手のひら

2012.02.24.Fri.04:52
 青く高い空を、小倶那は見上げた。
 手のひらをかかげると、青空と自分の手との境目があやふやになり、とけいりそうな不思議な気持ちがするのだった。
「小倶那」
 すこし怒ったような、どこかほっとしたような呼び声がして、小倶那は振り返った。唇をぎゅっとつぐんだ遠子は、まっすぐににらみつけてきた。
「ひとりでいなくなるのはよして。もともと、わたしが叱られたのに、どうして小倶那が落ち込むことがあるの?」
「落ち込んでなんかいないよ」
「うそよ。じゃ、どうして一人でこんなところに突っ立っているの?」
 里のはずれの小川のそばには、二人のほかはだれもいない。遠子は小倶那の手を取って、強く握りしめた。
「ねえ、遠子のことを怒っているの」
 小倶那はびっくりして彼女をみつめた。ふっくらした頬はすこし赤い。息もきれている。小倶那を探し回ったのだろうと思うと、すまない気持ちになった。
「遠子は悪くないよ。ぼくがオグナなのがわるいんだ」
 思い切って、小倶那は言った。
「ぼくが女の子だったら、あんなには怒られなかったと思うよ」
「どうして。一緒に寝るのがそんなにいけないの?」
 正直を言って、小倶那にもどうしてあれほど母に叱られたのかよくわからないのだった。去年の冬までは遠子と背中をくっつけて眠るのがふつうだったし、それが今年はどうしていけないのか、小倶那もほんとうにわからない。十三になって、何が変わったとも思えないのに。
 いいや、遠子は少し変わったかもしれない。
 ときどき小倶那がびっくりするくらい強い目をするときがある。大人たちには単なるわがままだと見向きもされない主張を遠そうとするとき、(それは主に小倶那に関することだったが)一歩も引かずに輝く目で相手をにらみつけるのだ。見慣れた面差が、おかしなことに知らない子のようにみえて、小倶那は息が止まる心地がするのだ。
「大人がそう言うんだもの。しかたないよ」
「勝手よ、大人なんて」
 遠子は小倶那をみつめた。ぬっと顔が近くなって、ほとんど頭突きをするくらいの勢いでおでこをぶつけた。
「はやく大人になりたい。そうしたら、自分のことは自分で決められるもの。あれこれお小言をちょうだいするのはまっぴら」
(大人になったら・・・・・・)
 遠子の息づかいを聞きながら、小倶那は目を閉じた。
 こうしていつまでも一緒にいられるだろうか。
 ある日突然、あたりまえだと思っていたことがそうではなくなって、遠子はどこかへ行ってしまうかもしれない。
「遠子は、大人になりたい?」
「もちろん。大巫女さまくらい長生きして、若いのをいじめたりつっついたりしたいわ」
「・・・・・・ふうん」
 よくわからなくてあいまいに返事をすると、遠子は笑った。
「小倶那も、わたしと同じくらい長生きするのよ」
「長生きかあ。長老くらいのお年寄りになるまで生きるのって、大変そうだけどな。腰も痛くなるらしいし。ぼくにもしろい髭が生えるかな」
「生えるわよ。編めるくらい長いのが」
 顔を見合わせると、どちらからともなく笑い出したのだった。

 あまりにきれいな青空だったのでぼおっと見上げていると、誰かが小倶那の一つに結んだ髪の毛をひっぱった。
「吸い込まれてしまいそうな空ね。本当にいいお天気」
 振り返ると笑顔の遠子がいて、小倶那はつられて笑みをこぼした。
「昔のことを少し思い出していたんだ。すこしだけ」
「そう」 
 遠子はささやくように言った。
「手をかざしてごらんなさいよ、あのときみたいに」
 熱心にうながすので、小倶那はそろそろと腕を上げた。高く掲げた右手は、いつかの思い出の中よりずっと大きい。白っぽい初夏の日差しのなか、小倶那は目を細めて指のすきまからのぞく空をみつめた。
 子どものころとは何もかもがちがう。無力なオグナは、豊葦原において最強にして最悪の力を掴み取り、そうしてそのかわりに大切なものを失った。たったひとつの故郷を。大切な人たちを。
「何が見える?」
 遠子はそばに立ち、頬をよせてともに空を見上げた。
 幼いころ、空に溶け込みたかった。青い青い空にははてがなく、どこまでもどこまでもゆけそうだったから。
 地上のことごとをすべて振り切って、天へいけたらと。
「今でも、女の子がよかったって、そう思う?」
 おどろいて、小倶那は遠子をみつめた。すると彼女は得意げに胸をそらした。
「やっとわたしをみたわね。小倶那ったら、ひとりでいなくならないでと、もう一度言うところだったわ」
「ぼくは、ずっとここにいたよ」
 逃げ出したように言われてもこまる。
「あなたは言ったわね、オグナなのがわるいって。いまでも、そう思う?」
 すこし心配そうにたずねる遠子を、小倶那はみつめた。手を下ろし彼女の頬をなでると、顔を傾けてそっと口付けをした。息をのむ音を聞くと、日も高いのに浮ついた気持ちになる。小倶那はすうっと深く呼吸をした。
「ぼくは、ぼくでよかったよ」
 自分のことをほとんど見限り、死を一途にもとめていた小倶那を、この人が見つけ出してくれた。
 まほろばの皇子への憎しみをのりこえて、剣に翻弄されていた小倶那に手をさしのべてくれた。
「今ではそう思える。きみのおかげだよ」
 遠子は小倶那の手に、いくぶんちいさな彼女の手をかさね、ことばもなく微笑んだ。 
 
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