春着の子2

2012.02.28.Tue.04:01
 若草が萌えでた川の土手べりに寝ころんでいた人影に気づいて、藤太は目をみはった。
 阿高の息子はどこにいてもすぐにわかる。明るい髪と、そう大柄でもないのに背筋が伸びているから、しゃんとして見栄えよく、よく目立つのだった。それが背中をまんまるにして、膝を抱えて川面を見つめている。
「おい、田島にしかられたか」
「ほっておいてよ」
 顔を背けて、うなるように言った。
「親父のたくらみに腹が立つんだ」
 どこからか都行きのことを聞いたのだろう。茂里から便りが来たのは去年の冬だった。くだくだ言わず、都に遊びに来いと、ただそれだけ書かれた文のことを藤太は思った。
「行きたかったんだろう、都へ」
 藤太はたずねた。肩に受けた古傷は痛むことはもうないが、触れるとしびれるような不快な感じがする。藤太にとって、都とは不安をかきたて大切なものを奪おうとする腹立たしい存在でしかなかった。
 住む人々の顔がよく見えない、どこか不気味で陰鬱な大きな化け物のようだとさえ思う。阿高の息子が都にひかれるのが、だから少し心配でもあり、鈴の息子でもあることを考えると、当然かもしれないとも感じる。
「行きたいけれど」
 腹を立てているときには、父親そっくりのしかめつらになるところがおかしい。
「母さんが心配だ」
 大きくなっても母のひざが恋しいのかと、言い掛けて藤太は口をつぐんだ。いつも元気に跳ね回っている若馬のような子が、こんなにうなだれているのを見るのは初めてかもしれない。
「親父はしようがない人だよ。おれを遠くにやれば、母さんを一人占めできると思っているんだから」
「まさか、それはないだろう」
 藤太はあきれて息を吐いた。夫婦になってもう十年以上たつというのに。その間に子がうまれ、これほど大きくなった。藤太にも同じ年頃の子がいるが、はねっかえりのおしゃべりで、いつも笑わせてくれる。
「田島のじいさんだって、そう言ってるよ。本当は通いでもよかったのに、親父が住み込みにしろと言ったんだ。都へだって、行ったらすぐには帰ってこられない。おれを遠くにやりたいんだ」
「・・・・・・行くも行かぬも、おまえが決めていいんだぞ」
 土手に腰をおろし、藤太は伸び盛りだがまだいくぶん頼りない背中をたたいた。
「おまえももうすぐ大人だ。行きたいところへ、どこでも行ける」
 阿高がおそるおそる、顔をこわばらせてこの子を腕に抱いた日のことを藤太は今でもはっきりと思い出せる。やわらかであまりに小さい赤子を、どんなにかやさしい目で阿高はみつめていたことか。
「口には出さないが、おまえのことを大切に思っているよ」
「そうかな」
「そうさ。牧にいくんだろ。一緒にこい、みやげに芋もあるぞ」
 弾かれるように立ち上がった子を伴って歩き出すと、ふと昔にこうして阿高と歩いた道のことが思い出された。
(どこまで続くんだろうな、この道は)
 いつか子どもたちは大人になって、連れ合いをみつけるだろう。そうしてその子らが、また緑わきたつようなこの土手べりを転げ回って遊ぶのかもしれない。藤太と阿高がそうしたように。
「誰がつまと、ならんとすらん、春着の子」
「なんか言った?」
 口をぽかんとあけて振り返った顔がおかしくて、藤太は声を上げて笑った。
「恋しい人はいるのか?」
「いるわけないだろ、そんなもん」
「なんだ、一人もいないのか? おまえぐらいの年には、おれはとっくに朝帰りしていたぞ」
「藤太おじはくれぐれも見習うなと、親父に言われた」
「生意気だな」
 むずかしい顔をつくってみても、すぐにこらえきれず笑み崩れた。
「まあ、はっきり言ってその通りだけどな」
「なんだよ、しまらないなあ」
 ふたつの笑い声が、高い空に響きにじんで消えていく。
 春の盛りのそんな日だった。 
関連記事
コメント

管理者のみに表示