あなたの生まれた日~狭也

2012.03.06.Tue.13:07
 あれは、ひるまえ、だったかしら。
 朝からいいお天気だったから、庭をたくさん歩いたのよ。
 もうそろそろ月が満ちるころで、いつあなたが生まれてもおかしくなかったわ。
 汗ばむくらい歩いて一息ついたところに、科戸王がいらして、こわい声でこうおっしゃったの。
「そなたは、また一人でそのように出歩いて。侍女が青くなって探していたぞ。産み月だというのに本当にそなたときたら」
 あなたもわかるでしょうけれど、科戸王はお怒りになると国中で一番おそろしいのよ。でも、一番情け深い方でもあります。いいこと、王のおっしゃることを父さまの言葉と同じくらい重く受け止めて、稽古にはげむのよ。あなたももう九つになるのですからね。あら、十だった? ごめんなさいね。
 それで、どこまで話したかしら。
 そうそう、王のこわいお顔を眺めているうちに、なんだかお腹が痛くなってきたの。
「これはいかん」
 科戸王はあたしを軽々と運んで、しとねに寝かせてくださったわ。痛みはすぐにひいたんだけれど、またしばらくすると刺すようにちくちく痛むの。あなたが指でつついていたんじゃないかしら?
 夕暮れのころには、痛みがじわじわ強くなってきたわ。横になっても、座っても痛いの。母さまだって、こわかったわよ、とても。
 でもね、こればかりは誰にかわってもらうわけにもいかないことだったから。それに、はやくかわいいあなたに会いたかったのよ。母さまだけじゃないわ。みんなが、あなたを待っていたのよ。
「狭也や、腰をさすってやろう」
 羽柴のおばあさまがそばにいたから、気がねすることもなくいられたのは、ありがたかったわ。羽柴のおばあさまは、ずいぶん宮の様子に気後れしていらしたんだけれど、産婆としては一番の経験者だということがすぐにわかったの。それで、思い切るともう潔く、見事に采配してくださったのよ。
 右往左往している人たちに仕事を割り振って、わけもわからずけんかを始めた若い人たちをしかりつけたの。痛くてくるしかったけど、みんなの顔がおかしくて、笑ってしまったわ。
 宮の一隅を産屋としたのだけどねえ。産屋というよりは、お祭り騒ぎだったわ。政は昼にはおわりますからね、近くの庭に宴席をもうけて、もう日暮れの前から酔っ払った人たちが笑ったり、それをどなりつける声が聞こえてくるくらいだったわ。
 どなっていたのは、科戸王でしょうね。声もかれんばかりに、叫んでおられたわ。たいそうお怒りのようで、聞いているほうも身が縮んだわ。母さまも、娘のころにはずいぶん王には叱られたもの。
 ともあれ、ほどなくして外は静かになったわ。
 鳥彦がやってきて、言ったの。
「宴会はよそでやるって。身を慎むつもりはないみたいだね、ほんとうにあきれちゃうよ。でもさ、葛木や山城のおっさんが騒ぐより、科戸王の怒鳴り声のほうがうるさかったんじゃないかと思うけどね。狭也、大丈夫? いたいの。できることなら、ほんと、かわってやりたいよ」
 羽柴のおばあさまは、あきれてため息をついていたわ。
「鳥の王さま、ここは男子禁制でして」
「やっぱりだめ?」
「はあ。いけません」
 かあさんは・・・・・・羽柴のおばあさまは鳥彦がどうも苦手のようだったけど、あの困った顔はおかしかったわ。
 そうこうしているうちに夜が更けて。
 ようやく明けたころに、あなたが生まれたの。

 父さまはあなたの泣き声にたいそうびっくりして、きざはしのところで転んでしまわれるほどだったのよ。鼻をぶつけたのか赤くして、角髪もひどくまがっていたわ。
 おかしいでしょう。ふだんあわてることなどほとんどない人なのにね。
 産屋のいましめなどかまわずに、父さまはあなたを近くでごらんになったわ。指先で、あなたのほほをつついたの。おそるおそる。
「赤いな」
 と一言おっしゃって、あとはじいっと見つめておられたの。
 あなたは笑っているけれどね。生まれたての子は、みんな火の玉みたいに赤いといいます。だから赤子ともいうのでしょうよ。命がけで狭い道を通ってこの世に出てくるのは大仕事よ。それをやり遂げたんだもの。ほんとうにがんばったわね。 

 あら。呼び声がするわ。
 科戸王ほどの剣の達人が稽古をつけてくださるなど、ありがたいことよ。いくつかすり傷をこさえたからと言って、すぐに泣いてはだめよ。あなたはもう十なのですからね。
 でも、たまになら泣くのもいいことよ。
 内緒だけれど、父さまも泣き虫なの。
 ほんとうよ。だから、秘密にしておいてちょうだいね。

 そうね。母さまも、あなたが大好きよ。

 さあ、そろそろお行きなさい。
 まあまあ、今日もいいお天気だこと。

 あなたが生まれた日も、ほんとうにきれいに晴れた、よい日だったわ。  

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