祝言の日まで9

2011.03.04.Fri.10:02



「おかげんが悪いのでは」
 ためらいがちに声をかけられて、稚羽矢は首を振った。
「わたしは健やかだ」
 ふと稚羽矢はたずねた。
「あなたがたも健やかだろうか?」
 型にのっとったこうした挨拶は、もっとはじめに言い交わすものだった。決まり事を覚えない稚羽矢にあきれかえる狭也の様子を思い出して、吹き出した。
(あなたが輝の御子だというのなら、どうしてこんなに覚えが悪いのかしら)
 今朝、泣きそうな顔をしながら、姫ぎみたちに粗相のないように、と言い含めた狭也のことも思いだされ、稚羽矢は唇をゆるめた。
(思えば、あなたのそばにいたのはあたしだけ。娘はあたしひとりだけじゃないわ。今日あなたが会うのは、あなたのために美しく装った人たちよ。そのなかから后を選ぶのもよいことかもしれないわ)
 そう言った狭也は、うなずいた稚羽矢から目をそらしたのだ。うそをつくとき、気まずいとき、狭也は稚羽矢を見なくなる。
(あなたが選ぶのよ。そう言えるようにならなくては。誰かが望むからではなく)
「あなたがたは、わたしの后になろうと思うのか?」
 獣はお互いのにおいに惹かれてつがいになる。初めて会った娘たちが、すでに稚羽矢に選ばれようとこの場にいると知って、稚羽矢は驚いていた。
「大王がお望みになられるのでしたら」
 皆が皆、口をそろえて言う。
「なぜだ」
 律儀にも、稚羽矢は一人一人にたずねた。
大王だから、聡明だから、美しいから、仕えるのにふさわしいと一族の者が思うから。最後にともに広間へやってきた娘が、本当に小さな声で「大王はおやさしい方でございます」と述べた。
 稚羽矢はなんとなく肩すかしをうけたような気分でいたが、さもありなんと思い直した。大王だから后になりたいというのはとても当たり前のことなのかもしれない。大王の前には皆がひれ伏す。きらめく金の冠をつけ、野を駆けることもできない絹の沓をはいた、美しく装った男。獣も、美しく力のあるものは妻を選べる。
(そうか)
 狭也の言葉の意味が分かったとき、稚羽矢は胸元をぎゅっとつかんでいた。
(狭也)
 稚羽矢は目の前から薄布が一枚とりはらわれたような気持ちで、娘たちを見回した。
 相手が大王だからこそ迷いなくこの場にいる娘たちは、ただの稚羽矢にはおそらく近づきもしないだろう。
 周囲がすすめるからと狭也が后になることを当然のように思っていたが、それはまちがいなのだ。
 大王だからこそ、決めてみせねばならない。稚羽矢と狭也、二人だけの国ではないのだから。
 稚羽矢は深く息を吸った。そして、胸を張って言った。
「わたしは、大王であるまえに稚羽矢だ。輝の御子であると同時に、闇の女神をお慕いしている」
 闇の女神という名を聞いて、あからさまに眉をひそめるものもいた。
「豊葦原を一つに照日王と月代王はなさろうとした。これからわたしがなそうとしているのは同じことだ。だが、それにはかつての輝と闇が結び、手を携えねばならない」
 稚羽矢ははっきりと言った。
「わたしの代では、しっかりとした土台をつくりたい。できることなら土地の神をよみがえらせ、真に豊かな豊葦原を見てみたい。これからわたしもただびとと同じように年をとり、あなたがたも婆になる。それほど多くの時もないのだ」
 青ざめた一の姫はふるえる声で言った。
「大王におかれましては、祓いをなさるおつもりがないというのは、ま、まことのことなのですか」
 稚羽矢はうなずいた。
「男神と女神は和やかに手を結びあった。それなのに、地上にある我々が敵対することはない。輝も闇も、どちらが欠けても豊葦原は成り立たないとわたしは思う」
「本心からおっしゃるのですね。尊い輝の御子さま」
 一の姫はどこかあきらめたような表情をかくさずにつぶやいた。
「大王がお選びになるのは、闇の巫女姫という噂話。まさかとは思いましたが。御身のけがれでございます。どうかお考えをお改めください」
 稚羽矢はややあって、首を傾げた。
「では、あなたをわたしの后にしようか」
 ざわめきが大きくなった。
「あなたが望むのならば、わたしの后として迎えよう」
 稚羽矢は静かな瞳で一の姫をみつめた。皆、息をのんでその様子を見守った。
「山城の姫、わたしをご覧なさい」
 困惑と期待を美しい面にのぼらせて、姫はあごをあげた。自信に満ちた仕草だった。しかし、その表情はすぐに焦りに塗りかえられた。
「どうした」
 彼女はけっして稚羽矢の目を見ることはなかった。いや、見ることができないのだった。最後に姫はただ声もなくうつむいた。くやしそうに赤い唇を噛みしめ、その細い肩が小波のように揺れたかと思うと、あとはもう二度と面を上げることはなかった。
「だれか、ほかに?」
 数人がためしたが、皆おなじだった。
 稚羽矢は最後におずおずと手を挙げた娘のもとに近づいた。その手をとり、小さなあごを人差し指でついと上向かせた。
 稚羽矢を「やさしい」と言った娘は、ふるえながら目を合わせようとした。しかし、どうしても二人のまなざしは合わないのだった。
「なぜだろう。皆わたしをさけるね」
「お許しを」
 伏せた瞳から、涙がこぼれ落ちた。それはおそれのためなのか、はじらいが流させたものなのか、さだかではなかった。
 少しすまないような気持ちになって、稚羽矢は手を離した。
「わたしをまっすぐに見られるのは、一人だけだ」
「そんな方がいるのですか」
 投げかけられた問いかけに、稚羽矢はうなずいた。
「この世でもっともこわい人だ」
 稚羽矢は声もなくほほえむと、座を辞した。



