武蔵の風2

2012.02.11.Sat.18:55
 その人は、親しみがこもった目でほほえんで見せた。
「あなたは、なにをご存じなの?」
 鈴はおそるおそるたずねた。
「なにも。ただの伝令ですわ」
 女性にしてはきりりとした眉とまなざしだが、どこか気弱げな笑みをするせいで、大人びて見えるのかもしれなかった。
 差し出された朱色の文箱は、秋草が細やかに描かれたうつくしいものだった。胸が鳴り、鈴は息をつめた。
「息災であられるか、深く案じておいでのようです」
 だれが、とたずねるまでもなかった。書きぐせを見るだけで、兄のものだとわかったのだ。糸のように細くかそけき筆運びだ。
 つらい目にあっていないか。もし戻る気があれば、すぐにでも迎えをつかわそう。どれだけ時がかかろうと、気に入るような場所をきっとみつけてみせようと。
 もうひとつは、賀美野からのものだ。筆を紙にぐっと押しつけて書くので、とめもはらいもずいぶん豪快だ。それでも、一年前よりずいぶん上手になっている。
 阿高と仲良くしているか。いつか武蔵に行ってみたい、とある。
(あの子らしい)
 笑おうとして、できない。息を深く吸おうとするのに、こみあげるもののせいでうまくいかなかった。涙がやわらかな紙にぽとりと落ちて、都のひと文字がにじんだ。
 ちいさな咳が聞こえて、鈴ははっとした。
 口元を袖で押さえた娘に近づき、背中をなでてやると、娘はすまなそうにほほえんだ。
「恋しく思われますか?」
 鈴は何も言えなかった。娘はのどをおさえながら、細い声で言った。
「なくなったわたしの母は、都から離れることを望んでおりませんでした。災いごとに満ちていようと、活気もおなじくらい都にはありましたから」
 すすり泣く声が聞こえてきた。室のすみに控えた乳母が、そっと顔をうつむけていた。 
「都で生まれ育った人が、言葉も風習も異なる土地ではたして生きられるものでしょうか? ましてや、皇女として多くの人々にかしづかれてきたあなたのようなお方が」
 鈴は息をつめた。
「わたしとて、父の任の解ける日を心待ちにしております。吹く風も生臭いこの土地に、一生を暮らすことなどできません」
「・・・・・・わたくしは」
 言い渋った鈴をまっすぐにみつめた娘は、すべて心得ているといった風に、うなずいた。
「もっとはやくこの文をお届けするのでした。尊い殿下の御身を、一刻も早くふさわしいところへお招きするのが、伝令としての役割です」
「なぜ? わたくしはもう人の妻です」
「だからこそ、こうしてお会いする必要があったのですわ。無粋な邪魔があっては、本心をお聞きできませんもの」
 娘は安心させるように鈴の手をなでた。
「痛ましい」
 鈴の手はひどく荒れていた。
「はしための手ではありませんか。皇女殿下ともあろうお方が」
 いままでそれを恥じたことなどなかったが、あってはならぬものを見たようなまなざしにさらされて、鈴はそっと身を引いた。
「わたくしは、皇であることを捨てたのです」
 文を握りしめて、鈴は押し殺した声で言った。
「伝令ならば、奏上なさい。武蔵には皇女などいないと。お心遣いだけは、ありがたくちょうだいします。けれど、今後このようなことはいっさい無用です」

「まいったな」
 夕暮れのなか帰り道をたどりながら、藤太は笑った。
「阿高の心配もあながち気のせいというわけではなかったんだな」
「ふん、やり方が浅ましい。だから好かないというんだ」
 阿高が毒づいた。 
「それでも、胸元に文やら菓子やらをしまってきたところが、まったく鈴らしいよ」
 藤太はへんに感心したようにつぶやいた。懐紙につつまれた干菓子はじつに美しくて、我慢できずにそっと広げてみたところをみつかってしまったのだった。
「あきれた食いしん坊だな、おまえは」
 ひどく機嫌が悪そうだった阿高がついに吹き出すと、鈴もうれしくなって相乗りした夫を振り返った。
「きれいだから、見せたかったの。紅葉をうつしたのよ」
 手が伸びてきて、菓子が長い指につままれた。小石をかむように貴重な菓子をぽりぽりと噛みくだき、味わうこともなく飲み下した阿高は鼻を鳴らした。
「甘いな。うえ。舌がとける」
 馬を寄せてきた藤太が手を伸ばして、止めるまもなく青いもみじを口に入れた。
「これが都ふうというものか」
 鈴はほほをふくらませた。
「もう、あとひとつになってしまった」
「食べちまえよ。下手に残しておくとよくない」
 藤太をにらんだ鈴は、懐紙にたったひとつのこったちいさな紅葉を大事につつんだ。それを藤太に渡すと、鈴は笑った。
「あとで千種にあげて」
 阿高が咳払いをした。
「・・・・・・いいのか?」
 そう聞く声は、やさしかった。
 なぜか泣きたいような気持ちになって、鈴はそれでもわらってみせた。
「いくつも食べてきたのよ」
「おい」
 阿高は手綱を引いて馬の歩みをとめた。前のめりになった鈴の顔をのぞきこむように身を乗り出すと、阿高は夕焼けをうつしてひどく輝いて見える目で、鈴をにらみつけた。
「うそなどすぐにわかるぞ」
「うそ?」
 聞き返そうとしたが、唐突に唇をふさがれて鈴は仰天した。もたらされた干菓子の甘さは強烈で、舌がしびれたようになった。
「おまえの口は甘くない。いつもと同じだ」
 阿高がそっぽをむいたあと、鈴は押し込まれたちいさなかけらが舌の奥で溶けていくのを、鼻をすすりながらのみこんだ。
「ばかだな。おまえはばかだ」
 阿高はうめくように言った。
「ひどいわ。そんなに何度も言うことはないでしょう」
「そんなに都が恋しいなら、はっきり言え」
 鈴は目元を拭って、言い返した。
「恋しくない。恋しくなんてありません」
「なら、なぜ泣くんだよ」
 阿高はそれきり何も言わなかった。駆け足で先へ行った藤太に追いつくと、にやつく叔父を蹴りつけた。
「仲直りできたか、世話が焼けるな」
「うるさい、だまれ」
 いつものやりとりがおかしくて、鈴は泣き笑いをした。
「なつかしかったの。都の風をほんのすこし思い出せたんだもの」
「風?」
 阿高は心底驚いたように、声を上げた。
「武蔵に吹く風を知ったから、そうも思えるのね。わたくしは、ここが好きよ。いいにおいがするもの」
「馬くさいんだろう」
 藤太がまぜっかえすのを、阿高はいくぶん明るい声で切り返した。
「鈴もずいぶんかぐわしくなったよ、武蔵風にな」
 鈴は胸をそらした。
「そうでしょう?」
 得意げに言うのがおかしかったのか、藤太が吹き出した。
「このお姫さまときたら。ほんとうに」
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