妻問い~科戸王

2012.02.22.Wed.05:40
「何をしにきた? ここはそなたが来るべき所ではない」
 冷ややかなまなざしで、科戸王は言った。
「もはや、わたしが死んで潔白を明らかにするか、今すぐにでもここを去らねば人々は納得するまい」
 それを聞いた人が、驚いたように目をみはったのがわかった。
「申し開きをしないというのですか」
 籠め室の中は昼なお暗く、訪ねてきた人が立つ戸口から差し込んできた光がやけにまぶしく見えて、王は目を細めた。
「卑怯だわ」
 ささやく声に苦笑いを返した。
「・・・・・・卑怯か」
 罪人のように籠めおかれ、ひとり静かに座していると、様々な思いがこみあげてくる。浮かんでは消える記憶と、怒り憎しみ。しかしそれも三日目ともなると、濁流のような激しい感情のしたに沈んだ、あきらめがあらわれてきたのだった。
「なんとでも言え。いささか疲れた」
 狭也は足音も荒く室に踏み込み、王の目の前にひざをついた。まっすぐに見つめてくるまなざしが、日差しにおとらずまぶしくて、王は顔を背けた。
「あたしを見るのよ」
 狭也は厳しく言った。
「あなたは、一時の欲のようなもののために誰かを害するような方ではありません。いまさら言うのも腹が立つわ」
 王はかすかに唇をゆがめた。
「だとして、どうする。真実を言えるか」
 狭也はひるんだようにまばたきをした。そんな仕草すら胸をさわがせる。いまだにこの人への思いに引きずられている自分に驚きながら、王はつぶやいた。
 祝言の日から、もう四年がたとうとしている。その間に、いろいろなことがあった。稚羽矢と狭也の間に、まだ御子はない。そのことが大王の御代にさす、小さくはないかげりなのだった。
 五日前の晩、一人の娘が命を落とした。
 ふつうの死に方ではない。何一つ身につけず、結った髷はむざんにもこわれていた。放るように宮のはずれの池に打ち捨てられていたが、娘の父はなぶられ死んだ娘がかつての闇の者の手に掛かったにちがいないと、決めつけたのだ。娘が青白い手に握っていたのは、肩掛けにする織物だった。ふたつとないその模様を見れば、大王の妃がいつぞや織らせた布にちがいなく、それを闇の氏族の王たちに与えたともなれば、あわれな娘の父が言うところの犯人はあきらかだった。
「あの日、開都王はまほろばにはおられませんでした。あなたも、どこにいたかはあたしが知っています」
 科戸王はうめくように言った。
「それ以上言うな。やつらの思うつぼだ」
 五日前の晩、稚羽矢は開都王とともにまほろばを離れていた。科戸王はほんの慰めにと、狭也に笛を吹いて聞かせた。だれか、それを見ていたものがあったのだろう。妃と科戸王がその晩共にいたと、狭也の口から言わせたいのだ。あまりの不愉快さにへどがでる。
 人死が関わっていて、それが豪族の郎女となれば罪人を引き出さないわけにはいかない。うやむやにはできないのだ。
 あわれなのは娘だ。池から引き上げられたむくろを見たとき、王の心は一瞬にして戦場にいたころに引き戻されてしまった。力のないものが踏み蹴散らされ、泣くひまもないうちにあえなく事切れていくさまを、これまで何百何千と目にしてきた。
(なにが新しい国だ・・・・・・戦はまだ終わっていないではないか)
 身によどむような疲れを振り払えず、王は拳をにぎった。
 子があれば、だいぶ状況は違っていたろう。
 稚羽矢がほかに妃を娶らざるをえなくなったのも、二人に子が授からなかったからだ。こればかりは、どうしようもない。人の生き死には、思い通りになるようなものではないのだから。
 稚羽矢の怒りを受けようとも、彼らは大王の寝床からなんとしてでも狭也という邪魔者を追い出したいのだ。彼らの思いのままになる后の子を、唯一の日嗣の御子とするために。そのためなら、犠牲を喜んで差し出すようなやつらなのだ。嫌悪感に王は唇を引き結んだ。
「あたしに至らないところがあったのです」
 激しい目で狭也は言った。
「あの人を解き放つべきなのかもしれない。今まで、どうしてもその勇気がありませんでした。それは、あたしが弱かったからだわ」
「そなたはよくやっている」
 それしか言えないふがいなさが悔しかった。
「もう行け。わたしにかまうな」
 王は狭也を見つめた。まぶたの裏に焼き付けるように、そらさずにじっとみつめた。
「稚羽矢を見限るな。あやつは、そなたがいなければ光を奪われたもおなじだ。そばにいろ。・・・・・・そばにいてやれ」
 絞り出すようにつぶやいた言葉に、狭也は泣きそうな顔になるとうなずいた。
「そばにいます」
 一瞬、呆けたようになって王は目をみはった。ひざを床につき両手をのばし、狭也は王の頬をはさんで上向かせた。三日の軟禁に甘んじた男の顔に何を見たのか、狭也は唇をふるわせ、嗚咽をのみこむように引き結んだ。
「必ず疑いをはらして見せます。氏族の王であるあなたを、失うわけにはいきませんもの。もうわたしの愚かさのために、失いたくないのです」
 ひたいにやわらかなものが触れた。息が止まりそうになった。そば近くに見えた彼女の首元に、どこかで見た覚えのある管玉がさがっているのをみつけたのだ。
「・・・・・・どういうつもりだ」
 いつぞや贈ったものだ。贈ったことすら忘れていた。
「おぼえていらっしゃいますか」
 挑むように見下ろしてくる。かすれた声で王は言った。
「そういうところが、浅はかだというのだ。まだ持っていたのか」
 恥じるように狭也はうつむいた。
「恨まれてはいやですから」
 深いため息とともに、科戸王はささやいた。
「弁明などできなくなる。頼むから、早く行け」
「あら、弁明なさるの?」
 狭也はやさしくほほえんだ。この人にどんな場面であれ勝てる気がしない。目を見合わせたときから、すでに勝負はついているのだ。
 物憂さがどこかに行ってしまったことに王は気づいて、あさましさに我がことながらあきれてしまった。狭也が出て行くと、再び戸は閉ざされ、薄暗闇のうちに閉じこめられた。
 唇が触れたひたいを手のひらで押さえると、体がふるえた。腹の底からわき起こるおかしさがなんなのか、よくはわからなかった。
 生きるのに飽いていたまさにこのときに、数年前の不器用な妻問いに恋しい人がこたえてくれるなど、思いもしなかった。
 手に入らなくてもいいと、あきらめていた。それでも、思いは消せなかったのだ。いつからか、それでもいいと執着するのはやめた。あまりに苦しかったのだ。かわりに、目で追うことだけは自分に許した。
 この年月のうちに、狭也は美しくなった。喜びだけではない、悲しみや痛みも彼女を美しくした。玉に刻まれた傷さえも、王にとってはまぶしいものだ。
 恥じらいながら、恨まれたくないと言った狭也の顔をまぶたに刻むことができただけでも、十分のような気がした。
 科戸王は額にあてた手のひらを、唇に押し当てた。
 
 
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