若菜摘み

2012.02.21.Tue.12:00
  正月から幾日かが過ぎたある日、郡のはずれの丘に出た人々は手に手にかごをもち、歌いながら菜を摘んでいる。
 若い者たちがむつまじく、にぎやかに笑いさざめくのを見ると、じつにほほえましく明るい気持ちになるものだ。
 寒さにふさいだような物憂さを、女たちの明るい笑い声がぬぐいさる。男衆のきびきびと立ち働く姿は、己の若いころを思い起こさせて、つい苦笑いももれる。
 先頃、二人の娘が竹芝にやってきた。娘たちは戸惑いながらもじきにここでの暮らしにも慣れ、それぞれの夫の世話にこまごまと心を砕いているようなのを見るのも好ましかった。
(ふしぎなものだ)
 藤太はともかく、孫の阿高が嫁取りをし、ふつうの顔をして屋形で暮らしているのが、まだどこか信じられないような気もする。鈴という娘を連れ帰り、無事に祝言をすませた今、なにを憂うこともないというのに、総武はどうも気がかりに思えてならない。
(あれが都の娘を連れてくるとは)
 どこからどうみても、ふつうではない。皆は黙っているが、そうなのだ。ただ立っていても、醸し出すものが違う。ふと、亡き長男もこのような異質な娘を娶ったのではないかと総武は考えた。
 武蔵の国中をさがしてもいないような、まったくこことは異なる場所に立つ存在に、知らずひかれて手を取ったのではないかと。
(はてさて、故郷が恋しくならねばよいが)
 若菜摘みに楽しげな声を上げる人々を総武は目を細めてみつめた。
 土は黒ぐろとしている。溶けた雪のしたに枯れ残った去年の草床から、いっきに芽吹いてみずみずしい葉を広げた春菜は、摘むのがおしいと思えるほどだった。若い者から年寄りまで、手籠をさげてへらを持ち、思い思いの場所に身を屈めている。
 総武もいくらか摘んではみたが、口を動かしながら手も休めない女たちにいつしかかごを取り上げられ、手持ちぶさたに腰を伸ばしたところだった。
「鈴!」
 厳しい声が野にひびいた。何事かと思って首をめぐらすと、小川の流れにすっかり腰をおろした娘のもとに、阿高がかけつけるところだった。
「どじだな、おまえは」
 渡してある板を踏み外して、川の中に尻餅をついたのだろう。川縁に引っかかっていたかごを取りあげると、水気を振りきりながら阿高はため息をはいた。
「せっかくの菜が、流れてしまったじゃないか」
 手を貸して鈴を立たせ、阿高はしかりつけるような声で言った。
「もっと周りをよく見ろよ。危ないぞ」
 うなだれて言い返した娘の声は小さく、よくは聞き取れなかった。
 嫁が在所になれるよう、阿高は誰よりも心を砕いている。ときに、それがいきすぎた叱責につながることも心配事のひとつではあった。
「さあ、取り直そう。菜がないあつものは、味気ないぞ」
 顔を上げた鈴は、なぜかにこにこして、阿高をみあげた。その目にはかげりのない明るさがある。
 屋形にともなわれて来たばかりのころは、どこか不安げにうつむいていることが多かった娘が、いつのまにこんな明るい笑顔をみせるようになったのだろう。
(・・・・・・これはこれは)
 鈴が何事かを阿高の耳元にささやいた。
 すると、阿高は見ているほうが驚くくらい晴れやかな笑顔になって、おかしそうに笑い出したのだった。何の憂いもなく、ただ楽しそうに、おかしくてたまらないように、阿高は笑っているのだ。
「親父さま」
 いつのまにそばに来ていたのか、藤太が横に並んで、感じ入ったようにつぶやいた。
「何をひそひそ話しているんだろう。おれだって、一言で阿高をあんな風に笑わせることなどできないのに」
「妻を得るということは、いいことだな」
 ひとりごとのようにつぶやくと、藤太はうなずいた。
 向こうで呼ぶ阿高に手を振りこたえ、目礼すると藤太は駆けていった。足を滑らせて転びかけ、千種があわてたように走り寄るところだ。
「・・・・・・いいことだ」
 二連はそれぞれ伴侶を迎え、近頃では別々の仕事に取りかかることも少なくない。そう変わらない背丈の二人が頭を並べ、お互いをこづき合ったりじゃれ合ったりする姿を見ることは少なくなった。
 しかしそのかわりに、孫や末の息子の思いもよらない表情を見ることができる。
 じつに心は晴れやかだった。
 日を浴びて地に茂れる若草のような、これから伸びやかにおい育つであろう彼らのもとに、叶うことなら冷たい風雪が寄せてこないよう、願うことくらいなら許されるだろうと、総武は声もなくほほえんだ。
 
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