祝言の日まで10

2011.03.06.Sun.06:18
 




 大王に選ばれなかったときのことなど、考えたこともなかった。
 父の山城王は月代の御方に長年仕えてきた大豪族だ。戦功もいくつもあげている。それにほかの娘たちなどより、我が身のほうが血筋も美しさも勝っているという自負があった。
 小さな頃からみなが一の姫を褒めそやした。若い王子たちは熱っぽい目でみつめてくる。十五になってからは、美しい玉や布などの宝が山のように届く。
 みなから大事に扱われ、恋い慕われる。それはあたりまえのことだった。
(なんてこと)
 それなのに、大王ははっきりと姫を拒んだのだった。
「お待ちください」
 広間を出て廊下を歩きはじめた若い大王を、一の姫は呼び止めた。腕の中に飛び込んで、その胸に頬をつけた。衣を通して、鼓動が響いてくる。ゆっくり打つ胸の太鼓を、姫はじっと聞いていた。
「どうした、姫?」
 娘がすがりついているというのに、規則正しい鼓動は少しも変わらない。
「気分が悪いのか。誰か呼ぼう」
「大王」
 姫は大王の腕をつかんだ。父の期待に応えて大王の心をとらえて見せたかった。輝の御子とはいえ、月代王のように近寄りがたい怜悧さはない。広間ではうまく振る舞えなかったが、簡単にあきらめることはできなかった。
「わたくしは、大王をお慕いしております」
(后にふさわしいのはわたくし)
 闇の巫女の噂もよく聞く。しかし大王と並び立ったことは一度もないのだ。どうせのこと、そんな勇気も気概もないのだろう。
 美しい大王の隣に立つのは、それにふさわしい乙女でなくてはならないのだ。
「慕う」
 大王の声が少しゆらいだ。
 心を動かさずにはいられないはずだ。腕のなかにいる娘から、恋心を伝えられれば。まっすぐに目をみつめられなくても、こうして抱き合うことはできる。たとえ、心がつながらないとしても。もともと婚姻とはそうしたものだ。どこに問題があるだろう?
「顔をおあげなさい」
 いくぶんやさしい声で大王は言った。やはり、なぜかまなざしを受け止めることはできなかった。太陽を見ようとして目が痛むときと似ている。そこにあるのにどうしても見つめることができない。
「あなたはうそをついているね」
 落ち着いた静かな声は、諭すようにひびいてきた。
「うそなど」
「あなたからは人を恋う匂いがしない」
 姫のこめかみのあたりに形のよい鼻を寄せて、大王は言った。
「生き物はみな、恋をする。相手を心から呼ぶとき、相手にだけわかる匂いをはなつ。わたしはいろいろな獣の夢を見たことがあるからわかるのだ。甘く、くるおしい匂いだ」
 姫は両手で大王の胸に手を当てた。あたたかくたくましい胸はとても好ましいものだった。しかし、姫は高ぶりと緊張に息もできない有様なのに、大王の胸はただゆっくりと打っている。まるで眠りの中にいるときのようにゆるやかに。姫はみじめさと怒りに泣きたくなった。
 身を投げ出しても、この人の心は少しも動かない。胸の鼓動すらも揺らがない。
(御衣に止まった羽虫のようなものなのかもしれない)
「わたくしが恋をしていないとおっしゃるのですか」
「そうだろう?」
 大王は面はゆそうに言った。
「あのひとがわたしを恋しいと言うとき、甘くていい匂いがする。腕に抱くと、やわらかくほどけてくるよ。あなたは、まるではじめて戦にでた者のように体がこわばっているね」
 姫はもはやなりふり構わずに言い募った。
「どうかお情けを。山城の力添えは、大王の御ためにもなるはずです」
 すると、大王は幼子にするように姫の頭をなでた。
「もしかして、あなたの言うとおりかもしれないね。あなたは賢い」
 その手はひどくやさしかった。
「それはあなたが望むことか?」
 姫はなぜかうなずくことができなかった。
 大王の言葉は、まっすぐにこちらに流れてくる清流のように、いっさいの駆け引きがない。
「山城王はよい姫をお持ちだ」
 これ以上大王をひきとめることはできないと思うと、なぜか涙があふれてきた。
 ゆっくりと体を離し、姫を立たせると、大王は床に落ちた襲を拾って肩に掛けた。
「さあ、行きなさい。ここは冷える」



