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春日野のまぼろし2

Category銀の海金の大地 二次
 青垣をこえて静かな斎庭に踏み込んだとき、声がかかった。
「だれ?」
 神殿のきざはしに腰掛けて、萌葱色の衣のそででぐいと顔をぬぐったのは、真秀だった。
「佐保彦? 客人のもてなしはどうしたの」
「ひととおりの挨拶がおわれば、あとは無礼講だ。おれがいなくともかまわないさ」
 真秀は袖で口元をおさえた。
「日子坐のお父さまがいらしているのに」
「お父さまだと。どの口が言うんだ? 嫌い抜いているくせに」
 思わず笑い声をあげてしまってから、ここが長老でさえ沈黙を守らねばならない斎庭だったことを思い出して、佐保彦は口をつぐんだ。
 佐保には二人の姫がいる。
 年も同じ、背格好も面差しも双子のようによく似ているが、彼女と佐保姫を見間違えることは決してない。
 ふとした仕草やまなざし、面に浮かべる表情が、まったくちがうのだ。
 もっとも、佐保の姫たちを見慣れぬ客人は、どちらがどちらともわからず、そもそも双子姫だと勘違いしている者もいるくらいだ。
「一の王子が宴席にいる。じじいどもの酌など、あいつがすればいい」
 真秀はあきれたように肩をすくめた。
「ほんとうにあんたって、子どもね」
 真澄と比べては、佐保彦を子ども扱いする。真秀とて、ついこの間一人前になったばかりだというのに、ずいぶん態度が大きい。
「真澄をみならったら。兄さんは大王にだって特別に親しくお声をかけていただけるのよ」
 自分のことのように同母兄のことを誇らしげに語る真秀を見ていると、どうも腹が立って言い返さずにはいられない。
「兄離れをしろよ」
「なによ」
 胸をそらして見上げてくる目の光にたじろぐような気持ちがした。まぶしくて、胸が苦しくなる。
「だから、おまえがそうして真澄にべたべたしているから、あいつは気楽に妻問いのひとつもできないんだ」
 佐保彦はきざはしに座り込み、真秀のふくれた横顔をみつめた。
「あいつは、近いうちに大王の妹を妻問いするかもしれない。先延ばしはできないぞ。ずっと返事をかわしているんだから」
 日子坐はわざわざやってきて、誰もふれぬ花のことを戯れごとのように聞かせるのだった。宴などといって、目的はそこにあるのだ。
 傷ついた顔をかくさずに、真秀はうなるように言った。
「きらいだわ、日子坐なんて」
「日子坐の思し召しには誰も逆らえない」
「あんなやつ、大嫌い」
 真秀の声が心底いやそうだったので、佐保彦は少しだけ心が晴れた。
「あたしだって、わかってるわ。大人になったら、一緒にいられないことくらい・・・・・・兄さんが誰かを選ぶのも、しようがないってわかってる。それが政なのだって」
 大きな目からこぼれた涙を、佐保彦は見ないふりをした。
「あんたも、行くの? だれかのところに」
「おれは、いかない。どこにも」
 真秀は間近で佐保彦をみつめた。涙のあとがついたほほを、手のひらでぬぐってやると、真秀は落ち着かない様子で身をよじった。
「真澄の初妻は、和邇すじの姫だったわ。それも日子坐の意向ってやつなのでしょ。あんたも・・・・・・近いうちにだれかと、そのう、共寝をするんだわ」
 真秀らしい飾らない物言いに、佐保彦は吹き出した。
 ふつう、初めての妻は母方の女性がつとめるものだ。父方が出張ってくるところではない。
 笑われたと思ってか、肩を押してくる真秀の手を取ると、あまりに華奢な腕だったことにおどろいて、言おうとしていたことばがどこかに行ってしまった。
「おれの初妻は、伯母うえが決めてくださるんだろう」
 望む人はいるが、好きに選べるとも思っていなかった。
 王族の婚いとはそうしたもので、こうしてたまさか戯れに頭をなでたり涙を拭ってやったりできるだけでもよいと、佐保彦は思い切っていた。
「弱虫ね。欲しいなら、そう言えばいいのに」
 真秀はにらみつけてきた。姫でありながら、真秀には人になれない悍馬を思わせるものがある。だれかが背に乗り手綱を取ろうとしたならば、振り落として後ろ足で蹴りつけかねない暴れ馬だ。
 真秀はすっと立ち上がり、佐保彦に向かって突然笑みかけた。親しげに、おかしそうに。佐保彦は息をのんで、ひかれるように腰を上げた。あまりに二人が近づきすぎていることに気づいて内心うろたえ、あと退りをした。
「逃げるの? あたしはわかっているのよ。あんたの望む人を」
 胸ぐらをつかまれてよろけた佐保彦は、耳元でささやく声を聞いた。
「歌凝姫でしょう」
「だれだって?」
 思わず聞き返すと、真秀はじれたようににらんできた。
「だから、美知主の娘だったら。息長の白珠と呼ばれるあの人のことよ。王宮でおみかけしたとき、どんな顔で姫をみていたか。あんたのあんな顔、見たことないわ」
 佐保彦はばかばかしくなって、鼻を鳴らした。
「ご挨拶をしただけだろう。大王の妃になられた方の異母妹姫なんだから」
(なにがわかっているのよ、だ)
 疲れが肩に圧しかかってくるような物憂い気分で、佐保彦は背を向けた。
「美しいけど、気位が高いのは疲れそうだ。初妻なら、気楽な相手がいい」
「じゃあ、あたしにしたらいいわ」
 冗談にしては笑えない。
 真秀は姉佐保大郎女の娘であり、おおきな霊力をも受け継いでいる。いずれ大巫女として、兄の真澄とともに一族を率いていくだろう。彼女の婚いには日子坐とて口出しはできない。
「ばかだな、おまえは」
 そう言いながら振り返った佐保彦は、言葉をうしなった。
 真秀はまっすぐに、射るように佐保彦をみつめていた。それは、にらんでいるといっていいくらいの激しさだった。頬だけでなく、首筋まで赤く染まった娘の顔は、恥じらいでゆがんでいた。
 細い眉を寄せ、佐保彦の凝視にたえかねたように目を伏せた。
「真秀」
 遅れて鳴り出した胸と、あまりの居心地の悪さに戸惑いながら、佐保彦はたずねた。
「初妻の意味を分かってるのか?」
 ただ横になって寝るだけだと思っているにちがいない。
 何か言い返そうとした真秀は、目を大きくみはった。
 佐保彦には聞こえない呼び声を聞きとめたのだろう。珍しいことではなかった。真秀はわずかに心を残すように、佐保彦をじっとみつめたあと、裳のすそをひるがえして駆けだしていった。
 
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