幽ノ壱サンプル3故郷(薄紅) 

2012.01.13.Fri.05:43
 武蔵に帰り着くなり鈴は寝込んでしまった。藤太に言われるまでもない。気遣いを欠いていたことを、阿高はすっかり後悔していた。都からここまで、ほとんど休まずに旅をしてきた。慣れない行程に疲れがでたのは当然だった。
「あの子についていておやりなさい」
 美郷姉に言われて、はじめてはっとした。
 布団に伏した鈴は、阿高しかたよるものがいない。
 もっと、心をかけるべきだった。
 それなのに、鈴の笑顔を真に受けて、大丈夫だという言葉を信じてしまった。
「鈴」
 呼びかけると、うっすらと目を開けた。
「阿高・・・・・・迷惑をかけて、ごめんなさい」
「つまらないことを、気にするな」
 認めたくない、後悔が胸にこみあげてきて、阿高はうめいた。鈴をここへつれてきたのは、阿高のわがままだったのではないかという思いが、今こそ消しがたく、弱った鈴の姿に重なって見えたのだった。
 阿高が身を引いていれば、少なくとも鈴は慣れない土地で肩身の狭い思いをすることもなかった。世話をする女官は何人もいるだろうし、不自由もなかったはずだ。そんな暮らしを捨てさせてまで、つれてくるべきではなかったかもしれない。
「わたくしを、帰すなどと言ってはだめよ、阿高」
 鈴はささやいた。手を伸ばして胸元をひきよせると、鈴は間近でじっと阿高をみつめた。
「だめ。許しません」
「風邪ひきのくせに・・・・・・生意気だ」
 ひたいに乗せていた手布で見上げてくる目を隠して、阿高は体を起こした。間近で見つめつづけることなど、どうやってもできそうになかった。胸が苦しくなり、息をするのも難しくなる。あさましい想像をすべて集めて、塚にでも埋めてしまいたい。
「わたくしを、お嫁さんにしてくれるの?」
「いずれな」
「今すぐそうして欲しいのだけど」
 阿高は驚いて目をみはった。
「契りを交わしたら、きっと誰も帰れとは言わないわ。わたくしが夫をおいて寝込むような体の弱い娘だと、みなさんがっかりしたようだもの。返してこいと言われなかった?」
「・・・・・・心配しているだけだ。食うものをしっかり食えば、力もついてくるさ」
「夢を見たの。わたくしを連れ戻しに使者が来る夢」
 赤い目元から涙が一筋こぼれた。阿高は手をとり、握りこめた。
「それは、夢だ。おまえは許しを得たんだぞ。行きたいところにどこへでも行けと」
 なぜ泣くんだ。泣くな。阿高はわき起こる苛立ちのままに、口づけをした。すすり泣くような声を、もう聞きたくなかったのだ。鈴は驚いたように目を大きくした。間近で潤んだ瞳を見据えた一瞬、何も考えずに望みを叶えたいという思いがわき起こってきたが、急いで封じ込めた。
「とりあえず、これが契りのかわりと思え。おまえを嫁にするには、いろいろと準備することもある。それに、契るのは痛くてこわいんだぞ。簡単なことのように言ったら、怒るからな。・・・・・・まずは、体を休めろよ。それと、おれに内緒でそんな夢はもうみるな」
「だって、夢だもの。思い通りになどならないわ」
「いいから。好きなもののことでも考えておけ」
 鈴は、目を閉じた。
「わかった。がんばって、黒駒の夢をみる」
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