「我が娘は大王のお気に召しませんでしたか」
 姫が立ち去ったのと入れ替わるように、山城王が近づいてきた。胸の中で泣いていた姫は、やはり自分が泣かせたのだろうかと考えていた稚羽矢は、ため息を吐き出した。
「ややこしいものだな」
 山城王は問うように眉を上げた。
「野にあれば、しぜんと生き物はつがいになる。なのに、ひとたび政治がからむと、だれかの都合のよいように娶され、つがいにされる」
 稚羽矢はつぶやくように言った。
「それはよくないことだ」
 山城王は低く笑った。
「大王、御身は天の宮の方々よりもまこと、いとけなくおわしますな。ゆえにそのようにお感じになるのでしょう」
 比べられるということは全く面白くないことだと、稚羽矢は眉間にしわを寄せた。
「獣の中にも、妻を多く侍らせるものはおります。力がある者はそれが許される。また、血脈を守るために必要なことでもあります」
「血脈か。そのように大事なことか?」
「そうですとも。月代の御方は、長い時の間に幾人かお気に入りをお持ちでした。ただびとでも、祓いをおこなえば命も美しさも長らえることができましょう。美しい花を美しいまま愛でることができるのです」
 稚羽矢はひどく苛立った。しかし顔色を変えぬように拳を握った。稚羽矢が怒れば、輝に仕えてきた人々をおそれさせてしまうと知っていたからだった。
「大王、狭也どのは妃にすればよろしいのでは? 闇と輝、どちらからも妃を迎えれば、波風も立たぬかと。もっとも、狭也どのは身を引かれるらしいと聞いております」
 稚羽矢は血の気がすっと引くのを感じた。
「お気に召す姫がいなければ、またこのような場を設けましょう。そうですな、わたしの領に早咲きの桜がございます。桜を愛でながらというのも一興・・・・・・」
「あなたは勘違いをしているようだ」
 稚羽矢は早口に言った。抑えた怒りがこみ上げて、目の奥が熱い。
 驚いたように山城王は口をつぐんだ。
「決めるのはわたしだ」
 稚羽矢は王の喉元に手をのべ、触れるか触れないかのところでついと止めた。
「狭也に何を言った?」
 答えを待っても、山城王の口は閉ざされ、ただ小さく頬が震えているだけだった。
「わたしから奪おうとするな」
 懇願とも、命令ともとれる固い声で稚羽矢は言った。
 もし、山城王が本当に狭也をなきものにしようと動いていたならば。そう考えるだけで冷たく暗い海の底へ沈んでいくような重苦しい気分になる。そして、身を焦がすほどの怒りがせり上がってくる。
「その時がもしも来たなら、わたしは大蛇を御せなくなる。新たな宮も、集った人々もどうなることか。なら、今このとき、あなたを消し去ってしまおうか。のちのおそれを摘むために」
 稚羽矢は人差し指で王の喉に触れた。
「人の命ははかないものだ。だからこそ、とうとい」
 稚羽矢は笑ってみせた。王の大きく見張られた目は血走り、恐怖と驚きにひきつれていた。
「まだわたしに姫をすすめるか?」
 山城王は崩れ落ちるように膝をつくと、深く頭をたれた。
「どうか、お赦しを」
 床についた両手は震えていた。
「わかればいい」
 稚羽矢は、すこし不機嫌になりすぎたかと頬をかいた。しばらく歩を進め、振り返ったとき、王はまだ平伏したままだった。
(狭也に叱られるだろうか)
 ため息がこぼれた。
(あれは粗相をしたうちに入らないといいが)
 まだ腕に残るぬくもりを振り払うように稚羽矢は歩きだした。 
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