祝言の日まで13

2011.04.16.Sat.09:34
手から太刀が落ちていく。

 狭也は目を閉じてそのときが訪れるのを待った。
 誓約は神にお伺いを立てるもの。心に疑いやおそれを持っていては、正しいこたえは得られない。
(天の宮におられるお方に届かせるには、こうまでしなくては。そうでなければ瞼も動かしてはくださらない)
 それは不思議な確信であって、断じて身を捨てているわけでもなかった。天の宮は途方にくれるほど遠く彼方の場所であるとともに、「今ここ」にも存在するのだ。巫女が鏡の向こうに声を届かせるように、狭也も誓約を鏡として天に声を届かせようとしたのだった。
 
 天から降りきた一筋の光は、館をまばゆく染めた。まぶしさに目を細めながら太刀を探したが、どこにもない。
「狭也!」
 叫ぶようなかすれた声が耳に届いたかと思うと、狭也は腕の中に抱きしめられていた。振り向くとそこには稚羽矢がいた。
(まぼろしかしら)
 稚羽矢が今ここにいられるわけがないのだ。彼にはやるべき仕事がたくさんある。それに、どこか必死さに欠ける人が、息をはずませ、その面を戸惑いと怒りで満たしているなんて、そうそう見られるものではない。いや、こんな表情にお目にかかったのははじめてかもしれない。
 稚羽矢はじつに腹立たしそうに狭也を見つめていたが、体を固くしてゆっくりと前をにらんだ。
「姉上」
 つややかな羽のオオワシが、太刀の柄頭に結んだ綾のひもをくわえて羽ばたいている。
「どういうこと?」
 彼は何も言わず、腕に力をこめただけだった。
 オオワシはひれ伏す衆人をあざけるように飛び巡ると、身に風を受けて高く舞い上がった。と思うと、飾り太刀がまっすぐに落ちてきて、冬の冷たさに凍った固い地に突き立った。
 それは一瞬のことだったが、オオワシが羽ばたき降りて金の柄頭にぴたりととまると、このすべてが夢ではなくうつつのことなのだと、狭也は奇妙な高ぶりを感じた。
「誓約の供物は受け取った」
 どこか遠くで響くようなその声は、聞く者を圧するようなまれなる美声だった。まちがえようもない、確かに照日王のものだ。
「愚かな誓約だ。眠気もさめようものよ」
「地上にまだご用がおありですか」
 稚羽矢のすげない物言いに、オオワシの姿を借りた照日王は笑いをもらした。
「ごあいさつだな、弟よ。幾分りりしくなったか?」 
 狭也は胸の底がざわめくような緊張を感じた。たとえ鳥の姿を取っていようとも、その存在は希有のもので、また畏怖すべき厳かさを感じさせたのだった。
「そう甘くはないようだな、国づくりというものは。そなたが山城の古狸をいなしたところはなかなか面白かったぞ、稚羽矢」
「ごらんになっていたのですか」
 稚羽矢の声は固かった。
「わたしが案じているものはみな見える。そう迷惑そうな顔をするな」
 じつに愉快そうな声だった。
「いくらなんでも寝屋まではのぞかぬ」
 思わず稚羽矢を見やると、鼻先が触れそうなくらい近くで目があった。腕に抱きしめられているから、稚羽矢の鼓動が胸に響いてくる。それが自分のものなのかどうかもわからない。顔をそらすと、つられたように稚羽矢もそっぽを向いた。
「悠長なことだ。まだ共寝もせなんだか」
「姉上。そんなことを仰りにお出ましになったわけではないでしょう」
 はじけるような明るい笑い声があたりに響いた。
「そなたも言うようになった。今ならともに旨酒が飲めそうな気がする。そなたらの結びつきは、豊葦原の行く末にも関わること。せいぜい仲良くやるのだな。輝と闇がひとつになるもならぬも、そなたら次第」
 オオワシはくるりと首を巡らせた。
「葛。面をあげよ」
 膝をついて頭を垂れる葛木王は岩になりかわったように身動き一つしなかったが、そのたった一声で膝がおののき、将軍として剣を存分に振るってきた腕がわずかに動いてうつむいた顔を拭った。そうして顔を上げたとき、かつての輝の将軍は憔悴しつつも誇らかに、惑乱のかけらもなく主の声を待った。
「葛よ」
 照日王はやさしく叱るように言った。
「仕えるのがわたしの弟では不満か」
「わが身は御方に捧げたものでございます」
「では、わたしが死ねといったら死ぬのか」
 葛木王はためらわずにうなずいた。
「死んだつもりで、照日の願いを聞いておくれ」
 オオワシは羽ばたいて、葛木王がおずおずと差し出した腕にとまった。
「葛、この愚かでやさしい娘を助けてやれ。この子の誓約はわたしを地上に呼び寄せた」
「御方」
 葛木王は目を伏せるのを忘れ、まばゆい姿を目を細めて凝視した。
「そなたの気性を承知で言うのだ。主と思わず、孫とでも思え。わが弟は、様々なことに疎い。共寝のしかたも知らぬのだ」
 狭也はもう稚羽矢の顔を見られなかった。
「老人が導いてやらねば」
「おそれながら、わたしはまだ老人ではありませぬ」
 照日王は愉快そうに笑った。
「そのいきだ。地上の季節はめまぐるしく変わる。変化は豊葦原において常のことだ。以前はその変化を受け入れられなんだ。しかし、この地上にも美しいところはある」
 こちらを向いたオオワシの目は、稚羽矢を見つめているようだった。
「我が弟に教えられたこともあるということだ。稚羽矢は汚濁のなかに落ちている一粒のまことを拾うことができる子だ。わたしがおぞましいと斬って捨てるものをも慈しむことができる」
 狭也は姉たる王が、このように稚羽矢をみつめていたのだと気づいて驚いた。
「自らのつとめを果たせよ。そなたはここにとどまることを望んだのだからな。この剣は三輪山の社から天へ届けよ」
「社にたどりつけないのです」
 狭也が声を上げると、照日王はうなずいた。
「もはや守りも不要なものだな。そなたらが迷わぬようにしてやろう。それはそうと」
 言い淀むようなことなどない方だというのに、口ごもるような様子で照日王は言った。
「狭也」
 こうして呼びかけられるのは本当に意外なことだった。あざけるようでも哀れんでいるのでもない。 
「二度目はないぞ。そなたときたら、こうでも言っておかねばまたすぐに身を投げ出しかねん」
 狭也は頭をたれた。熊手を持って立つ王の姿を思い浮かべてしまい、すぐに消すことはできなかった。
「人を退屈させぬ娘だ」
 おそるべきことに、照日王はそれを承知しているような口振りで、しかもずいぶんやさしい声音でささやいた。
「そなたがいなくば、稚羽矢はもはや手のつけられぬ災いにすらなるぞ。そなたの望みを稚羽矢は叶えんとする。母の意に添おうとする子のようにな。それをよくよく心に留めておくのだよ」
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