祝言の日まで21

2011.06.11.Sat.02:05
凍てついた冬はいつしか過ぎ去り、春がおとずれた。花がそこかしこに咲き、木々は緑の葉をしげらせ、時折吹く風に揺すられて春の香りを鼻先に運んできた。
 やがて日はまぶしく、昼が長くなってくる頃には、あらたな宮も出来上がった。太い真木柱の立てられた、無骨だが立派なそのたたずまいに、皆が感嘆したのだった。
 はじめはにらみ合っていた輝と闇の人々は、ともに働く日を重ねるごとに、お互いを認めることもやむなしと感じているようだった。
「すべてはあなたがたのお父上が力を尽くしてくださっているからね」
 狭也は広間を眺め、心の底からそうつぶやいた。
 花橘を腕に抱えた由津は、恥じらったように頬を染めた。
「もったいないお言葉です。狭也さま」
「大王のおつくりになるお国の御ためですもの。父も喜んで働いております」
 つんとした表情の山城の姫を見やって、狭也はほほえんだ。葛木王の娘、由津と山城王の娘、一の姫。ふたりは狭也の侍女としてつかえているのだった。
 由津は女主人のように葛木の館を取り仕切っていたし、山城姫もかつては月代方の采女として仕えていたこともあり立ち居振る舞いや仕事ぶりは申し分ない。
「そうね。山城王はおかわりなくいらっしゃるかしら」
 真木柱に触れながら狭也はたずねた。
 狭也を脅したこともある山城王は、なぜかその後じつに協力的になり、狭也への心遣いも見せてくれるようになった。稚羽矢にそう話すと、軽く笑むように、「そう」と言っただけだった。この間、王が稚羽矢と話しているところをみかけたが、山城王はしきりとのどに触れ、青ざめた様子だったから気にかかっていたのだ。
「父は息災でございます」
 山城の姫は会ったばかりのときは口もきいてくれなかったが、それでめげる狭也ではなかった。少しづつ近づき、あるときは放っておき、そうしているうちに軽口も言い合えるようになったのだった。
「狭也さま」
 由津が声を上げた。どこからか飛んできて狭也の胸元にとまったのはちいさな白い蝶だった。外はよい天気で、御簾もすっかりあげているからどこからか迷い込んだのだろう。
「花の蜜を吸いにきたのかしら。あの人もお腹をすかせて帰ってくるとよいのだけど」
 橘の花を眺めて、狭也が言うと、由津はため息を吐き出した。
「申し訳ありません、狭也さま。我が父が大王を牧にお誘いしたばかりに。本日は大切な日であらせられるというのに」
 狭也は笑った。
「稚羽矢が牧と聞いたら黙っていられるわけがないのよ。それにこのところ、政で朝から晩までつめていたこともあるし」
「今日が祝言だと、お忘れになるくらいの出来事なのですわ、大王におかれましては」
「口がすぎるわ」
 由津が山城姫の裳裾を踏みつけると、よろけた姫は顔を赤くして怒った。
「何をなさるの。これだからいなか者は」
「ふん、そんなに長い裳裾で仕事ができますか。これだから、ひいさまは」
 どちらも負けてはいないので、狭也はしばらく口を挟まないことにした。まほろばにあって、羽柴の里での女同士のおしゃべりが思い出されるなんて、ふしぎでもあり、ありがたいことでもあった。
 今日の夕刻には、この広間は大勢の人々で埋め尽くされるだろう。そして、大王の祝言が執り行われるのだ。
 どこか他人事のようなうそさむい気持ちで、狭也ははるか向こうの御座をみつめた。
「ここにいたか」
 大方の準備は終わろうとしたころ、人気もない広間へ現れたのは、科戸王だった。狭也は会釈をすると、笑いかけた。
「お帰りですか。あの人はどうしています」
「どこかへ行ってしまった」
 困った表情をすると、王の近寄りがたさがなくなるのが不思議で、狭也は思わず笑ってしまった。
「まあ。あの人ったら、また何かを見つけたのかしら」
「わからん。見失ったのだ」
 侍女たちが仕事で離れたのを見ると、王はほんの一歩、進み出て狭也をみつめた。
「しかし、あやつも時というものを知っている。刻限までには戻ってくるだろう」
 王が差し出したのは、細いが白い花をたわわに付けた橘だった。よい香りが鼻をかすめて、思わず目を閉じた。
「そなたに似合う。その姿も、香りも」
「お心遣い」
 それ以上、言うことができなかった。きつく抱きしめられたのだ。思いがけないことに、わき起こってきたのは温かな情、なつかしいような安心感だけなのだった。
 ひどく聞き取りにくい声で科戸王は言った。
「そなたは迷いながら道を選びとる。その後に多くの者が続くだろう。だからこそ、迷いにつけ込む卑怯者を許すな」
 自嘲の響きを聞き止めて、狭也はたずねた。
「まさか、あなたが卑怯だと?」
「稚羽矢がただびとらしく、そなたに思いを懸けることができると知って、どうしようもなくあやつを憎んでしまう。そんな自分をも憎まないではいられぬのだ」
「王、あたしがこうしていられるのは、あなたのおかげなのだと、ご存じでしたか」
 このひとを苦手だと、おそろしいと思った自分は幼かったのだと、はっきりと狭也は悟った。
「あなたがくださった宝のことを近頃よく考えます。あの剣に出会わなかったら、とも」
 秘めておくつもりだったが、おそらく今、言わなければならないことだった。
「あたしは剣の巫女として運命づけられた娘です。ですが、あなたのくださった妻問いの宝が、あたしに思い出させてくれたのです。あたしも、想い想われるというありふれた幸せを望んでもいいのかもしれないと。いいえ、望んでこそ、あたしはあたしでいられるのだと」
 話すうちに、胸でつかえていた苦しさが溶けていくようだった。そして、その後に残るのは覚悟にも似た晴れやかな気持だ。
「稚羽矢への気持ちは、恋ではないのかもしれません。夢を見るには、あまりにも背負うものが重すぎます。でも、あたしはもう二度と見失わないと決めたのです」
 ゆっくりと腕が解かれ、狭也の手には花橘の枝だけが残った。王は、すぐに背を向けてしまわず、しばらく狭也を見つめていた。
「そうだ、それがそなたなのだな」
 笑った王の顔を見たとき、胸が確かに痛んだ。痛むのは、王に言えるはずがない一言がまだ残っているからだと、狭也は気づいていた。
(剣に出会っていなかったら、あたしは。このお方のやさしさに気づいていたなら)
 言ってもどうしようもないことだ。
 そのかわり、かげりのないほほえみを返して、狭也は橘を強く握りしめた。


