輝の長子は、来たときと同じに突然に去っていった。御影が消えるとともにあたりは夕暮れの光に包まれ、人々のざわめきも戻ってきた。鳥たちは四方に散り、そのさまは見えない御手が空を拭うようにも見えた。
「あのお方はやっぱり底知れないわ」
 狭也がため息を吐き出しながら言うと、稚羽矢は、まだ不機嫌な顔つきで言った。
「狭也が言う?」
「どういうこと」
「あなたは思いを決めればためらわない。それが己の生き死にに関わることだとしても。そういうところは姉上と似ているよ」
 はっとして、狭也は稚羽矢をみつめた。
「あなた、怒っている?」
 眉根を寄せ、唇を引き結んだ稚羽矢は、狭也を抱きしめていた腕を解いて歩きだした。
「あれはそうとう腹を立てているな」
 毛皮を着込んだ背中を追えないままでいると、鳥彦が降りてきて腕にとまった。
「分かる気、するよ」
 どことなくふさぎ込んだような声の調子に、狭也は八つ当たりと分かっていても言わないではいられなかった。
「何事もなかったのよ」
「今日の英雄は狭也だ」
 全くほめたたえるようでもなく、苦々しく鳥彦はつぶやいた。
「宮へ知らせてくるよ。日もすぐ暮れてしまう。その前にね」
 鳥彦が飛び立ってしまった。重みのなくなった腕を狭也は乱れた心のまま、みつめた。白い衣袴は夕焼けに染められている。
 突然、自分がしたことがじつにこっけいなことに思われた。男装をして、太刀を振りあげて。誓約などと口にして。
(あたしは誰のために)
 地に突き立った飾り太刀がまぶしく輝いていたが、さっきのような高ぶりは感じなかった。
(稚羽矢のためだわ。・・・・・・本当に?)
 葛木王が立ち上がり、うやうやしく手をさしのべるのが見えた。稚羽矢は軽く頭を下げてその手を取った。
 以前は、稚羽矢の目にはごく限られた人々しか映らなかった。けれど、今は違う。稚羽矢はしかと地に足をつけ、同じようにこの豊葦原に住むものの声を聞こうとしている。
 狭也が出て行かなくても、稚羽矢は葛木王の心を変え得たかもしれない。
 いつの間にか稚羽矢のそばに寄り添うように、一人の娘が立っていた。稚羽矢はどういうわけか彼女に親しげに話しかけ、笑顔を向けた。愛想笑いなどしない人が、楽しそうに笑っている。
(あたしは驕っていたのかもしれない)
 稚羽矢が一途にみつめるのは狭也だけだと。そして、彼を受け止められるのも。
(娘はあたしひとりじゃない)
 心が広いつもりで、なんという卑しいことを言ったのか。稚羽矢が誰かに笑いかけることすら、穏やかに見ていられないくせに。
 胸に感じた鈍い痛みを押し隠して、狭也は稚羽矢の横顔をみつめた。



 間もなく里は夜を迎えた。
 稚羽矢と狭也は葛木王の館に招かれ、ありあわせとは思えない心尽くしの夕餉の時を楽しんだ。
 となりあっているにも関わらず、稚羽矢は一度もこちらを見ず、話しかけもしなかった。狭也もお膳だけを見ているようなありさまだ。衣を整え角髪を結い直した葛木の首長は、驚くほど血色もよく、まるで酒宴の席のような晴れやかな様子だった。
 王を苦しめていた喪失の痛みは晴れたのだろうか。それとも、仕方ないことと受け入れたのか。
「我が主は照日の御方ただおひとり」
 つぶやくような一言に、稚羽矢はうなずいた。
「わたしは姉のようにはできない。わたしのやり方で、迷いながら悩みながら進むしかない。それを、どうか支えてほしいのです」
 稚羽矢の声は、澄み切って言いよどむこともない。
(この人ときたら)
 狭也は突然あふれてきた慕わしさに、目をしばたいた。それはあまりに急のことで、心の準備などするひまもなかった。
 全力で駆ける馬から転げ落ちたような、呆然とした心持ちで、狭也は稚羽矢の声を聞いたのだった。
「ただの物知らぬ者として、おたずねしたいことはたくさんあります」
 その地位を返したいと言いながら、稚羽矢は決して逃げない。慣れない仕事に苦労しながら、なんとかやりこなそうとしている。そして、自分に足りないところがあれば素直に助力をこうことができる。
「わたくしからもお願いいたします」
 狭也が口を開こうとしたところを先んじたのは、座のすみにひっそりと控えていた娘だった。
「大王はまことに広いお心をお持ちです。それに、おやさしい方です」
「由津。ぶしつけをお許しください。我が娘は正しい振る舞いというものを知らぬのです」
 葛木王はたしなめたが、それほど苦々しく思っていないのは表情でわかった。葛木王の娘はそっと稚羽矢をうかがっているようだった。同じ年頃の娘だからこそ、わかることがある。
 恋する者の目だ。胸に湧き上がってきたみにくい気持ちは、狭也をひどく戸惑わせた。
「申し訳ありません、少々疲れてしまいました。わたくしはこれで失礼いたします」
 狭也はいたたまれず、箸を置くと頭を下げた。
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りえ

Author:りえ
基礎絵本セラピスト®
妖怪博士(中級)
漢方養生指導士(初級)

養生とは、生命を養うこと。
健康を保ち、その増進につとめること。

絵本セラピーで心をほぐし、ときに妖怪でほんわかし。
漢方の考え方で身体をやしなっていきます。

無理しない、頑張らない「養生」日記です。

古代日本好き。


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