春日野のまぼろし1

2012.03.09.Fri.04:07
 佐保を永遠に生かす子
 佐保を滅ぼす子

 その予言に真向かっていたら?

 あのうつくしい春日野を四人で眺めるような、まぼろしの日が もしかして訪れていたかもしれない。




 酒の匂いや耳ざわりな哄笑を忘れようと、佐保彦はふかく息を吐き、つかのま目を閉じた。
 友族の訪問は珍しいことではないが、ふらりと父が訪ねてきたのには別の思惑があることを知っているだけに、うとましく思えてならない。
 騒々しい宴の席を抜け出して、ぶらぶらと枯れた竹林の小路を抜けてゆく。神殿のほうへ向かう道すがら、にごり酒のすっぱいにおいや、客人のくだらぬほめ言葉の数々、なまぐさい口臭を振り払うように頭を振った。
 雨上がりの土が陽にあたためられて、萌え出た草の香が立ち上ってくるようだった。鼻がなんとなくむずがゆくなって、佐保彦はくしゃみをひとつした。
 春はたけなわだった。常に葉を茂らせる木々にも、明るい若葉が芽吹くと、やはり冬の色彩とはずいぶんちがう。春日野をはるばると見晴らせば、緑が萌え出た一面の原のところどころに、鳥がいこい飛び交う様子を見て取ることができた。とおくに山桜が咲いている。薄紅の差し色が、あわくけむるような女山にほどこされた化粧のようだ。

 閉じられた佐保の領が開かれたのは、もう二十年以上前のことだ。和邇の日子坐と姉佐保姫が婚いをして、真澄が生まれた。力のある姫巫女の産む子は佐保に永遠をもたらすという予言は、佐保の霊威を疑わない族人にとっては未来にあって、すでに動かしがたい事実でもあるのだ。
 一の王子である真澄は、ゆくゆくは佐保を統べる首長となるだろう。
 弟佐保姫・・・・・・佐保彦の母も、姉姫に遠慮しながらも和邇の王子をもてなし、佐保彦と佐保姫を産んだ。母もまた力のある巫女だ。
 佐保の霊威をたおやかな身に宿す双子の姫を射止めたのは、和邇の日子坐だった。彼は大和の豪族たちの受け継いできたふるい伝承も、土地も持たないながれ者だった。大王のそばでうるわしい笑みを振りまくだけで、何の力も持たない若者のひとりだったのだ。
 しかし、あるとき大王の宴で彼と姉佐保姫は出会い、ほどなくして真澄を授かった。強大な後ろ盾を幸運にも得たながれ者の部族の王子のことを、古きを尊ぶ大和の豪族たちも決して無視はできなかったのだ。
(伯母も母も政の道具でしかない)
 佐保彦には、いくらか胸のふさぐことであった。
(あの人の言う恋とは、単なる手管のことだ)
 日子坐は足がかりを得て、和邇と友族となることをためらう者のもとにも、幼い真澄をともない気軽な訪問を繰り返した。佐保の大郎女を妻とした彼を冷酷に扱えるものはいなかった。
 いつしか、かたくなな大和豪族も心をやわし、ほんの十数年で国の結束はずいぶんと強くもなったのだ。
(めでたいことだ。本当に)
 苦い気持ちで、佐保彦はため息をついた。
 佐保は開かれた。
 希有な霊力は大王のおさめる国を安泰にするためにたいそう役立ち、佐保の存在はすでになくてはならぬものになっていた。畏怖だけではない。和邇を受け入れたその気安さも、今の大王にとっては心強く思えるらしかった。 真澄はそう変わらぬ年頃の大王にとても気に入られている。水ももらさぬように親しくつきあい、王宮でもつねにともにある。やっかんでつまらない軽口を言う者もいるが、なにほどのものでもない。見目のよい若者たちが並んでなにか物言うさまは座に華やかさをそえ、また和邇と大和豪族の結束のかたさを皆人に知らしめることにもなる。
 真澄は若いころの日子坐ににているらしく、その立ち姿は美しくりゅうとしている。物腰はやわらかく、王族でありながらおごり高ぶることがなかった。
(完璧な異母兄うえといったところだ)
 だが、どうにも苦手だ。とらえどころがなく、親しみがわかないのだ。
(真秀のほうなら、まだしもわかる)
 怒りっぽくてすぐ手がでるあの娘は、腹の中の考えがすぐ顔にでる。
 目元を赤くして怒るところがおかしくて、ついつい、つまらぬ言いがかりをつけてしまう。
 しかし、仕方がない。真秀をからかうと、ずいぶん愉快な気持ちになるのだ。



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コメント
初めまして、銀金を検索してきました。完結しないまま終わった作品ですが、大好きでしたので、2時捜索を読めてとてもうれしいです。これからも楽しみにしています。
ありがとうございます!
ななさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
銀金で検索しておこしくださったのですね。
ありがとうございます。
銀金、わたしも大好きです。続きが読めないことがかなしいですが…。

またのおこしをお待ちしています。

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