 
 どこを歩いてきたのか、帰ってきた稚羽矢はすっかり泥だらけで、解けかかった角髪には葉っぱがからまっていた。
 狭也は呆れるよりも腹が立ち、彼をにらんだ。
「あなたときたら。そんな姿をしている人が大王だなんて、皆がどう思うでしょう」
「さあ」
 稚羽矢は首をひねった。
「少し汚れたが、これでも気をつけた」
 上等な衣にいくつもひっかき傷をつけたのに、少しも頓着しない稚羽矢に、狭也は怒る気も失せて、そうそうに人払いをした。
 今朝は突然、牧に行くと言い出して、昼過ぎに帰ってきたかと思えばどろどろが衣を着て歩いているような目も当てられないこの始末だ。
 身につけていたのは上等な布で仕立てられた、おろしたての衣なのだ。薄物の襲などは、破けたり、すすきのように毛羽立ったりしている。牧を見るだけならまだしも、山野を歩き回るなんてどうかしている。
「もう。破けているわ」
「縫えばいい」
「稚羽矢は忘れているの?」
 狭也は声を上げた。
「今日はいろいろと相談したいことがあったのよ。なのにあなたは気軽に出かけてしまうし、もうすぐ大勢の人がやってきて挨拶もしなければならないわ。あなたの髪や体の泥を落として身を整えていたら、間に合わないではないの」
「待ってもらえばいい。今日は皆ほかに用事もないだろうし」
 のんきな稚羽矢を前にして、狭也はため息を吐いた。
「どんなおもしろいものを見つけたの?」
 稚羽矢は満面の笑みをみせると、狭也の目の前に、かごをさしだした。その中はビワやヤマモモでいっぱいだった。
「きらいか?」
 稚羽矢が野山を探し回ったのは、狭也に果実を食べさせたかったからなのだ。ふとこみあげたおかしさに、狭也は思わず吹き出した。
「あなたときたら」
 こんなに集めるのはそう簡単なことではない。
「誰かに頼めばよかったのに」
 そう言う言葉がするりと出てしまうところ、里娘であった頃の自分が聞いたら目を丸くするだろう。
「狭也への贈り物だ。玉も衣もわたしにはよさがいまいちよくわからない。狭也は似合う物をもうたくさん持っているし」
 角髪についた葉っぱを取っていると、稚羽矢はひっかき傷のついた手で狭也の頬を軽くなでた。
「あけびはその季節ではないし。あなたがおいしそうに食べていたのを思い出して、なにかよい物がないか探したかったんだ」
 付け足すように稚羽矢はささやいた。
「一つ身ではない狭也を遠くへ連れていくわけにもいかないだろう?」
 狭也の腹に目を落とし、稚羽矢はそっとなぜた。
「狭也に見せたいきれいな沢をみつけた。いつか連れていこう」
 押し黙った狭也を案じるようなまなざしを見ては、もうがまんは出来なかった。
「そうね、きっといつか行きましょう」
 声がふるえた。背負うものが重過ぎる、恋ではないのかもしれないなんて、とんでもない。
 目の前に立つ人の示してくれる思いやりは、どんな美しい宝よりも繊細な織物よりも得がたいものだ。稚羽矢は何も変わっていない。そしてこれからも変わらずにあるところを、今ほど好ましく慕わしく思ったことはなかった。
「きらいか」
 涙をこぼした狭也を前に心底あわてたように言うのもおかしくて、うれしくて、狭也はほほ笑んだ。少し後手になったものの、妻問いの宝はビワやヤマモモだったと、いつかお腹の子に話して聞かせる日が来るだろうか。
「すきよ。あなたが手ずから取ってきてくれたものが、おいしくないわけがないわ」


 祝言はその日盛大に執り行われ、にこやかな大王と初々しいその妻は人々に嘉された。
 折りしもその夜は満月の美しい晩で、清浄なる月の光は二人の門出を、ひいては新たな国の始まりを見守るように皆人のうえに降り注いでいたのだった。 
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