季節は初春のころだった。
 融と一緒に瑠璃さんの部屋をたずねると、ぼくはぎょっとしてしまった。御簾のうちにかしこまって、脇息によりかかった瑠璃さんは、言葉もすくなく物憂い様子だったのだ。
「一緒に遊べないや、ごめんね」
 ため息がこぼれる気配に、ぼくは落ち着かない気持ちになった。しらない人の部屋に無礼にもあがりこんでしまったような、居心地の悪さだけがあったんだ。
「風邪? つらいの」
 よせばいいのに、ぼくも聞いてしまった。すると瑠璃さんは、すこうしだけ笑った。
「瑠璃は一人前の女なの。もう、遊べないのだって」
 ぼくは殴られたような気持ちで、「あ、そう」と言った。融はあっさりしたもので、すぐに部屋を下がって渡殿のほうからぼくを呼ぶ。
 ついこの間まで、大納言家の広大な庭が狭く感じられるくらい、昼から晩まで駆け回って一緒に遊んでいた人が、そんなことを言う。ぼくはなんだかひどく腹が立って、それでも懐に忍ばせたものをふと思い出して、口をつぐんだ。
「高彬、もそっと、こっちにおいで」
 ささやき声がした。御簾の下の方をほんの少しだけあげて、瑠璃さんの小さな手がぼくを招いている。ひどく戸惑って、すこしこわいような気持ちさえして、ぼくは身を引いた。
「ねえったら」
 じれたような声がして、御簾の向こうの人がすっくと立ち上がった。ぼくはきびすを返して逃げ出そうとしたけれど、運悪く半尻のすそのほうをつかまれてしまった。振り返ったぼくは、目をみはった。
 髪がじゃまだと言って、いつも前髪をさっと耳ばさみにしていた人が、きれいに髪をたらし、残りは背中にすっと流している。それだけでもずいぶん感じが違うというのに、どこか恥じらうようにみつめられて、ぼくはなにも言えなくなった。今思うと、瑠璃さんは鏡のようにぼくの表情をうつしていただけかもしれない。
「ほら、なんて顔してるの。そんなに瑠璃と遊びたかった?」
 顔をそむけると、手に何かを押しつけられた。懐紙に包まれているのは、菓子だ。
「食べなよ。ちょぴっとだから、融には内緒。高彬、またおいでね」
 にこっと笑ったのはよく知った人の顔で、でも、もうわけもわからず恥ずかしくて、見かえすことなどできなかった。あいさつもそこそこに飛び出て、渡殿をぶらぶら歩きながら、ぼくはため息をついた。懐に手を差し入れて、しおれかけた一輪の花をつまみだすと、さんざん迷った末に瑠璃さんの部屋の前まで戻って、そっと花をおいたんだ。
 気配に気づいて女房がいざり出てくるまえに、ぼくはそっと柱のかげで息をころした。
 すぐに瑠璃さんの驚いたような声が聞こえた。わくわくしたうれしい気持ちは、でもすぐにしぼんでしまった。泣き声が漏れ出てきたのだ。晴れやかな空が急にかき曇り、ざあざあと雨が降るように、瑠璃さんは泣いている。おつきの人たちが必死になだめている。ぼくは何かとんでもないことをしでかしてしまった、泣かせてしまったと動転しきって、逃げ出した。
 なんだよ、泣くことないじゃないか。
 うちの庭に、菫が咲いていたんだよ。ちいさなかわいい花だったから、瑠璃さんにも見せたかっただけなんだ。
 それだけだったんだ。
 瑠璃さんの笑顔と、ひんやり冷たいような手の感触。そして、悲しみのままに泣く声を聞いて、胸が痛んだ。
 泣かないで、ごめんなさい。心の中で、何度も繰り返した。
 菫が、亡くなった吉野君との思い出の花だと知ったのは、ずいぶんあとのことだ。

 なんというか、ようするに。
 ぼくはたぶん、あの日、瑠璃さんを好きになったのだと思う。
 

 つつゐつの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹(いも)見ざるまに    伊勢物語 二十三段
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りえ

Author:りえ
基礎絵本セラピスト®
妖怪博士(中級)
漢方養生指導士(初級)

養生とは、生命を養うこと。
健康を保ち、その増進につとめること。

絵本セラピーで心をほぐし、ときに妖怪でほんわかし。
漢方の考え方で身体をやしなっていきます。

無理しない、頑張らない「養生」日記です。

古代日本好き。


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