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帰る場所

Category白鳥異伝 二次
 そう簡単にあきらめられない。
 嫁にするならこんな娘だと、夢に見ていた子があらわれて、かわいい声で名を呼んでくれる。それはじつにうれしいことで、母にいさめられようと、夢はいつかさめると諭されようと、真太智はいっこうに聞く耳をもたなかった。
 すっとした立ち姿は、骨太で大柄な浜の娘から比べればずいぶんか弱げにみえ、弱々しく笑むあいらしい顔も、唇からこぼれる真珠のようにうつくしい小さな歯も、何もかもが好ましかった。
 宮は夕暮れに浜に立ちつくし、あかい空をうつしたように輝く海を眺めていることが多かった。何を考えているのか、たずねたことがある。竜宮が恋しいのかときくと、宮は首をかしげた。その仕草はいとけなく、見ていると守ってやりたいと思わずにはいられないのだった。
「もう二度と戻れないところよ。二度と帰れない」
 そう言う横顔がひどくつらそうで、真太智は同じことはもう聞くまいと心に決めたのだ。角折に彼女を誘ったのは、どうにかして宮を喜ばせたかったからだ。真太智の冗談に笑ってはくれるが、ふとしたときに苦しそうに目を伏せることに気づかないわけがなかった。
 この三月、彼女だけをみつめてきたのだから。
 宮がいない家は、ずいぶん静かでつまらなく思えた。宮が炉辺に座り、おかえりと言ってかすかに笑ってくれるのを見るのが楽しみだった。もう二度とその笑顔は見られないなどと、信じたくはなかった。
 真太智は家を飛び出すと、まほろばの一行を追って駆けだしていた。

 角折は皇子の一行の逗留で、ひどく沸き立っていた。真太智は夕暮れにまぎれるように長の御館のそばまで近づいた。皇子に召されたなら、宮は必ず客人をもてなす館にいるはずだ。
「どうだ、それほどすぐれた娘だったか?」
 皇子の供人らしき男たちが、声を潜めることもなく言い合っているところに出くわして、真太智は垣根のそばに身をひそめた。
「いや、近くでみても、それほどの美人とも思えなったが」
「なぜ命はあのようなありふれた娘などお召しになったのか」
 自分がけなされたかのように、怒りがこみ上げてきた。宮はありふれてなどいない。特別な娘だ。
「やかましい。つべこべ言っておらずにするべきことをしろ」
 堂々とした体躯の男が一喝したことで、男たちは持ち場に散っていった。まもなく里に夜が訪れようとしている。焦りに焼かれるような気持ちで、真太智は宮の居所をさがした。
 会って、どうするというあてもなかった。彼女は望んで自分の居場所に帰っていったのだ。いまさら真太智が出て行って、何も言うべきことなどない。
(それでもいい。一目会いたい)
 何も言えなくても、もう一度だけ彼女のまなざしを受け止めることができるなら、かすかにでも笑ってくれるなら、それでいい。
 山の端に沈む夕日が、雲間から残光をこぼしている中、濃い影のできた御館の階に腰かけた宮を見つけたとき、真太智はしびれたようになって立ち尽くした。
 あれは、宮なのか。
 歩み寄ってきた男に手をさしのべて、宮は明るい笑い声をあげた。真太智が一度も聞いたことのない、楽しげで軽やかな声だ。浮かべる表情は春の野に出た人のようにほがらかだ。
「驚いたわ、あなたは本当に貴人のようね」
 皇子はため息をついた。
「ぼくが? そう見えるとしても、ぼくはただのオグナだよ」
 そう言う声はゆるしをもとめるように遠慮がちだった。真太智はその声にひそんだ願いが手に取るようにわかった。そばに寄り添い、目と目を見交わしたいと望んでいるにちがいない男は、宮をえがたい宝だとわかっているのだ。
「きみのまえでは、そうでありたい」
 彼女は立ち上がり、そっと微笑んだ。
「皇子ともあろうひとが、誰かに聞かれたらしめしがつかないでしょう」
「しめしなんて」
 皇子は口ごもった。
「まさか、きみといるときも兜をかぶっていろというの?」
 二人は笑った。むつまじい様子は幾年もともに過ごした兄妹のようでもある。
(宮は、特別なのだ)
 胸がふさがるような気持ちで、真太智は考えた。
 遠い西の都から、大勢の家来を引き連れてやってきた皇子のまえでは、誰しもがひざを折る。背を伸ばし、凛として立つことができるのは、それに並ぶに足る者だけなのだ。宮はそうすることができる。まったく自然に。
 二人が御館のなかに消えても、真太智はそこを動くことができなかった。
「おい、いつまでそうしているつもりだ」
 声をかけられて、ようやく真太智は振り返った。すでにあたりは暗く、歩み寄ってくる男の顔は御館のそばにたかれた篝火に照らされていた。身構える気力もなく、真太智は男に向き合った。いつか、すさまじい剣幕で殴りつけてきた奴だ。
 あのときより幾分くだけた態度で、男は言い掛けた。
「あいつを追ってきたのか」
 哀れみをうけるなど死んでもごめんだというのに、真太智は何も言い返せなかった。
 男は、ため息をはいた。
「礼を言うのを忘れていた。あいつがだいぶ世話になったようだな。殴ったのはあやまる。だが、殴られるようなことを言ったおまえもわるい」
 むちゃくちゃなことを男は言った。真太智ははじめてみるような気持ちで、男を見やった。
「皇子には、あいつが必要なんだ。あいつがいなけりゃ、はじまらない。おまえの気持ちもわかるが」
「わかるだと?」
 にらみつけると、真太智は鼻で笑った。
「何がわかる」
「・・・・・・わかりたくないが、わかるということさ。舟を出したことはあるか」
 唐突に男はきいた。真太智はうめくように答えた。
「おれは漁師だ」
「ならわかるだろう。海には潮の流れがある。逆らっていこうとしても、舟は押し流される。時勢も権勢も同じだ。一人の思いなど、大きな流れにもまれている最中はかまっていられん時もある」
 押し黙ったままの真太智を、苛立ったように男はねめつけてきた。
「だから。あきらめたくないおまえの気持ちもわかるっていうんだ」
「宮が好きなのか?」
 男は心底いやそうに顔をしかめた。
 やけに遠回しに言っているが、ようはそういうことではないのか。
「おれのことはどうでもいい。あいつが不幸にならんように、みていてやる。忘れろとも言わない。だから、もう追うなよ」
 しばしの沈黙にも、男は辛抱強くたえた。真太智はふと、この男にほんのすこしだけ親しみがわいた。そう思えることも不思議だったが。
「これから、どこに行くんだ」
 同族だというが、宮とまったく似通うところのない明るい髪の男は、不敵に笑った。
「さあな。血なまぐさい戦場であることだけはたしかだよ」 
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