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ある夜

Category薄紅天女 二次
 いついくとも約束できなかったのに、千種はあわてた様子もなく手にしていたかごを置き、枯れ草色の一反の布だけを大事そうに抱えてきた。

 秋の祭りが終わり、めでたく夫婦になれたことが、まだすこし信じられない。千種がそばにいて、飯をよそってくれたり、足を洗ってくれたり、家の女たちに混じって仕事をしたりしているのを見ると、藤太はどうにもむずがゆいような落ち着かない気持ちになるのだった。
 冬の足音が聞こえはじめたころ、千種は実家から持ってきた布をだして、針仕事をはじめた。機を織るのは得意でも、縫うのはあまり上手ではないらしく、指先に何度も針をさしながらも、根気強く布目をみつめている。
「これは、あなたのよ」
 照れくさそうに、首をかしげて千種は糸をかみ切った。
「おれの?」
 寝る前のひとときに、のべた床のうえに寝そべりながら妻をみつめていたが、どうも眠気がさめてしまった。
「それはきみのじゃないのか」
 千種はほほえんだ。
「藤太のよ」
 体を起こして、藤太は妻となった人をみつめた。わずかな灯りに、千種のしろい頬が照らされている。いくらかあきれたように見つめてくるまなざしは、よく研がれた業物より威力がある。微笑がひどく心を騒がせるのだ。
「そういえば、鈴がね」
 藤太がなにも言えないでいるうちに、千種は昼間の出来事を話し始めた。
「阿高の話ばかりするの。口を開けば、阿高がどうした、こうしたって」
 そういう顔は、うれしそうなのだった。
「鈴は阿高が好きなのね。本当に」
 阿高と鈴は、仲むつまじく暮らしている。秋祭りでの一件を知らない者は界隈にはいない。氷川にあの日居合わせた者すべてが、一人の娘を二人の若者が妻問いせんと、神前で戦ったことを忘れようにも忘れられまい。
竹芝と日下部、両郡の若者ぜんぶがぶつかり合った祭りの日、勝ちは逃したが阿高は日下部の屋形から鈴を奪い返し、その晩ふたりは夫婦になったのだった。
(阿高も必死だったのさ)
 藤太は忍び笑いをした。感情の動きがわかりづらい阿高が、ああまで気持ちをあらわにしたのは見たことがない。
(おもしろい夫婦だ)
 鈴は姫さまだけに、あきれるほどものを知らない。しかし、できないなりになんとか教えを請おうとする態度は見ていて好ましかった。そう離れていないところにはたいてい阿高がいて、不機嫌な顔でちらちら様子をうかがっている。失敗すると怒るくせに、鈴の知らないところでこっそり埋め合わせなどしている。
 阿高は気づいているだろうか。以前は藤太がいたところに、今は鈴がいて阿高を怒らせたり笑わせたりしている。
「あなた」
 ふいに言い掛けられて、藤太は千種をみつめた。
「阿高のことを考えていたの?」
「鈴はよく暴れ馬の手綱を握っていると思ってね」
 熱しやすい阿高を、そばにいるだけで落ち着かせる力を鈴は持っているにちがいない。祭りのあと、日下部と付き合うことが増えたが、殴り合った相手を前にしても阿高は顔色も変えず、皮肉を言われても軽くかわすことも覚えたようなのだった。
 妻を持つと男は変わると兄たちは笑ったり感心したりしていたが、じっさい落ち込むようなことがあれば、すぐに鈴にちょっかいをかけにいくのでわかりやすいと藤太は思うのだった。
 ついこの間、ひざまくらをしてもらい、うたたねをしていたときの阿高の顔は、藤太があっけにとられるほど安らかで、満ち足りた様子だった。鈴が唇に指をあて、「寝かせておいて」と目だけで言う仕草も、じつに女らしいものだった。
 からかうのがためらわれるほど、しみじみと、阿高にはあの子が必要だったのだと、いまさらのように思われるのだ。
「おれは、すこしほっとしているんだよ。阿高が半身のような子を見つけることができて」
 千種はにこっと笑った。仕事を片づけて灯りを消すと、藤太の腕の中におさまり、そうっと息をはいた。
「あなたも半身をみつけたのならいいのだけど」
 藤太は妻のひたいに口づけをした。
 宝物のように布を抱いてきた千種がいとおしかった。言わないでも、それが藤太の無事を祈り、休むことなく織りつづけたものに違いないとわかったのだ。
「半身どころか、きみはおれのぜんぶだよ。きみがいなけりゃ、おれはここにもきっといなかった」
 背中に回された腕を感じながら、藤太は心をこめて言った。
「ありがとう、千種。・・・・・・ありがとう」
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