 葛木王の館は三輪山のふもとにある。緩やかな稜線の女山は、輝の御子が豊葦原に降り立ったとき、はじめて土地神を鎮めて社を建てたという場所だった。
 常に霧が立ちこめ視界が悪い山中で、鏡の納められた社を探しに何度か足を運んでいた。このあたりは葛木の領内だったのだ。
「狭也、何を考えているの」
 上空を飛んでいた鳥彦が差し出した腕にとまった。
「三輪の地主神のことを、葛木王なら何か知っているかもしれないわ」
「そうかもね。まあ、王が生きていれば聞けるかも」
 鳥彦の軽口をいなす気分でもなく、狭也は馬を進めた。じきに館の門が見えてきた。門は半分開いていた。のぞいても、馬のくつわをとる者もいない。
「なんだかこわいわね」
「いまさらなんだ。思い直したんなら、帰ってもいいけど?」
「そういうわけにはいきません」
 しかたなく手近の栗の木に馬をつなぐと、狭也はひとつ深呼吸をして歩きだした。
「ねえ、狭也はさ、稚羽矢がだれかほかの娘を選んだら、どうするの」
「こんな時に、やめてちょうだい」
「こんな時だからだよ。稚羽矢がもし、たくさん妃を持ちたいって言い出したら、狭也は喜べるの」
 狭也は鳥彦をにらんだ。
「ひどいことを聞くのね」
「これがおれの役どころってものだよ。みんなが言えないことをおれが言わずに誰が言うのさ」
 まじめな声音に、狭也はつい白状した。
「たくさんなんて、いやよ」
「狭也はばかだね。后にならないなんて言わなければよかったのにさ」
「・・・・・・本当は、あたしだけを妻にと望んでほしい。でも、稚羽矢は大王だもの」
「ああそうか。狭也はみんなの前で、稚羽矢に言ってほしいんだ。後にも先にも、狭也だけだって。ほかの娘がどんなに着飾ってしなだれかかってきても、なんとも思わないし、迷惑だからって」
「やめてったら」
「まんざらでもないって顔をしてる」
 狭也は思わず笑ってしまった。
「万が一、稚羽矢のやつが何番目かの妃になれなんて言ってきたら、科戸王のところに嫁に行けばいいよ。もちろん、おれのところでもいいけど」
 鳥彦と一緒でよかったと、狭也は胸中でつぶやいた。緊張でかたくなった体が、軽口のおかげでなんとなくほぐれるような気持ちがする。
「お待ちを、どうか」
 館の前が騒がしくなった。あわてたように外へ駆けだしてきた男は、懇願するように言った。
「王、お待ちを。お怒りをしずめてくださいませ。御身にさわりが」
「離せ、宮に行かねば」
 狭也と鳥彦は思わず顔を見合わせた。
 息も切れ切れに現れたのは、痩せた小柄な男で、目ばかりが大きく光っていた。衣は乱れていて、角髪は解けかかり土気色の頬にかかっていた。
 狭也は彼の前に進み出ると、一礼をした。
「お待ちを、王。怪しげな者がおります」
 従者を押し退けて、葛木王は狭也に目をとめると、眉を寄せた。
「おお。おお!」
 絞り出すような喜びの声を上げ、走りよってくる王を狭也は身動きもできずにみつめた。
「我が君。御身をどれだけお探ししたことか」
 止める従者の声を聞かず、狭也の腕をつかみ食い入るようにみつめた。しかし、求める人でないと気付いたのか、あっと言う間に落胆が顔に広がった。
「ありえぬことだ。あの方はすでにわしなどの手の届かぬ天の宮へおわすのだから」
「わたくしは狭也と申します。大王の名代として葛木王の見舞いに参りました」
 うつろな目が肩にとまった大烏を一瞥した。
「なんだ、狭也を照日王とでも見間違えたか、葛木王どの」
 鳥彦が目玉をつつかんばかりにくちばしを突き出すと、従者が声を上げた。
「皆、こちらへ! 曲者だ」
(鳥彦ときたら。これでは穏便にいけないじゃないの)
 狭也は声を張り上げた。
「わたくしは大王の名代です」
 大王と聞けば葛木の館の者も威勢をなくすかと思えば、大声でののしられた。
「口をきく烏か。おぞましいものを。大王に取り入った闇の氏族め」
「ひどいや。傷つくよね」
「黙って」
 ひるみそうになるのをこらえて、狭也は胸を張った。
「わたくしを手荒に扱えば、大王を軽んずることと同じですよ」
 館の人々が集まり、狭也を取り囲んだ。中には鳥網を持った者もいる。
「用意がいいや」
 あきれる鳥彦に、狭也はささやいた。
「あたしは一人で大丈夫。鳥彦は網にかかるまえに行ったほうがいいわ」
「狭也をおいていくと思う?」
「この人たちは鳥彦をおそれているわ。あなたときたら、何かあったら目玉をつつくつもりでしょう」
「ばれたか」
「大王の名代を傷つけることはないわ。だからこそあたしたちはこんなに身軽にこちらへこれたのだから」
 そうでなければ開都王たちが狭也の外出を認めるはずがない。
 鳥彦はしぶしぶ飛び立ち、人々の頭上を飛び回った。
(さあ、ひと勝負だわ)
 狭也は顔を上げた。

関連記事
コメント

管理者のみに表示