそっと目を開けた。佐保彦はどうしてこんなに寄る辺ない子のような顔をしているのだろう。
「東国も、はるかな西国もすっかり支配されたわけじゃない。戦の火種はどこにでもある。大王の剣となれと日子坐は言うだろう。霊力を国のために使えと。それこそ力つきるまで働かせられる」
「あたしが戦うとしたら、日子坐の命令だからじゃない。あたしの大切なものを守るためにそうするのよ」
 真秀は佐保彦をみつめた。佐保彦は、一瞬だけおそれをあらわにした。彼が何を考えているのか、真秀はわかっていた。佐保の予言を案じているのだろう。
 霊力ある姫が産んだ子は佐保を永遠にいかす。
 霊力のない姫が産んだ子は、佐保を滅ぼすという予言。
 滅びの子はどちらなのか。それとも、予言ははずれたのか。
 真実はわからないままだ。
「真実なんて、どうでもいい」
 真秀はささやいた。
 夏のはじめのころ、王宮で大王の妃が無事に男の御子を産んだ。それからほどなくして佐保姫は妃の一人として迎えられた。以前からときおり親しく語らう間柄であったので大王もずいぶん心やすく打ち解け、ひときわ深い寵愛を受けているということだ。
 真澄は大王の妹である輝夜姫を妻問いしたが、強く請われて迎え入れられた夫として、たいそう丁重にもてなされている。真澄が訪ねて行くと、妻たる姫その人が馬屋まで迎えに出て、仲むつまじく語らう様子を皆がほほえましく眺めているということだ。
 王宮にて、大王にともなわれた美しい妃を目にするたび。大王に親しく話しかけられる佐保の一の王子と会うたびに、人々は春日なるうるわしき佐保のことを思い出す。そして、豪族の首長たちは霊威みちみちた佐保の一族がひざを折る大王家を敬い、畏れることだろう。
 国は一つとなり、ゆくゆくは外国にも侵されぬ強い大和となる。大陸のはずれの島国ではなく、いずれ一目も二目もおかれる大国となるのだ。
 ・・・・・・そんな夢を語ったのは、誰だったろう?
「どちらでもいい。かまわない。永遠も滅びも光と影でしかないもの。だからあたしたちは一対だというのよ。あたしは影で、あんたは光よ。佐保彦王」 
 心底驚いたように佐保彦は目をみはった。それから、少しだけ唇をひきつらせて、自嘲めいた笑いを見せた。
「光はおまえだ。永遠の子というなら、おまえがふさわしい。おれには何の霊力もない」
 真秀はじっと佐保彦をみつめた。霊力をあらわさない子として、彼がひそかに何かをおそれていたことを、真秀はこのときはじめて知った。
「霊力をもたないということが、あんたの強さだと思うわ」
 心から真秀は言った。
「ないほうがいい、人の運命すらたやすく変えてしまえる霊力なんて。この霊力がついえるときが滅びだというのなら、そうわるくはないわ」
 佐保彦は目を伏せて真秀のことばを繰り返した。。
「わるくはない、か」
「血は残っていくでしょう。たとえ一族の名がいつか消えたとしても。あたしたちの生きていた証はきえない」
「巫女どの、それも予言か? 新枕の床の辺にはあんまりな言祝ぎだ」
「じゃあ、あんたがもっとすばらしい吉事を言って。ふさわしいことよ。ほら、なにか言ってごらん」
「言えって、そんな急に」
 佐保彦はふてくされたような顔をして、やや投げやりにつぶやいた。
「おまえが愛しいから寝るんだ。あとほかに、もう言うことはない」
 目を見交わし声もなく笑いあうと、言葉をかわすのももどかしく、さぐるようにぎこちなく唇をかさね合わせた。汗ばむ夏の夜のしじまのなかに、にわかに妹背となった二人は深く身をひたしたのだった。

 時が流れ、国を支配するものが変わり、いつしか春日なる佐保の一族の名も、書物に記されるばかりとなった。
 はろばろとした春日野を我がものとして、馬を駆り恋をうたい春菜をつんだ人々も、また時の流れの中に消えていく。
 川面にあらわれては消えるうたかたのようにとけていく。

 春日野のまぼろしを覚えているものがあるとすれば、ときおりこの地に吹き寄せて、老杉やあせびの葉をざわつかせる、気まぐれな風くらいのものなのだった。

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Comment

 

ふとした拍子にこのページを見つけました。
銀の海金の大地のファンで、今でも真秀の章最終回が載ってるコバルトを保管しているくらいです。
佐保彦の章を心待ちにしていたのですが。。
読ませていただき久しぶりに2人に会えた気持ちになり、とても嬉しく思いました。ありがとうございました。

NAME:amy | 2013.11.17(日) 11:35 | URL | [Edit]

 

Re: タイトルなし

amyさん、こんにちは。コメントありがとうございます!
最終回ののったコバルト。処分できませんね。
わたしも数冊保管してます。
佐保彦の章が読めずにさみしいですが、
読者の心に消えない錨のようなものを残してくださった氷室先生には、
感謝の言葉しかありません。

嬉しいお言葉、ありがとうございました!

NAME:たかさわりえ | 2013.11.18(月) 09:51 | URL | [Edit]

 

何年振りか!?

「銀の海金の大地」。氷室先生の作品を読んでいた頃から、もう何年経つのでしょうか?
 本当に久しぶりに、真秀や真澄、佐保彦と佐保姫の切ないお話を肌で感じました。
 氷室先生の書かれるはずであった続編を読むことはもう叶いませんが、りえさんのお蔭で真秀と佐保彦達の姿を実感することができました。感謝です。

NAME:おひるねにゃんこ | 2014.01.02(木) 15:42 | URL | [Edit]

 

銀金世代

おひるねにゃんこさん

こんにちは!
氷室作品、お読みになっていたのですね。
毎年、氷室先生の命日あたりになると、胸が苦しいような切ないようなさびしい気持ちになります。
続きはない。けれど、のこしてくださった作品がある、そう思えるようになったのは、つい最近のことです。
二次を書くことで、私の場合いっそう作品への想いが深まるような気がします。

ありがたいお言葉、感謝します!

NAME:りえ | 2014.01.03(金) 04:12 | URL | [Edit]

 

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りえ

Author:りえ
基礎絵本セラピスト®
妖怪博士(中級)
漢方養生指導士(初級)

養生とは、生命を養うこと。
健康を保ち、その増進につとめること。

絵本セラピーで心をほぐし、ときに妖怪でほんわかし。
漢方の考え方で身体をやしなっていきます。

無理しない、頑張らない「養生」日記です。

古代日本好き。


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